Bump Of Chicken
―避け、いや!
脳とは別の何かで下した結果に従い、思い切り力を込めて振るわれた右掌を止めるために剣を打ちつけた。
後方に吹き飛ばされるが相手の攻撃も止めた。と同時に、間を埋めるようにクレアの大剣が突き込まれる。恐ろしい膂力により鋭く伸びた剣身は、嫌がって受けようとしたベニメリヌの掌を掠め、指と指の合間から少なくない血潮が飛ぶ。
しかし魔獣も怯まない。どころか鮮血が舞うたび一層激しく暴れ回る。暴風のように真横から降り注ぐ風刃の嵐。時間が経過するごとに段々と広範囲に被害を及ぼすようになったそれは、なるほど自然災害と言われても今ならば納得できた。
だがクレアもヨウも、各々に合った方法で災害級の波状攻撃をやり過ごす。
クレアは自分に向かってくる風の刃に剛剣を叩きつけて圧砕することで活路を開く。ヨウは『巡』を使用して敵の攻撃前に瞬間的に距離を取り危険地域から離脱。それでも逃げ切れない爪撃だけを相手取り、反応速度に物を言わせて躱してみせた。
ベニメリヌは『クラス5』のハイクラスな魔獣だ。それは疑いようもない事実である。
本来金等級以上の連に依頼する魔獣に対し、開拓者でもない二人の若者のみで間違いなく対等に渡り合っている。その異常な事実を静かな驚愕と共に理解していたのは、ここではマーリンとゼンネルのみだった。
人智を超えた魔獣の力に対し、鬼の如き膂力と計り知れぬ天稟が、数えきれぬほどの激突を繰り返す光景。
そのある意味完成された戦場の隅にぬるりと紛れ込んだのは、強大な三者と比較すれば塵芥ほど矮小な存在だった。
――
苛烈な戦いの中で真っ先にそれに気付いたのはベニメリヌだった。
「「!」」
攻撃を中断し、急に後ろを振り返った魔獣に二人は訝しみ、そしてベニメリヌの後方にいた存在に驚愕した。
「ぁああああああ!!」
自身の持つありったけの『巡』を行使して敵に特攻したのは。―やはりゼンジ。
かなりの速度で飛び込んでくるゼンジに対して、ベニメリヌはその場から動かず、逆に待ち構えていた。
ヨウの頭に不快で大音量な警戒音が木霊する。
背中に斬り込むかいや彼のほうが速いあいつなにする気だ―
渾身の袈裟斬りのモーションに入った瞬間、熊の魔獣はその大きな顎を千切れんばかりに開く。
ゼンジは止まらない。毛皮で覆われた分厚い装甲のような胸目掛けて飛び込み、迷いのない直線的な動きから見事なスラッシュの軌跡で一閃した。
―ゼンジの捨て身の剣閃は確かに当たった。毛皮は裂け、筋肉の装甲には、うっすらとした一筋の傷跡が刻まれる。
「!?」
だが、それだけだった。
人間の胴ほどの太い腕が、まるで感動の再開場面のようにゼンジを抱きすくめる。
がばりと空いた口腔から超至近距離で狂気と歓喜の大音声が響き、ゼンジの耳は機能を失う。
「ヤメろおぉ!」
気付いたクレアから絶叫が漏れるが、無常にも開いた口はゼンジの頭に取り付き、茸の傘だけ噛み切るように躊躇なく閉じようとした。
「―『添え撃ち』」
いつの間にか背中半身に飛びついたヨウの側頭部に添えた手から、頭蓋を芯から破壊するような衝撃波が撃ち込まれる。
本能のまま仇の頭部を喰い千切ることに意識を奪われていたベニメリヌは、突然襲った脳を揺さぶる衝撃に思わずたたらを踏み前後不覚の状態に陥った。
「早く逃げろ!」
ヨウの切羽詰まった声はしかし、耳から血を流し三半規管が異常をきたしたゼンジには聞こえず、ふらついて離脱行動を取れない。
そして、ベニメリヌの執念はこの程度では揺らがなかった。
定まらぬ焦点の中でも紅目は取り零した男の存在を補足する。
ただ目の前の仇に叩きつけるためだけに、今度は魔獣が渾身の力を用いて掬い上げるように右掌を振り抜いた。
その瞬間、今度はクレアがゼンジを直撃範囲から蹴り飛ばし、自分もすぐに離れようとする。
しかし地面を抉りながら縦方向で撃たれた巨大な空間斬撃は恐ろしいほど疾く、横っ飛びしたクレアの足を逃しはしなかった。
「―ぅぎ!」
咄嗟に硬質化した鬼子の肉体だが無傷で済むはずもなく、折れたふくらはぎの骨が皮膚を突き破り、開放骨折した箇所から夥しい血が溢れ出した。
「クレアさん!」
地面に生えた緑色の草木が赤黒く染まるほどの出血に気が動転し近づこうとしたヨウを、クレアが手で制した。
「私はいい! 鬼子舐めんな! それよりも熊だろうが!」
一瞬忘れていたヨウが急いでベニメリヌを振り仰いだ瞬間。
熊の魔獣は靴を口に咥え一瞬倒れたままのゼンジを一瞥した後、重々しい地響きとともに走りだした。
向かう先には ―崩れ落ちた荷馬車と、その瓦礫を取り除くマーリンの姿が。
ヨウは底を尽き始めた魔素に構わず『巡』を展開し、全力で魔獣の姿を追った。




