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侯爵家から見えた異常

 ここは東部地方の最大級の都市フーフォンテ。


 元々はさらに深い山間部へと続く道と中央部を繋ぐ中継都市であったが、都市近くの森林部にて強力な魔獣が発生しさらにその他の魔獣も集い始め活性化したことにより、狩り場に近い都市としても発展し始める。今は山間部と中央部の物資が集積し、さらに狩り場からの魔臓供給が豊富になったことから、各地へ魔臓を輸出する生産地としても発展を遂げた、今まさに伸び盛りの都市である。


 この地を治めるのはアイスヴァレー侯爵。

 都市内部でも一際高い塔を持つアイスヴァレー邸の修練上を見下ろせる部屋で、お抱えの騎士団が鍛錬に励む声を聞きつつ留守の当主に代わって政務をこなしているのは、侯爵家次期当主 レイド・アイスヴァレー。

 国の成り立ち故、この王国の王族及び貴族は魔状レベルが一般人の魔状師とは一線を画す。しかし(よわい)二十のレイドにはその言葉さえ余りに足りない。


 開拓者全盛の時代でも貴族の力は強大だ。爵位を持たぬ者にもトップクラスの開拓者は当然存在するが、全体レベルを見れば貴族と庶民上がりの力の差は明らかであった。

 レイドは開拓者として登録はしていないが、国属魔状師を拝命したエリートであり、さらに一握り、いや一つまみ分の人間だけが選ばれる現在最年少の「前衛魔状師」だった。


「くそめんどい……」

「言葉遣いに配慮くださいませ」

「今だけだ」


 次期党首の言動を(いまし)めたのは、執事兼相談役であるべリス。政務にも関わり長年領地経営を支えてきた人物である。

 この老年の執事。実は最年少前衛魔状師となったレイドの剣の師匠でもあった。今でも剣技で言えば実力は伯仲している。そのためこの部屋はフーフォンテの中で一番安全な場所とも言えた。

 さらりとした長い銀髪に美しい双眸。均整の取れた大柄な肉体。まさに代々氷魔状を得意とするアイスヴァレー家を体現したような外見の持ち主はしかし、予想に反して少々大雑把な性格であった。やれやれとべリスが首を振るのに頓着せず、レイドは豪奢な椅子の背に寄りかかり、ついでに椅子の前足を浮かせた状態で、ゆらゆら前後に揺れながら後ろに広がる窓の向こうの空を見上げた。


 今日の空はどこまでも続く雲が満遍なく街を濡らしていた。雨天訓練の声は引き続きこの窓からも聞こえてくる。俺もそっちがよかったな。と脳内で呟きながら意味なく雲の切れ間を探した。


「レイド様」

「わーかってるよ」


 そろそろ雨雲からでなくべリスから雷が落ちそうであることを察知したレイドは、椅子の後ろ足だけでバランスを取っていた体勢を止めて、性に合わない書類仕事が待つ机の上に視線を戻そうと心に決める。


 ―そのタイミングで、彼の広い視野が窓の外のさらに遠くの異変を捉えた。

 

 べリスは怪訝そうな表情をうかべる。


「……?」


 引き際を見誤ることのほぼ無い青年が椅子の前足を浮かせたまま固まっている。

 その彼の視線の先には空。べリスは喉元まで出かかった叱責を一時取りやめて同じ方向に目をやる。


「べリス」

「はい坊っちゃん」

「その言い方やめろ」


 一転して苦々しい顔をした青年と目を交わし、今度は真面目な表情のまま視線で頷いた。


「なんだあれは」

「おや……。レイド様はまだ見たことはありませんでしたか」

「知っているのか?」


「おそらくは」と言ってべリスは再度外を見やる。


 地平線のように広がった雲の絨毯の遠く遠い米粒ほどの一点に、明らかに人為的に(かたど)られたような球体の雲の下半分が地面に向けて突き出ていた。色が周りの雲よりも濃い。高い場所にいる目の良い人間であれば、二人でなくとも見えただろう。


「中級の雷魔状でしょう」

「あれが中級か? 流石、雷魔状は規模がおかしい」

「国同士の戦争や『溢れ(スタンピード)』時において要所で使われるような戦術級魔状ですからな」

「なるほどな。……つまり、どういうことだ?」


 聞かれたべリスは、両方の手のひらを上に向けて肩をすくめるしぐさをした。「わからない」と言外に伝えてきた老執事にレイドは目を瞠る。


「わからないのか? お前が?」

「わかりませんな。あちら側は小さな村しかない地域です。そんな場所で戦術級の魔状が行使される理由は全くわかりません」

「心当たりも無いか」


 その言葉にべリスが顎に手をやって少し俯く。何かあるな、と父親以上に付き合いの深いレイドは感付く。

 必要ならばこの男は必ず伝える。急かすことなく、再びべリスが口を開くのを待った。


「……あちらの地域。まあ辺境と言って差し支えないですが、ハイシェット村という少し大きめの集落があります」

「ふむ?」


 聞いたことの無い村だ。おそらく要所ではない。


「そこに一人、魔状師がおります。一瞬ですが彼の顔が浮かんだと、それだけです」

「そいつが放った魔状という可能性は」

「まあ、ほぼ有り得ないでしょう。彼は土魔状師でしたからね。ただ―」


「―ただ?」


「才能ある人間でした」



 空が束の間点滅した。二人が揃って窓の方向を向く。遠雷が発生したことをフーフォンテの民も気付いただろう。

 光に遅れて届いた音が落雷を知らせる。


「消えましたな」


 先ほどの異様な雲は消えていた。


「ハイシェット村か。その者、才能があるのに田舎に引っ込んだのか?」

「足を悪くしましてね。最初に会ったときは既に開拓者を廃業しておりました」

「しかし、お前が『もしや』と思うほどの才ある者だろう。魔状師であれば、足が悪くとも続けることは可能なはずだが」


「色々と。色々とありましてね。 ―そもそもその男は、本来開拓者を目指す人間でもなかったですから」


 再度レイドは瞠目する。


「貴族だったのか」

「そうではないのですが。彼は、色々とあったのです。私と会った後も、その前も」


 興味の惹かれる話だったが、目の前の老人はこれ以上は喋らない。

 そう悟ると一つため息を吐いた。


「まあ、良い。ただ辺境で中級雷魔状が行使された原因は知っておきたいな。領地管理の一環として誰か派遣してもいいか?」

「問題ないでしょう。私も気になりますので」


「よし」と言い置いて、机に広げられていた書類を脇にどけ、派遣のための新たな書類を作成しだした年若き未来の主人(マスター)にべリスは深く嘆息した。


 そしてほんの一瞬だけ目を閉じる。



 ―彼は。マーリンは。どうしているだろうか。



 できれば、また生き甲斐らしきものを見つけてくれていればと願う。

 フーフォンテを離れる際、既に魔状への情熱は薄くなっていたが、彼ほどの才能は簡単に腐ってはくれまい。土に埋め覆おうとしても新たな芽を出して宿主を急かすだろう。

 

 彼がこの先も生きていれば、必ず戻ってくる。

 マーリンは、生粋の魔状師であったのだから。


(もしくは、また(・・)教師でもしているかもしれない。私と同じように)


 もしかしたら、あの魔状も彼の弟子によるものなのかも知れない。


 夢物語だ。

 しかしそうであったら良いと、瞼を閉じた執務室でべリスは心から願った。

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