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お前が決めろ

 ヨウにも相手を(おもんぱか)る感情はもちろん存在する。


 なのであのベニメリヌが泣いているとしか思えない咆哮で生身の足がインしたままの雨靴を抱く姿をみて、心動かされる部分も事実としてあった。

 しかし彼の脳内はやはり三十一の思考回路であり、まだまだ前世の常識というものが意識に根付いていた。


 再三自分らと村に向けて致死性の攻撃を仕掛け、いけ好かないジンという男の足を切り裂いた魔獣はもはや、彼の中で駆除しなければいけない野生の獣と同じであった。

 悪党にも獣にも、きっと事情や背景がある。国同士の争いが正義と悪の対立ではなく、互いに思惑があるのと同様に。


 そして自分達にもあるのだ。対立する相手を野放しにできない理由が。相容れないならば、人と魔獣は今のところ、互いに離れるか殴って引き離すか以外に解決方法はない。


(なら俺は殴ってでも守る。お前の事情よりかは大切なものがあるし)


 ジャケットの内ポケットから左手で金属片を取り出す。

 マーリンの家から拝借(もちろん許可を得て)した銀製のカトラリーナイフ。その刃渡り部分だ。以前家捜しさせてもらった際に見つけた壊れたカトラリーセットの中からくすねた、もとい頂戴した物の一つである。

 銀は数多ある金属の中で最も電気伝導率が高く、銀と伝導率二番手の銅は他の金属の追随を許さない。

 その壊れた銀製ナイフに練った雷魔をまとわせ、さらに高水準な電気によって形状変化を起こさせないために硬質化のため魔子を消費する。

 エッジの周囲をうねるように白い火花が纏わりつき、原始的な恐怖を呼び起こす音が激しく鳴り響く。


 ここに至って、慟哭をついに止めた魔獣がヨウを凝視した。危険な予感と共に靴を咥えて飛びのいた先は、あろうことか走るのを止めてしまった荷馬車の方向だった。これが計算による行動だとしたら泣いていた割に計算高く、魔獣の知能指数は侮れない。しかし、


「行かせると思うか?」


 本能的なものか、目の端でクレアがゼンジを引っ張りさらに距離を取ったのが分かった。


「貫け。 ―『雷虫(エスミーティア)』」


 乾いた放電音と同時にヨウの手の内に合ったナイフは消え失せ、銀の閃光となって一直線にベニメリヌを貫通した。

 全身の毛先から静電気を迸らせながら、魔獣は痛みにのたうち一際激しく悲鳴を上げた。


――


 凶悪な一撃の後にも関わらず、ヨウは舌を打ちたい気持ちだった。

『雷童子』の再現のように、右ふくらはぎを打ち抜かれたベニメリヌは今地面に倒れ伏している。

 しかし遠目からも痙攣していることが分かる程身体が小刻みに跳ねているにも関わらず、荒い息を吐きながらも口に靴を咥えたまま紅目は爛々と輝き、首をもたげて上体を起こそうとしていた。


(感電に慣れたのか。それとも、正気じゃなさそうな今の状態が原因か)


流砂の刃(オリスヘーク)


 追いかけるように遠目からマーリンが魔状を仕掛けた。凶悪な地面の鮫が剛速でベニメリヌに噛みつく。しかし震える身体で横っ飛びすることでベニメリヌは直撃を避けた。しかし先ほど貫通した右足はその動きについていけず、肉を打つ激しい音が聞こえた。

 砂塵が晴れるとそこには右足から流血しつつもギラギラした眼で仁王立ちするベニメリヌがいた。


 満身創痍の魔獣を中心に据えた視界の隅から、今度はクレアが高速で駆けこんでくる。

 今を勝負の分かれ目と見たか、満足に動けない敵に向かってラッシュを仕掛ける。ベニメリヌも生死の分岐点であることは重々承知しているのか、下半身は動かないものの、痺れる体に構わず応戦していた。

 ちらりと視線をズラすと、ゼンジは横たわる弟の傍で膝をついたまま動かない。満足に治療できない現世では膝から下を斬り飛ばされたあの状況は絶望的だったはずだ。

 おそらくジンはもう。―そしてゼンジも戦線には戻ってこないだろう。


 次に目に付いたのは荷馬車の様子。誰も怪我をしている様子はないが先ほどの場所から動いてはいない。先ほどまで泣いていた魔獣も息を吹き返し、さらに戦闘は激化し始めている。停めた馬車を再び出発させるタイミングを逸したか。


 背後からヨウを呼ぶ声に振り向くと、こんな時でも走らないマーリンがかなり近くまで来ていた。振り返った途端に歩みを止めた師匠に呆れ笑いを漏らしつつこちらから近づいた。


「気づいているか?」

「なににです?」


 目の前まで近づくとすぐにマーリンはベニメリヌを指差した。正確には、ベニメリヌの足元を。


「靴がよほど大事らしい」

「あの靴って……」

「おそらくだが、以前殺したベニメリヌの皮を加工して作っているんだろう。ハイクラスの魔獣ほど性能が良い」


 一瞬だがヨウの顔が不快そうに歪んだ。

 マーリンはその表情を見て少し頷いた後、ヨウの黒い髪の毛をぐしゃりとかき混ぜた。


「……なんすか」

「特に意味はない。 クレアが大変なことになりそうだ。援護するぞ」


 ちょうどクレアが乱れ振るわれた爪撃に大剣を払われて大きくノックバックしたところだった。


 絶叫と共に追撃の空間斬撃が襲いかかる。しかしクレアも長時間戦うなかで自分なりの対処方法を見つけ出していた。

 低い体勢からクレアに当たりそうな空間斬撃にのみ照準を合わせ、裂帛(れっぱく)の気合と共に大剣を斬り上げた。

 激しい音を立てて斬撃がかち合った地点から突風が巻き起こる。


「え、あんなのアリですか?」

「飛ぶ斬撃も魔子で操られた風と考えれば、物理的に散らすことは可能だ。もちろん賭けだったろうが、あいつは勝ったわけだ。根性の勝利だな」


 今までのように大きく飛んで回避すればそこを狙われる。ならばヨウが一度やったように斬撃を躱すか、または防ぐしかない。

 少々荒っぽいが、クレアは一人で飛ぶ斬撃に対抗する術を編み出したのだ。


「だがそれほど持たん。クレアも、大剣もだ。ベニメリヌは今『狂乱』状態でもある。瀕死の魔獣が激情の発露によって陥る状態変化だが、今回は瀕死ではなくともそう(・・)なった」

「なぜですか?」


 早口で話すマーリンにヨウが確認する。遠くでは懐に踏み込んだクレアがリプレイのように吹き飛ばされていた。


「激情のみで変化したということだろう。馬鹿のおかげでな。『狂乱』は通常、一時防ぎきれば命の灯が尽きて勝手に死んでくれるのが常だが、今回はそれが望めないことは解かるな?」


 頷くヨウを確認せず、マーリンは話を進める。


「あの状態のハイクラス魔獣に対して、クレアはむしろ良く耐えている。しかし何時(いつ)この均衡が崩れるかは読めん。 ―今度こそお前が決めろ」


 師匠と弟子の目が合った。


「お前が決めろ。ヨウ」


「失敗しても尻ぬぐいはしてやる」と言うマーリンの顔は本気だった。

『雷童子』により薄くなっていた曇天はもはや元に戻ることもなく、徐々に鈍色から光を透過した薄灰色に変わっていた。

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