偽善者という善人
久しぶりに更新したら呼んでくれる人が多くて嬉しかったです。
ありがとうございました!
最近のハイシェット村には耳慣れない声と音が早朝のさらりとした冷気に混じって木霊していた。
「次」
「はいっ」
藁が薄く巻かれた模擬剣がぶつかり合い、芯を喰った時の鈍い音が幾度となく響く。農作業の合間に見学する者も多いのか、時折悲鳴の入り混じった歓声が果て無く青々と広がった空に咲いては消えた。
「次」
「お願いします!」
今は模擬戦ではなく、指南役の一人がずらりと列を成した指南希望者に稽古をつけている。多少ブランクのある講師役であり、本人曰く自身のリハビリも兼ねているという事であった。しかし。
「「つええ……」」
戦法も剣術も無いノーガードで殴り合う村人同士の模擬仕合が一番盛り上がると考えられていた。しかし、ただの指導の観戦者も徐々に徐々に増加していく。遊びが仕事の少年少女も休憩時間に立ち寄った大人達も、指南役が繰り出す剣術に釘付けになる。詳しいことは分からない。分からないが目が離せない。
マーリンの剣は別格であると誰の目にも明らかだった。
ハイシェット村では長らく行われていなかった剣の稽古。脚の不自由さ故フットワークの重かったマーリンが村にほぼ常駐していたためその必要性も薄かったが、ゾブラや一部男衆からは未来の不安も絶えずあった。
マーリンがいてくれるうちは良い。しかしこの男は本来村にいるのがおかしい存在であり、それ故いつかハイシェットを出て行く可能性は捨てきれなかったのだ。
しかしマーリンの本職は『魔状者』。後継者など、村の中から見つけることなど不可能に近かった。
しかしそれも以前の話。
遠目から稽古を見ていたゾブラは目を細めて頷く。脚が回復したマーリンがハイシェット村に帰ってきた翌日。ゾブラの家の広間にて、男衆に向けて脚が治ったことを極めて簡素に報告した後、目を見開く全員を無視して「これからはハイシェット村の自治力をつけるため、希望者に剣術の稽古をつける」と宣言したのだ。
それから今日まで、希望者は増えこそすれ一向に減ることはなく、皆熱心に稽古をつけてもらう日々が続いていた。
「次は、お前か」
「……よろしくお願いします」
次にマーリンの前に進み出た若者を見て、周囲の人間がざわりと揺れた。
しかしマーリンは他の村人の時と変わらぬ半身の構えのまま、ゆらりと模擬剣を揺らして若者―ゼンジを誘った。
ゼンジは浅くなりそうな呼吸を意識的に深呼吸に切り替える。
と同時に地を蹴り、長足の一歩を踏み出してマーリンに肉薄した。下段からの切り上げで剣を持つマーリンの右腕を狙い打つ。しかしマーリンは焦らない。少し腕を引いて手首を返し、その動作の流れのまま体勢を少し低くさせる。それによって右腕に迫る下からの一閃に模擬剣を滑らせ、気味悪い程滑らかに上に弾いた。最小限にしか見えない動作で剣筋を逸らされたゼンジは間髪入れず後の先が飛んでくることを察知し、逸らされた剣を無理矢理強く引き付けて斬撃をキャンセルすると、全力の力を足裏に込めて大きく後ろに飛び退いた。始動直前だったマーリンの剣はしかし、素早いゼンジの回避を見て取り動きを止めた。
今までの稽古では好きなように打たせ、その全てを防いだ後に一撃で屠ってきたマーリンが今回は勝手が違いそうだ。そのことに気付いて周囲が俄かに温度を上げる。
しかし当人であるゼンジに盛り上がりを感じる余裕などない。
浅い呼吸と早い鼓動でこめかみが轟く。マーリンの構えは先ほどと変わらない。しかし先ほどの攻撃は驚くほど軽くいなされた。単純にマーリンから見れば速度が足りないのだ。同じ土俵ではない。才能だけでは説明できない、圧倒的な修練の差を感じながら再びゼンジは敵地へ飛び込んだ。今度は半身構えの死角である背中側ではなく、あえて懐側に侵入する。
前へ突き出された剣は明らかに防御用なのだ。ならば一撃目で有利な状況に持ち込むことができれば。二歩目で懐側から今度はマーリンの半身に正対する位置へ侵入する。この動きにマーリンも驚いたか動きがない。
剣術の中で最小動作の最速は何か。―それは刺突だ。
マーリンに近づく動作に模擬剣を体に弾きつける動作を混ぜ込み、内側から外側に向かってひねり出すように突きを繰り出した。遠慮など皆無の刺突は構えられた剣の脇をすり抜けて一直線にマーリンの顔へ向かう。一瞬の思考の中で「当たる」と脳が叫んだ。その瞬間、前のめりになっていた身体が突如襲った激痛によって視界が一瞬暗くなる。そしてゼンジの剣がマーリンの頬の傍をすり抜けていくのを見た後、耐えきれずに膝を折った。
周囲がどっと沸く。ゼンジは自分の痛みの場所を探り、右脇に激しい痛点があることを知って状況を理解した。おそらくマーリンは剣突を躱す動作と同時に剣を返して剣先を相手に向けた。自分の放った剣先しか見えていなかったゼンジは己から相手の剣に突っ込んでしまったのだ。
「ありがとう、ございました」
「……ふん。次のやつ、来い」
痛みを堪えてその場を後にするゼンジを視線でチラリと追った後、次の者に目を向けたマーリンの口の端は微かに笑っていた。
――
「大丈夫ですか?」
「……お前か」
顔をしかめながらも「大丈夫だ」と返した後、座り込んだゼンジの隣で立ったまま稽古に目を向けたヨウは、そのまま二人でマーリンの動きを見つめた。
「相手にならんかったな」
ぼそりと呟いた声にヨウは顔を向ける。ゼンジの目が稽古から離れないのを見て、ヨウも視線を前に向けて返す。
「場数の違い、て感じでしたね」
「それもデカいが、やはり絶対的に速度が足りないんだろう」
少し逡巡したが、ゼンジの声音から判断してヨウは素直に頷いた。
「そうですね。それは否めないかと」
「長く実戦を離れていたオヤジにさえ、この体たらくだ。先は長い」
彼の言う「先は長い」とは賠償に使用した金を返済するまでの道のりの話だろう。ゼンジがヘケット村に対してどのように罪を償おうとしているのかは聞き及んでいる。
行動を共にしていた弟が死に、借金は正しく足枷。復興作業にも時間を取られる。親の金に頼りながら開拓者として生きていた以前よりも、圧倒的に不自由。
だが、今隣にいる男は初対面の時よりずっと余裕があるように見えた。
やにわにゼンジが立ち上がる。ヨウの視線よりも少し高い位置にある目と目が合う。
「行くんですか?」
暗に「やめておいた方がいい」というニュアンスで話しかける。マーリンは今、基本もなっていない村人達との稽古で怪我をさせないよう立ち回っている。その中で割と酷い打ち身を食らったゼンジは、それだけマーリンに本気を出させたとも言える。ただ怪我は怪我なので今日は痛みが治まるまで安静にしたほうが良い、と忠告しそうになった。しかしそれは、ゼンジの強い視線の前に飲み込んだ。
「もう回り道などせん」
短いが、他人には推し量れない決意が込められた言葉だった。
「それに今日は親父への報告のために帰ってきたが、基本俺はヘケット村だ。マーリンとの手合わせの機会を易々と逃すわけにはいかんしな」
「……そうですか」
それはそうと、というようにゼンジは話題を変えた。
「お前は、いつ出るつもりだ」
まるで決定事項のように言われヨウが首を傾げると、ゼンジは少し呆れたように続ける。
「俺に仲の良い奴などいないが、それでも噂くらいは耳にする。マーリンが早々に自衛力を強化しようとしているのも、おそらくお前が気兼ねなく出ていけるようにというのもあるんだろ」
その通りであったので「まあ、そうですね」とヨウは返した。
「フーフォンテまで行きます。あ、そうだ。ハンザさんとこの行商さんにもお世話になりますよ。フーフォンテと繋がり深いので載せてくれるのは助かります。着くまで正味二十日くらいですっけ?」
「行商の馬車ならそれくらいだな。お前が護衛も兼ねるなら、父はこの機に乗じて高値の物をしこたま乗せるだろうな」
少し笑ったゼンジにヨウは苦い顔をした。
「本人からも言われましたねそれ。『もし旅の途中で盗まれたとしても稼いで返してくれればいい』ですってよ」
「ある意味信頼されているな。羨ましいことだ」
「そう言えば、仕入れ担当でもある御者さんはハンザさんの親族ってことでした。まだ若いから『仲良くしてくれ』ってなぜか念を押されましたけど」
そこでゼンジの動きがぴたりと止まり、顎に手をやって考えるポーズになった。
「仕入れ担当で親族の若いやつ、か」
一人で納得した後、何とも言えない顔でヨウを見つめた。
「父はなんというかまぁ、貪欲な人間だからな」
「?」
「将来有望な人間と強い繋がりが欲しいんだろう。とりあえず、俺とは違って悪い奴じゃない。変わってるがな。そいつは道中色んな意味で危険だが、お前がいるなら安心だ」
「少し話が見えないんですが」
ヨウの疑問には応えず、ゼンジは屈伸しながら「そろそろ行く」と言いつつ稽古の準備を開始する。
不満顔のヨウだったが、そこで別のことが気になった。
「ゼンジさん」
「『さん』はいらん。なんだ」
「あー。打ち身の跡、見せてくれませんか」
少し驚いた顔をしたが、ゼンジは素直にシャツをめくった。
そこにはうっすらとした赤い跡が残っていたが、青黒い痣でもなく確かに大したことのない打撲に見える。しかし先ほどの試合を見る限り、結構な強さで突かれたはずだった。
ゼンジは魔状者であるがその才は残念ながら乏しい。にも関わらず、今目の前で見せたこの回復力は魔状の高い素養を感じさせた。
「ごく数日前からだ」
「俺も訳が分かりません」という顔でゼンジが話し出す。少し前から魔素の循環がいつも以上に感じ取れることに気付き、一日数回程度が限界であった『巡』の行使時間が飛躍的に延びているのだと。
「お前の治癒魔状が効きすぎたのかもしれん」
「ゼンジさんにはしてないでしょ」
そうだったな、と少し笑って呟いた後、ゼンジは下を向いた。
そして、下を向いたまま深く頭を下げた。
「……すまん」
「何がですか?」
「お前は、俺のせいで『及』を使えなくなった。なのに俺は……」
ここまで吐露したところで、ゼンジの言葉は強い鼻息に蹴散らされ、思わず上を向いた。
「『俺の魔状が消えればよかったんだ』とか言われそうだったのでつい」
反射的に「すまない」と言いそうになったが、それは目の前に突き出された手によって阻まれた。
「そういうのはもういいんです。原因は何だろうが終魔状を使うと決めたのは俺です。ゼンジさんは別に関係ないんですよ」
その言葉にゼンジは詰まる。償いの余地があるということ、精算できる機会があることは幸運なことだ。しかしヨウは、ゼンジの後悔に付き合ってはくれなかった。
そうして再び下を向いてしまったゼンジを見たヨウは、少し逡巡した後つぶやいた。
「俺は『偽善』は嫌いじゃないけど、『偽善』って言葉は嫌いです」
唐突な言葉に面食らったが、ゼンジは口を挟まずに耳を傾けた。
「さらに言うと、善い行いを見て『偽善だ偽善だ』と鬼の首取ったみたいに騒ぐ奴らが一番嫌いです」
ゼンジはどこか耳が痛かった。記憶にはないが、過去の自分が言いそうな言葉であったからかもしれない。
「偽りの善も真の善も、受け取った側にとって善ならばそれは同じく善行です。結果が同じならば、俺はどちらも素晴らしいことだと思ってます」
斜め下を見て話していたヨウが、そこでゼンジを見た。
「ゼンジさん、もし俺に何か返したいと思っているならば一つお願いします。あ、これは強制力も何も無い本当にただのお願いです」
「! なんだ。なんでも言ってくれ」
食い付いたゼンジに向けて、ヨウは言った。
「今まで悪い事してきた分、今度は善い事をして生きてくれませんか」
「……は?」
「別に難しく考えなくてもいいんですけどね。ただの心がけです。『一日一善」、てこっちにはないか。別に改心する必要はないんです。巷で言うところの『偽善』でもいいので、これからは善い行いを心掛けて暮らしてみてくれませんか?」
ヨウがこのようなお願いをする意図が掴めなかった男は混乱した。恩人のお願いだ。やれと言うならばやる。むしろお願いをしてくれて嬉しい限りではあったがしかし。
「お前の願いなら必ず守ろう。……しかし、それでお前に何の得がある?」
当然のことを聞いたはずだが、ヨウは悩んだ顔をした。
「別に俺に得がある訳じゃないですけど。まぁ、俺含め皆が喜ぶんじゃないですかね。ゼンジさんは俺に恩を返せる。周囲は喜ぶ。みんなが得です」
ゼンジはそれ以上ツッコむのを止めた。
「わかった。お前がそう望むならば。まあ、善人になれと言われるより百倍楽だろう」
そう言うと、「マーリンが疲れて止める前にもう一試合お願いしないとな」と言いつつ歩き始めた。たった今一生モノの十字架を背負わされたはずなのに、その背中は随分と軽そうだった。
「順番は守ってくださいよ」
「当然だ。今日から俺は一生偽善者だぞ」
そう言い合うと二人は笑った。




