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襲来2

 柵の向こうに人影が見えるが、近づけば人でないことが知れる。縦横(たてよこ)とも成人男性以上にデカく、アンバランスに腕の長い猿がうろついていた。

 どうせ相変わらず気味の悪い笑い方してるんだろう。


 加速する。空気の層を無理矢理突き破る音が鼓膜に響いた。

 あと数メートル。こちらに気づいたヒヒが丸太のような腕を振り上げる。


(おせ)えんだよっ)


 弾けるように踏み切った最後の一歩でヒヒの懐近くまで入り込むと、ヒヒの振りまわした剛腕よりも速く、固そうな腹目掛けて大剣を薙いだ。


 まるで抵抗など無いように振り切られた一閃の後、ヒヒの腹から真一文字に血が噴き出す。

 不気味な笑い声を出す(いとま)もなくその場でべしゃりと膝をつき、次いで運良く乗っているだけだった上半身が腕の重みに耐えきれずあっさりと崩れ落ちた。


 特に感慨も無く事切れたヒヒを確認した後、視界に入る中で等級の高い順に魔獣を探す。

 ヒヒが二体。そして、遠くに土煙を上げて警護役を翻弄するエリュマントスが見えた。


「ちょうどいいな」


 エリュマントスが暴れまわる方角線上にヒヒ二体がいた。


 爆発的な跳躍。

 一番近くにいたヒヒに取り付くように近づいたクレアに、ヒヒだけでなく応戦していた少年達さえ驚く。


 再び水平薙ぎの一閃。先ほどのヒヒとほぼ同一箇所に再度直線が引かれたあと、まるでリプレイのように分断され崩れ落ちる魔獣。

 危険を察知し重い足音を響かせ近づいてきた三体目のヒヒを、今度は瞬歩ですれ違い様に逆水平で切り裂いた後、クレアは振り返りもせずエリュマントスへ向かった。


 わずか十数秒の世界で失われた三体の魔獣。残された少年は呆然とつぶやく。


「……()(もん)じゃん」


 昔からクレアは強かった。それは誰もが知っている。認めている。


 しかしこれは違うだろ。これはもう、別次元だ。


 片手間のように斬殺した最後のヒヒの胴体は、辛うじて左側が繋がっているのみだった。あの一瞬の軽い斬動作で、少女は魔獣の太い胴体を骨ごと切断していったのだ。

 

 こんなの、普通じゃない。

 クレアは既に、村人が想像できる範疇外のレベルに達していることを悟った。


 ―味方でいてくれてよかった。

 

 クレアがいれば、どんな魔獣が来ようと安心していられる。

 どんな魔獣が来ようとだ。


 既に巨大な猪に一太刀入れんとするクレアを遠目に見つつ、ふと少年は空を見上げる。


 分厚く暗い灰色の雲から、耐えきれなかった雨粒が一滴二滴と零れ落ちてきた。


――


「おそいだろー」

「いやいや、なんで全部終わってるんですか」


 十秒もないタイムラグで着いたヨウの前に広がっていたのは、点在するバカでかい猿の死体が三つ。そして奥の方で巨大猪をズタズタに切り裂いているクレアの姿だった。

 どこか現実味の無い光景は切り取れば一服の絵画のようであり、一度そう見えてしまうと、上下に分かれた猿の死体でさえ意味ありげなモニュメントに見えなくもない。


(題名は『猪と遊ぶ戦乙女と転がる猿の死体』とかかな)


 ヨウがぼんやりと風景を楽しんでいる間に猪を簡単に片付けたクレアに対して、近づいて労った際の言葉が不満そうな上の言葉だった。


「いのしし歯ごたえなかった」

「そすか」


 食物連鎖の(いただき)の如きつぶやきを漏らしたクレアを白けた目で見、そして再び眼前の惨状を視界に収める。


(同じくらいの実力、なんて勘違いしてたら本当に痛い目みるな)


 以前、ゼンネルに言われた言葉が脳裏に浮かんだ。


――


「一つ伝えておきたいことがあるんだが」

「はい」


 あれは三回に一度はクレアに勝てるようになった頃、夕方の稽古の後にゼンネルに呼び止められた時のことだった。


「最近クレアとヨウくんの実力が伯仲しているから、言いにくいけど言っておかないと、と思ってね」

「なんでしょう?」


「うん」と言ったきり、本当に言い辛そうにするゼンネルにヨウも何事かと緊張する。


「この村にいる限りほぼ無いことだと思うんだけど。……確かにヨウくんの剣の実力はクレアに追いつきつつある。それはとんでもないことだ。ある意味、恐ろしいとさえ思う。けどね」


「これを妹が追い付かれたことに対するやっかみと思わないでよ」と苦笑いしつつ前置きしたゼンネルに、ヨウもなぜそれ程言い難いのかという疑念が晴れたので笑って頷いた。


「この実力の均衡は、(こと)魔獣と相対した場合だと、必ずしも当てはまらないことを知っておいてほしい」

「それは……?」


 と言いながら、ヨウはその理由に少しばかり見当がついた。


「うん。それは二人の流儀の違いだね」


 確かに、クレアとヨウでは戦闘スタイルは対局と言っていいほど違う。しかしそれは力か手数かの差異程度に思っていたので、そこまで改まって言われることかと少し驚いた。


「あくまでヨウ君は魔状師だし、これは剣に限った話なんだけど。特に大型の魔獣と対峙した時求められるのは量より質のことが多いんだ」


 辺境では貴重な、銅級開拓者の意見に耳を傾ける。


「大きい。分厚い。強靭(タフ)。三拍子揃ったような魔獣相手では、手数だけでは致命傷を与えるまでに時間が掛かる。その時二体目三体目の魔獣が来たらどうだろう。ヨウくんならば急所への一撃ですぐに二体目に向かえるかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。急所を保護す魔獣も多い。時間がかかる、ということは(パーティー)にとって、開拓者にとって命に係わる重要なことなんだ」


「……なるほど。それを言われると確かに自分の斬撃の破壊力はクレアには全く及びません」

「性格上か、急所への精確さは既にヨウくんのほうが上だけどね。的が動く中でのあの精密な一閃は、本当に天性だよ」


 ペコリと頭を下げるが、やはり先ほどの話は聞き逃せなかった。


「―開拓者には向いてませんか。俺は」


 ポツリとつぶやいた直後、ゼンネルが腰を浮かした。

 

「そうじゃない!」


 当人としても予想外に大きい声が出たのか、「ごめん」と一言謝った後、真剣な目でこちらを見て一言一句含めるように言う。


「ヨウくん、言いたかったのはそういう事じゃない。ただの心構えだ。対人戦での実力は拮抗していたとしても、対魔獣の場合はクレアの方が向いていることが多い。同じ実力者として均等に魔獣を割り振るのは危険だと言いたかっただけなんだ」


「それに」、とゼンネルは続ける。


「君には魔状があるだろう。これは剣の話だ。むしろ開拓者としての話であれば、クレアよりも君のほうが向いている。……こういっては何だが」


「開拓者はピンキリだ。国が三顧の礼を以て呼び寄せるほどの者もいるが、実態はそこらの盗賊と変わりない者のほうが多い。申請さえ通れば誰だってなれる。だが君は開拓者より遥かに権威ある地位にだって就けるんだ」


「えーっと……ありがとうございます」

「……自分も何の話をしていたのか忘れてしまったよ」


「あ、いえ。最初に言ってくれようとした事は伝わりました。魔獣に対する剣の実力で言えば、決してクレアと同一だと思わないほうがいい、てことですよね」


「そうそう、そういうことだ。クレアと話すとあいつ途中で諦めて勝手に解釈するから助かるよ」


 苦笑いしながらそう告げた後、再度真面目な顔に戻った


「今後ここに居るうちに大型の魔獣に出くわした時は、前衛はクレアでヨウくんは後方支援するのが得策だ。最近何故か、森から出てくる魔獣の数が多い。忘れないでくれ」


「―承知しました。忠告ありがとうございます」



――


「ゼンネルさんの言った通りだなぁ」

「兄貴がなんだって?」


「大型の魔獣に関しては、クレアさんが前衛。俺が後方支援のほうが良いだろう、だそうです」


 聞いた途端、クレアが「むふふ」と気味の悪い声を上げた。ヒヒのようだ。いやそれは失礼か。


「流石兄貴は分かってるね。まあヨウは魔状師なんだし、剣くらいは私に任せときゃいいんだよ」

「お手数かけます」


 上機嫌なクレアから視線を切って上へ向ける。クレアも釣られて空をみた。


「雨、来ますね」

「けっこう激しくなるかもな」


 狩猟活動も多くこなすクレアの天気予報はよく当たる。


「雨戦用の靴を取りに行きたいところですけど」

「今この場を離れるのは嫌な予感がする」


 後ろに目をやると、雨の中怠そうに歩いてくる男二人。

 片割れのジンが、近くにいた村の少年に何事か聞いているのが見えた。と思うと、二人は進行方向を変えて村の方へ歩き出す。

 確かにもう大した魔獣はいない。自分らは不要と思ったか。


 そこに別の少年がクレアとヨウに向かって走り寄ってくる。それほどの緊急性はなさそうだ、と少し安堵しつつ迎えた。


「すみませんヨウさん」

「あ、俺ですか? なんでしょう?」

「もし少し離れられるようでしたら、一度正門に来れないかと村長が」


 クレアを見ると、やれやれというジェスチャーの後「呼んでんなら仕方ないんじゃない」と言った。


「わかりました。向かいます。が、何故呼んだかはわかりますか?」

「あ、はい。ハイシェット村の方が到着したそうで」

「なるほど……?」


 確かにヨウと関連はあるが、今の状況で呼び戻すほどだろうか。


「えーと、マーリンさんがいるようで」

「え!?」

「おー、師匠からの呼び出しかぁ」


 クレアが暢気な声を出す。


「あと『大事な話があるから全速力で来い』とマーリンさんが言っていた、と村長が言ってました。以上っす」


 当然嬉しさもあるが、嫌な予感がする。せめて魔獣以上に厄介でないことを祈ろう。


 見上げるともう青い空はどこにも残っておらず、切れ目のない雲から落ちる雨が目を直撃し束の間ヨウは悶絶した。

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