ハルの日の思惑
空気にシロツメクサの香りが混じる、カラリと晴れた青空の日。
村の前には人が溢れ、一台の荷馬車を遠目に囲んでいる。お祭り騒ぎにワクワクした村の子どもがはしゃぎ回って声を上げ、我慢の限界を超えた母親の怒声がそこかしこで響き渡っていた。そんな喧騒も、湿気の含まない乾いた空気が地上から空へ吸い上げて消える。
今日は良い日だ。旅立ちにぴったりの。
――
「……ごめんなさい。妹は朝から外に出たままで」
そんな良い日の朝に似合わない半べそ声で謝っているのはシエルである。
「いや、俺も前みたいになっても困るだけなので」
件の彼女は怪我から目を覚ました瞬間、五体無事であることに泣きながら安堵したが、その後ヨウの『及』が使えなくなったことを知ると、声を無くして呻くように泣いたそうだ。
暫く経った後、真っ青な顔で稽古中のヨウの前に現れたリュシーは、衆目など気にせず地面に頭をこすりつけて何度も謝った。どんな言葉も誰の言葉でも彼女を慰めることはかなわず、ヨウもマーリンも最後は言葉を無くした。
悲しいが、もうあのような気持ちにはなりたくない。というのが本心だった。リュシーがこの場にいないことに安堵した自分に、少し気分が悪くなって彼女の姉から顔を背ける。
と思ったら近くにいたマーリンとばっちり目が合ってしまう。ふんっ、と馬鹿にしたように鼻で笑われたので、思わず剣に手が伸びる。
「……なんですか」
「八つ当たりはよせ。さっさと出発したらどうだ」
狂気が右手を支配しかけたが、恐るべき自制心で踏みとどまって深呼吸を一つ。目の前のジジイだってあのリュシーの姿に言葉を失くしていたくせに、やけに物分かりの良い爺のふりしていることが腹立たしい。
「御者が来てないんですよ。見てわかりません? それとも脚だけじゃなくて老眼を治したほうがよかったですか?」
「……面白いことを言う」
無表情な顔のこめかみがピクリと動いたことを弟子は見逃さない。
見れば彼の右手も剣柄に添えられていた。
帯電した空気を察知して周囲が一歩後ずさりする。遠くでゾブラがため息を吐いた。
まだ少し冷たい風が一筋通り抜けた後、マーリンの剣を持つ手が動いた。思わず反応したヨウだが、直後に驚きで硬直する。
―ベルトから抵抗なく抜けた剣鞘ごと、マーリンがこちらへ放ってきたのだ。
がしゃり、と音を立てて手に収まった剣を見、ヨウは戸惑ったように放り投げた本人を見た。
「餞別だ」
「え? いや、でも」
「ベルトはお前の趣味に合ったものを買え」
既に彼からは新しい剣をもらっていた。魔素の滞留しやすい素材が混合された片手剣。使う者を激しく選ぶ剣である。決して頑丈ではなく、正しく『遍』を行使できる人間しか本領を発揮できない一振りを、ヨウは譲り受けていたのだが。
そっと鞘から抜くと、刀であれば脇差に近い短めの剣身が姿を表す。
周りの人間から、うわぁ、という声が漏れた。
それほど美しい造りの剣だった。
「それに実用性はない」
矯めつ眇めつ眺めていると、マーリンが不思議なことを言った。
「え?」
「言った通りだ。その剣に実用性は皆無だと言っていい」
「剣なのに?」
「そこらの兎すら捌けん可能性もある」
ではなぜそんなお飾りを渡したのか。
そんな疑問は当然だったのだろう。言葉にするよりも早くマーリンが真っ直ぐこちらを見ていた。
「それは下賜用の模造剣だ」
ピンと来ていないのはヨウだけでなく、周囲からもハテナマークが乱れ飛ぶ。しかし離れた場所にいたゾブラの隣、ユウラが口を手で押さえて激しく反応した。
「ハルマート領地を治める辺境伯から贈られる褒賞剣だな。俺の名前とNoが彫り込まれているだろう」
「え? ああ、たしかに」
たしかにと言ったが、未だに彼の行動の意味するところが曖昧である。
「お前がこれから先進む道の途中で、ハルマート領を通ることもあるだろう。発展した領地でもあるし、特に領地最大の都市である『前衛都市ウィーロント』は開拓者のメッカだからな」
「はあ」
そこまで言ってマーリンは、自らが渡した剣を軽く指差した。
「しかし同時に貴族の強い社会でもある。権力だけでなく、武力という意味でも、ハルマート領貴族の騎士の力量はすさまじい」
「……俺と関係ありますかね」
「ある」
自分としては当然という感じの疑念を投げかけた瞬間、マーリンは断言した。
「正確に言えば、いずれそうなる」
「……」
「そう。いずれもしかしたら、という話だが。武力とは関係の無いところでお前は窮地に陥るかもしれない。進退窮まるかもしれない。権力は昨今民を助くためでなく押さえつけるために行使されるからな。そんな時にその剣は役に立つかもしれない。俺の名前を出し、褒賞の剣に誓って自身の言葉の正しさを語れば、聞く耳を持ってくれるかもしれん」
「……かもしれない、ばかりですね」
「そうだ。つまり、お守りと思って持っておけばいい。大して重くはない」
褒賞の剣という事はつまり手柄を立てた褒美として領主から頂戴したものだろう。
(一介の開拓者に贈られるものなのか)
ハルマート領は辺境伯の領地と言った。辺境伯と言えば欧州近世では上流階級の中でも上から数えたほうが早い爵位のはず。そんな領主がわざわざ下賜するとは、マーリンがよっぽどのことを成し遂げたのか。
それとも何かあるのか。しかし今聞くのは野暮だろう。そう思って俺は一言返すだけにとどめた。
「ありがとうございます」
「ああ」
そう言うと、マーリンはその場から離れてゾブラの方へ歩き始める。
あっさりとした別れだった。彼らしい。
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「待たせたな」
「ハンザさん」
人混みが割れた方向に目をやると、ハンザ他数名がこちらに近づいてきていた。父から一歩下がって歩くゼンジと目が合ったので目礼する。ゼンジの隣にいるのは母親だろうか。と見当をつけた後、ハンザの隣を歩く最前列の人物を注視した。今まで一度も見たことのない人間だった。
「この度は色々と便宜を図っていただいてありがとうございます」
「礼は必要ない。こちらにも思惑はある」
正直な返答にヨウは笑い、そして隣の人を見つめた。ニコニコと愛想のよさそうな―
(……女性、か?)
ターバンのような砂埃除けの被り物で頭の半分以上が覆われているため遠目だと分からなかったが、整った顔の造りと長いまつげ、細い首筋に性別が表れていた。
俺の視線を受けて、ハンザが紹介するように二人を向かい合わせた。
「間に合ってよかった。昨日着いたばかりだったから紹介が遅れたが、こいつがお前をフーフォンテまで送る役目を担う。私の遠縁にあたるハルヒだ」
「え?」
ハルヒ、という日本人のような名前と行商が女性という事実がヨウから素っ頓狂な声を上げさせた。
それを聞いたハルヒという女商人が「アハハ」という笑い声を上げた。今日の空のような声だった。
「よろしく! 若すぎだけど既にいい男だねぇ」
ずいっと差し出された手を反射的に握る。
「……よろしくお願いします」
思った以上に逞しく荒れた手のひらだった。
(思惑ってなんだ?)
少し嫌な予感がした。




