空気の読めない男
「ぃぎゃあああああああああ!?」
ぐしゃりと音がし、木っ端のように舞い上がったジンが地面へ落ちる。
同時に、耳を塞ぎたくなるほどの絶望の叫声が辺り一面を満たし、その惨状にヨウとクレアも思わず顔をしかめた。
「ジィン!」
咄嗟の行動だった。
足の無くなった弟を目にし、とにかくジンの傍に行かねば、断たれた二つの脚を拾わねばと躍起になったゼンジは、周囲の敵を無視して転がった脚に飛びついた魔獣へ半ば衝動的に攻撃を仕掛けた。
振り向かぬベニメリヌを好機と見て、後ろから駆けて思い切り片手剣を振りかぶり、脚にすがりつくような姿勢で抱き込んだまま動かないベニメリヌの無防備な臀部に勢いよくスラッシュを描いて斬り込んだ。しかし、巨獣はゼンジの一撃など無かったかのように地に頭をこすり付け、残された片腕で掻き抱くことをやめなかった。
ゼンジは束の間呆然とした次の瞬間には憤怒の顔に変わり、さらなる一撃を加えんとその場で剣を振り上げた時。
―爆発するような轟音の咆哮が、ジンの咽び泣く声を圧して上塗りした。
それはゼンジら兄弟を見つけた際の憎しみと歓喜を込めた吠え声ではない、天に向かって哭くような声音であった。
――
「……足ではなく、靴か?」
ゆっくりと移動しながら遠目の情景を観察しながらマーリンがポツリとつぶやいた。
(確か、ジンは雨天用の靴に履き替えたとロイに言い置いていたが)
思考を進めるうちに眉根が寄る。あの雨靴の素材が何であるかに思い当たったからだ。
(そうか……。あの魔獣も兄弟。帰ってきた匂いに気付いたわけか)
思わず溜息が出た。少々ではあるが、ベニメリヌに同情の念が湧く。
あれほどの魔獣だ。人里に降りずとも森も統べ平穏に暮らしていけただろうし、事実人間に害を加えず寿命を迎えるまで、森の主としてある種共存して生きることも出来たはず。村もハイクラスの魔獣を危険を冒して討伐するより縄張りを自治してくれた方が何十倍も楽だったに違いない。今回の元凶は、間違いなく人間側であった。
「とはいえ、今お前は害獣となった」
恨みはまだない。しかし人と魔獣が近づいた瞬間に摩擦は起こり、人は、そして魔獣は互いに危険に晒されるのだ。
共存とは共生ではない。ただ共に在り、交わらずに生きる以外に道などなかった。
未だベニメリヌは哭いている。遠く遠くへ響かせるように。
ゼンジはただ圧倒されて手を止めているが、クレアは何か感じ入るところがあったのか剣を降ろして攻めるべきか戸惑っているように見える。それも仕方ないのかもしれない。クレアもゼンジも、マーリンからみればまだ感情と行動を切り離すことのできない子供であった。
―しかしその中で一人だけ空気の読めない者を発見し、マーリンは思わず噴き出した。
(十五の時分は感情移入が激しいというが、お前は違うわけだ)
大気中の魔子が揺れ、マーリンの皮膚をヒリつかせる。今や雨靴に姿を変えた片割れの魔獣を抱くベニメリヌに向けて、既に次の魔状を構築し始める少年を見る目が愉快気にゆがむ。
もしこれが英雄譚の一節であればボツまたは改修されるであろう行動かもしれない。悲嘆に暮れる魔獣の隙をついて魔状を撃ち込むなど、英雄らしくないと批判されるかもしれない。
しかしクラス5の魔獣以下の戦力しかない自分らからすればこの上なく正しい行動だ。
クレアでさえ一時的にではあろうが忘れている。
―魔獣の事情など気にする必要は無い。今殺らねば、村と人が死ぬのだ。
遅れてクレアもヨウの魔状に気付くと、血相を変えてベニメリヌのほど近くで棒立ちとなっていたゼンジに飛びつき襟首を掴んで危険領域から一足飛びに離脱した。
―ヨウの行使できる雷魔状は現在五種。習得を開始した時期を考えれば恐るべき習熟速度である。
彼はベニメリヌが悲しみに身を任せているこの時間のかなり初期から魔状構築に全勢力を注いでいたはず。
しかし雷魔状はヨウの実力と気味悪い程異質な知識を以てしても、そう簡単には簡略化できなかった。
ということは、この時間内で行使できると判断した雷魔状はおそらく―
遠くのヨウが胸の内ポケットをまさぐる様子を目からマーリンは次に放たれる魔状の予測が正しいことを確信すると、自らも追撃の魔状構築を開始した。




