馬頭は地獄ではなく異世界の住人
「―ヨウくん、っすっごいね……」
枕元で言われれば鼻の穴が膨らみそうな台詞であるが、あいにくここは真っ昼間且つグランドキャニオンのような荒野であり、俺の足元に横たわるのは女性ではなく馬のような獣だった。決して俺のアレがウマ並みとかいう暗喩的なアレじゃない。
「それはどうも」
熱っぽい声で遠くから褒めた女性は、先ほどまで馬車を守るために岩陰に隠れていたが、筋骨隆々の馬野郎も首無しでは動けないと知ると素早く御者台を降りて駆け寄ってくる。
そして速度を落とさず覆いかぶさるように抱き着いてきたのだった。
「いやーすごい! あの叔父が褒めるわけだよ! 馬頭の頭を落としちゃうなんてね!」
よろけながらもなんとか抱き留めた俺を見下ろしてにんまり笑う女性は、砂埃まみれだったけど綺麗だった。
**********
―キミ、孤児じゃないよね
御者台で並んで揺られながら小一時間ほど世間話をした後に、なんでもないように言われた言葉だった。思わず頷きかけて、動作をぴたりと止めた。
「孤児ってのはさ。どんだけ外見を綺麗にしたって隠せないもんがあるんだよ」
そう言って俺の目を覗き込む。そして「綺麗な黒い眼だね」と呟くと再び前を向いた。
「孤児上がりは覗き込まれれば隠す。逆に探る。会話は相手の弱い部分を見つけるためのただの道具。人間は信じる対象じゃない。それに敵か味方かでもない」
彼女は未だ前を向いたまましゃべり続ける。
「敵か、敵じゃないか。味方がいないのなんて当然さぁ。だから視線は相対しない。いつも斜め。だからどこか陰って見える。……少し商人と似てるよね。だからすぐわかる。きっと叔父も、出入りしてる商人達も気付いてたんじゃない?」
俺が沈黙を貫いていると、ハルヒはくすりと笑った。
「別に探りたいわけじゃないから、これ以上は聞かないよ。でも見る人が見れば孤児じゃないってことは解かる。だから身分の説明が必要な時はハイシェット村出身とした方がいいかもね」
「なるほど」
実は村を出る何日か前に、ゾブラさんから「抵抗が無ければ私の養子だと言ってもいい」と言ってくれていた。この女性と同じ意見だったのかもしれない。
「ま、この話はここまでにしとこう。ほらほら、渓谷地帯に入るよー。ここらへん偶に魔獣出るから一人で通るときは香を焚きながら急いで進むんだけど、今日は君がいるから気持ちが楽だー」
自分で言いだして勝手に話を打ち切った彼女の声に釣られて、俺も前方の景色を視界に収めた。
今は無き急流が岩盤を削った痕跡をありありと残しつつも、栄枯盛衰の如く今は一滴も残らず枯れた川の底を馬車が通り過ぎる。
削られた岩肌は高さ20、いや30メートルはありそうだ。
上から矢で射かけられたら逃れるのが厳しそうだぞ、と不必要に警戒を抱かせる地形である。
「と言っても大体は小型の岩蛇とかだけどね。でも引きのある人間がごく稀に森から森へ移動する際の魔獣と出くわしたりするらしいよ」
「へぇ」
「聞いた話によるとだけど、以前ここを通ったハイクラスの開拓者には巨大な螺岩蛇が。北へ遠征に来た騎士団が通った時なんかは牛頭蛇が出たんだってさ」
「オピオタウロス?」
ケンタウロスの仲間だろうか。牛目タウロス科に属するような。
「知らない? クラス6の有名な化け物だよ」
「君とマーリンさんが相手した紅露熊より強力な魔獣だね」などと恐ろしいことを口にしたので、警戒度合が自然と上がる。
「まあまあ、そんなのほぼ出ないから」
「だったらいいけど―」
―カラリ。
相槌を打った時、渓谷のハングした岩盤の上から落ちてきた小石の音がやけに鮮明に二人の耳まで届いた。
一瞬御者台の二人は目を合わせ、同時にガバリと見上げると、光を背にした黒いシルエットが仁王立ちしていた。
最初俺は人かと思った。しかし間髪入れずハルヒが声を上げる。
「嘘でしょ……! 飛ばすよ!」
「なんだった!?」
チラリとこちらに目をやったハルヒが、馬に鞭を打ちながら進行方向を向いたまま叫ぶように答えた。
「馬頭。アシュバシーだ!」
馬頭。
日本でも馴染みがある獄卒の一体。この世界では現世に現れることは知っていた。曰く「圧倒的な体力」と「強靭な肉体」を併せ持つ馬の上位個体であると。心なしか馬車の馬が恐怖に慄いた顔をしている、気がする。
狂ったように走る馬が全速力で赤土の舞う荒野を駆ける。
後ろを振り返ると馬頭の姿はない。上を振り仰いでも同じだ。
「撒いた……?」
揺れる御者台の上で、願望の混じった呟きが隣から聞こえた。
しかし俺は悪寒が止まらない。
「手綱しっかり握ってて」
「え?」
「たぶん近くにいる」
そう言った瞬間。馬が大きく嘶きナポレオンの肖像画のようにクールベットした。
「うわ! どうしたの!?」
「前!」
俺の声にハルヒが馬を落ち着かせながら前を向き、そして悲鳴を飲み込むような声を出した。
「岩壁の上を走って先回りされたのか」
その言葉に彼女も頷いた。
「完全に狙われてるね……ちなみにクラスは」
「知ってる。淡墨、つまりクラス4でしょ」
言いつつ俺は馬車を飛び降りる。
「巻き添えになるから、あっちの岩の後ろまで馬車と一緒に隠れてて」
「……戦う、しかないもんね」
その通りだった。先ほどの脚力を見れば機動力の差は明らか。助かるためには戦って勝つ以外に方法はない。
「私の良いところは諦めの悪いところなんだけど」
何故か動かない馬頭から視線を逸らせないハルヒは、独り言のようにつぶやく。
「今は君に賭けるしかないみたいだ」
出発早々ごめんね、と言った彼女に聞こえるように剣を抜く。
澄んだ音が響き、ハッとした彼女がやっとこっちを向いた。
「まあ見てなよ」
こう見えても、がめつそうな君の叔父から護衛を一任された男だぞ。




