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失った片割れ

 マーリンの歩き去る足音が聞こえる。

 魔獣に殺されるやも知れぬ危険な場で、現に弟が殺されても、あの元魔状師は変わらなかった。


 変わらず、俺を見なかった。


「選ばれた側」であるはずの自分。凡百とは違う特別な存在。今は『巡』しか使えないが、それでも大多数の人間が生涯持つことのない能力を生まれながらに宿した自分は、明らかに周囲と比べて別格の人間であるはずだった。


 しかし、誰からも畏怖され羨望される側である想像の己からは、年々と日を追うごとに離れていった。


 都市でも大した依頼を任されず、誰にでもできる仕事をこなさねばならない毎日。

「魔状」持ちの俺がだ。

 簡単な依頼などやる気にならず、さりとて選り好みしている内は等級も上がらない。たまに発生する大型の案件に参加できたとしても、重要な役割など割り振られず不満は募るばかり。そうして時が過ぎるほどに自尊心と等級は乖離していき、いつしか彼の言動を信じ将来に期待し慕う人間など、弟以外にいなくなっていた。その事実が余計に彼を、(のぼ)った梯子から降りることを拒否させた。


 横たわるジンを見つめる。


 ―愚かな弟だった。


 しかしゼンジはその愚かさを(てい)することはしなかった。ある種無邪気とも言える兄への信頼は、ジンの愚かさによって成り立っていた。馬鹿な弟を時に叱責し引っ張る役割を担いつつ、最期まで離れることができなかった。身の置き所の無い程冷たい世間の中で、唯一と言ってよいぬるま湯だったからだ。


 認めることはできなかったが、彼は弟の愚かさに救われていたからだ。



(……殺す)


 握った剣が小刻みに震える。自分の内の深くにあるジンへの思いに気付いていないゼンジは、この怒りは単純に弟が殺されたことへの復讐心だと思った。



 足に力を入れる。少しふらついたがすんなりと立てた。

 遠くではマーリンが馬車の荷台に登り、ゼブラとリュシーと共に手袋を探している。視線を巡らせると、遠目にも手負いのベニメリヌと互角に戦うクレアとヨウが見える。



 踵を返し、ゼンジはゆっくりと歩み始める。 ―やはり、彼の行動を気に留める者はもういない。


 その現実が、ゼンジは酷く寂しかった。



**********************


「あれ、もしかしてこれですか? なんかたぷたぷしてますけど」

「む。……ああ、そういうことか。助かった。礼を言う」

「いえいえいえ!」


 この凄惨たる戦場に似つかわしくない、華やかとも言える声が荷台の上でなびく。

 停止したハイシェット村行きの荷馬車の中で、荷台に入って探し物を始めたマーリンに、ゾブラとリュシーも協力して手袋の捜索に当たっていた。


「これ革袋の中に手袋が入っているのか? なにか変な匂いもするが」

「おそらく皮を柔らかくするために、手っ取り早く石灰水とそれ用の薬に漬けているんだろう。ベニメリヌの革だ。使えるようになるには手間と時間がかかる」


 適当にガサ入れしたために散乱し放題の荷台。落ちていた厚手の布に手袋をくるみ始めたマーリンにゾブラが疑問をぶつけた。


「包むだけで何とかなるものか?」

「さあ、わからん。しかしやらないよりはマシだろう。荷馬車から出た瞬間にこちらに向かって来てほしいか?」


 革袋に入っている限りその可能性は低そうであるが、脅すような文句にたちまち震えあがって高速で首を振るゾブラを一瞥し、やれやれと言う顔で荷台から降りようとするマーリンにリュシーは思いついたように声をかけた。


「あの! もしかしたらこっち……あれ、どこいっちゃった? あ、あった! こっちのほうが良いかもしれません」


 言って自身の荷物を置いたエリアから取り出したのは弁当箱のようなバスケットであった。


 束の間マーリンの時間が止まる。


「……弁当箱に見えるが?」

「はい! あ、いえ、ふざけてるわけではなくて! えっと、えーっと」


 少し睨むような目を正面から見てしまったリュシーは蛇に睨まれた小さなアマガエルのようにあうあうと喘ぎ、続きの言葉がお空にすっ飛んでしまった。それを傍目から見ていたゾブラは外の様子が気になりつつも涙目のリュシーのフォローに回った。


「悪くないと思うぞマーリン。リュシーが持ってんのは匂い移りを防ぐために、網目の上からアカワ草を煮だして作った(のり)を塗っている。その箱に入れていると、匂い移りもしないし中に入ってる食べ物の匂いもせんのだ」


 リスのように夢中で頷くリュシーを尻目に、マーリンは顎に手を当て考えた。


「なるほど。少々邪魔くさいがいいかもしれん。それほど大きくないしな。……悪かった」


 小脇に抱えるほどのサイズではあるが、把手(とって)もあるので片手で持つこともできる。視線がキツかったことを自覚しているのか、目礼と共にリュシーに謝ったあと、受け取った籠に皮袋を放り込み、今度こそ荷台から降りた。


「ロイよ」

「は、はい」


 荷台の二人にも聞こえる大きさで御者台へ声を掛ける。


「ここに留まっていてももう良い事は無い。恐ろしさはあるだろうが、魔獣がクレアとヨウに引っ張られている間にできるだけ距離を稼げ。手袋もない今、もう追ってくる可能性は無いだろう」

「そうですか。……わかりました」

「ああ。急げ」


 その言葉に神妙に頷き、ロイは手綱を握り直した。

 マーリンは後ろのゾブラを見やる。ゾブラも同じだった。


「生きて帰れよ」

「善処しよう」


 簡素な言葉に後ろ髪を引かれながらも、ロイの心情を表すようにそろりと動き出した車輪から軋む音が鳴り、それ以上二人の会話が続くことは無かった。


 マーリンは手元の弁当籠に視線を落とす。



 作戦とも言えない作戦だ。

 今から少し離れたところでこの手袋を取り出し、ベニメリヌが気づいたタイミングで森の方向へ放り投げる。


 気を反らせるだけでも儲けものだが、あの靴への執着度合からして、追いかけていったとしても不思議ではない。

 その隙に再度ヨウの雷撃を食らわせ、直後にマーリンとクレアで駄目押しの突貫(アタック)を仕掛ければあるいは―。


 既に腕はもげ、脚に穴は貫通している。『狂乱』状態とて失った血は元に戻りはしまい。


 目の前から少しずつ荷馬車が遠ざかる。


 ―無事であれ。


 心の中でそう言い残し、ベニメリヌが待つ戦場へと振り向こうとした刹那。



 大地の裂ける轟音。

 同時に、死を連れた鎌鼬(かまいたち)達が強烈な風圧を振りかざし、半身を掠めて通り過ぎた。


 弁当籠の蝶番が吹き荒れた風によって弾け、革袋がべしゃりと草の上に落ちて濁った液体が地面に浸み込んでいく。漏れ出した独特な匂いを、一つ残らずつむじ風が巻き上げる。


「……」


 そして激しい音と共に外れて跳ねた車輪が、立ち竦むマーリンの前に(まろ)び出て懐く犬のように足元を旋回し、止まった。

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