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混合上級魔状は名称も長い

 魔子に匂いなど無い。にも関わらず、もう無視出来ないほど危険な香りが沼から湧き出ていた。

 感付いた魔獣が、狂乱とはまた違う焦ったような様子で我武者羅に抜け出そうと試みる。


 しかしそれはヨウが許さない。


「出るなら十数えてから!」


 高く跳躍して真上へ到達後、沼に気を取られていたベニメリヌの脳天目掛けてダイブし、勢いのまま唐竹割りをお見舞いして沼へ再び押し戻した。激しいノックバックと大きく軋んだ剣の損傷の割に大したダメージは与えられなかったものの、この場へ留まらせることは成功した。



「……ご苦労だった。そろそろ行くぞ」


 ヨウが魔獣から離れたことを確認しマーリンは呟く。



 これはヨウも知らない魔状。ヨウの思考に触れ混合魔状に適性と可能性を見出したマーリンが改良した上級混合魔状。

 沼は支援のための魔状ではない。むしろより大きな魔状を咲かせるための土壌だった。


――


 突如、ベニメリヌの周囲のみ泥が窪んで潮が引くように地面が(あらわ)になる。

 半身まで泥に漬かっていた熊の魔獣は、周りから一斉に泥沼が距離を取ったこの現象に、凶悪な能力値とは不釣り合いの不思議そうな顔をした。



「―すげえ」


 (えぐ)れた地面の中心部にはベリメリヌ。いつの間にか周囲にはドーナツ状のまま揺蕩(たゆた)う黒い魔泥。この異様な光景以上に、考え抜かれた魔状で以て、これほど美しく魔獣を包囲してみせたマーリンの巧緻な過程(プロセス)にヨウから思わず声が漏れた。



「那由多の峰尖(ほうせん)をくれてやろう。 ―『泥呑ノ槍衾(でいどんのやりぶすま)(エンミオッハ・エ・ルーテミシモ)』」


 呟いた直後、円環状の牢獄から内側に向かって生物の如き槍が無数に咲き回避不可避なほどの速度と量で魔獣に殺到した。

 まさに槍衾(やりぶすま)が、逃げ場の巨体を穿ち食らい尽くす。


 硬い肉を刺突する音と黒光りする無数の槍に埋め尽くされ、ベニメリヌは最初に一瞬だけ声を上げた後沈黙した。


「いや、エグすぎでは……」



 つい零してしまうほどの暴虐ぶり。

 これがマーリンの上級魔状。中世の『鉄の処女(アイアン・メイデン)』ほどに残酷で無慈悲な魔状だった。



 ヨウは警戒しつつ、かつて沼だった場所の(ふち)に立つ。陥没した地面には泥ではなく湿った土と、そこに半身以上埋もれたベニメリヌが在った。泥ではなく土に戻ったのは、魔子によって泥を無数の槍に形状変化させたためだろう。魔子によって硬質化と固定化双方を成立させては消費率が高すぎる。ならば自然法則として泥同士を強く密着させたまま水分を抜き「乾燥」させることで強度を強め、それを魔子でコーティングか硬化のサポートをしたのではないか。であれば今土に戻ってしまったのも納得できる。



「事後に改良の余地があるだろう」

「マーリンさん」


 近づいてきたマーリンに気付いてヨウは振り返った。


「完成系は泥の槍が硬さを保ったまま刺さり続け、どんなに強靭(タフネス)で巨体の魔獣でも逃がさないようにすることだな」

「充分地獄絵図でしたけどね」

「改良版を実践で使用するのは初めてだった。これほど上手くハマるとはうれしい誤算だ」



 動かない魔獣を見る。もはや微動だにしない。

 そう言えば、とヨウは思い出す。「お前が決めろ」と格好いい決め台詞を言った割に決めてしまったのは本人だ。文句の一つも言ってやりたかった。

 しかし、今は怪我人の様子が気になった。


「あの、クレアが酷い怪我を。骨が折れてそれが傷口から……。 あと馬車のほうはどうだったんですか? クレアや村長は?」


 矢継ぎ早に溢れる言葉がマーリンの耳を打つ。


「……クレアは鬼子だ。程度にもよるが、普通の人間とは比較できんほどの自己修復力がある。折れて突き出した骨も、骨接ぎさえ誤らなければ元に戻る可能性はある」


 聞いて、思わず溜めこんだ熱い安堵の吐息が漏れた。


「よ、よかった……すごいですね鬼子って」

「しかし、その治療を行える人間が村にいるか。無理矢理骨接ぎするにしても、想像を絶する痛みだろう。……何にしても早めに治療しなければ歩けなくなるかもしれん」


 再びヨウの息が止まった。


「っなら、早く治療させないと。医者なら俺が走って連れてきます。 ―あ、に、荷馬車の方は? 誰も怪我してないですか?」


 どうかそうあってほしい、という願望から来る質問だった。


「……村長とロイは無事だった」


 返答の意味を一度飲み込んだで頷こうとした後、何かが歯に引っかかってもう一度咀嚼した。


「クレアは?」


 クレアが登場していない。


「止血はした。急げば死にはせん。しかし、もう、右腕が元に戻ることは無いだろう」




 ―地面が(かし)いだ。


 実際に傾いたのはヨウの身体なのは、もちろん承知していた。


「馬車に三人いてあの斬撃が誰にも直撃しなかった事は、本来であれば奇跡的と言っていい事ではあるが、な」


 そうだろうか。そもそもクレアは。


(クレアは俺がいなくても立村祭に来ただろうか)


 己惚(うぬぼ)れているのかもしれない。しかし経験値は未だ新しい身体に蓄積されており、心の機微を読むことはそこらの少年よりも長けている。


 転校生に憧れるような、淡い気持ちであるはずだ。

 それでもクレアがこの村に来た理由の一つに、自分の存在はあった気がする。

 気持ちなどわからない、と言えるほど無責任と鈍感を気取ることは、ヨウの中の波戸(はと)陽路(ようじ)が許しはしなかった。



 眩暈を抑えるために、きつく目を瞑る。 ―いっそ、本当に地面が崩れてしまえと思った。





 もう終焉の空気の中、土にまみれ機をうかがう存在にまだ二人は気づいていない。


 『狂乱』状態は「瀕死の魔獣が激情の発露によって陥る状態変化」である。

 ―今ついに、魔獣は瀕死の状態に陥ったのだ。

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