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狂乱

「馬鹿な!」


 マーリンの口から思わず否定の言葉が爆ぜた。

 突然ありったけの憎しみを乗せたような遠吠え(ハウリング)が展開されたと思った矢先、魔獣の紅眼が深緋(こきあけ)のような黒み混じった色に変わり、使役される大量の魔子と引き換えにベリメリヌは理性を手放した。


「なぜいきなり『狂乱』状態に!?」


 だくだくと滴り落ちていた左腕付け根からの血は急速に止まり戦闘態勢に移行したベリメリヌを見止めた後、そのベリメリヌが見つめる一点にマーリンも目を向けて、すぐに理解した。


「どこまで迷惑をかければ気が済むボンクラ共が……!」



 視線の先に居たのは、今まで姿が見えなかったゼンジとジンであった。突発的な咆哮を浴びせられ、ゼンジは棒立ち、ジンに至っては腰を抜かしたのか尻もちをついた恰好だった。

 狙いを定めたベリメリヌは四足歩行の姿勢に切り替えて、兄弟目掛けて疾駆する。しかし左肩から先をごっそり無くしたためかバランスが取れず走りにくそうであり、これまでの恐ろしい程のスピードは出ていない。



 ―どうするか。このままあいつらを餌にして襲ったところを三人がかりで攻撃するのが最適解ではなかろうか。


 そんな悪魔か智神の囁きが聞こえてきたが、這う這うの体で逃げ出した彼らの向かう先が目に入り、マーリンは目を見開いて大声を上げた。


「クレア! ヨウ! 急げ! 荷馬車がある!」


 差し迫っていることを如実に表す余裕のない声に、クレアとヨウもマーリンの見ている先に目を凝らす。

「荷馬車」という言葉によって、二人の視線がヘケット村をちょうど出たところの馬車にフォーカスされた。


「ハイシェットに向かう荷馬車だ! ロイやゾブラが乗っている!」


 ―弾かれたように動いたのはヨウが先だった。つづいてクレアも追走する。


 しかし『狂乱』状態のベリメリヌの脚は片方失っている事に頓着せず徐々に加速し始める。

 兄弟、魔獣、追跡する二人は、図らずも目標地点となってしまった馬車に向かって急速に接近し始めた。



――


 ヤバい。ヤバいやばいやばいやばい―


 フーフォンテでも見たこともない程の巨大な獣が(よだれ)を振り乱して迫ってくる。こちらの顔を未だに覚えていたというのか。

 まさかこれ程執着されているとは思いもしなかったジンは、ゼンジと共にハイシェット村へ向かう馬車に必死で距離を詰める。


 履き替えた新しい雨靴が何故か普段より重く、いつもより前に進まない気がした。


「ロイィ! 待てやコラぁ!」


 御者台のロイが眼に入る。荷台に座っていたゾブラとリュシーと眼が合う。先ほどの咆哮に()てられたせいか足が絡まる。いつも以上に兄に置いていかれる。

 しかしもう馬車は目前だ。このまま荷台に飛び乗れば逃げ切れる。多少慌てたがここを躱せばいつも通りの日常に戻るだけ―


「ジンん! 避けろぉ!!」


 兄貴のひび割れた叫びが聞こえる。避ける? 何から?

 後ろを振り向いた瞬間。黒い塊が低い位置を横切り足を薙いだ。

 

 現実から逃げることに必死だったジンの耳では、近づく足音を聞き取れなかった。


 ベリメリヌの右掌がジンの両足を吹き飛ばす。

 足を掬われて回転しながら宙を舞ったジン。 ―胴体とは別に地面を転がった物体。



 脚部が切り離されたことは、誰の目にも明らかであった。

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