立村祭1(晴れの日)
常緑樹を踏み分けて、森の若き支配者が動き出す。
予感がする。兄弟を殺した人間が近づいてくる予感が。
なぜだろう。風に乗って兄弟が教えてくれた気がした。
殺意は常に心に。片時も手放したことは無かった。
木々以外に阻むものなど疾うにない。血に溺れた赤い目は、未だ視えるはずもない開拓者達を確かに捉えていた。
**********************
「にぎやかだな」
村長の挨拶の後、立村祭が始まった。
出し物に力比べ、村で提供する料理や持ち寄った家庭料理を肴に、めいめい早々賑々しく盛り上がる。
村の倉庫からは祭事用の酒が振舞われ、出来上がった親父たちの笑い声が澄んだ空に響く。姦しい声を聞きながら、ヨウは柵の外側で見張りをしていた。
匂いにつられてか毎年魔獣や獣が村に顔を出すし、最近徐々に森から村へ出てくる魔獣が多くなっている。もちろん交代制だが警備が必須なのであった。
「あのー」
「はい?」
森と村の境目を見るともなしに眺めていると後ろから声をかけられた。振り返ると少女二人が体を縮こまらせながらこちらを見ていた。
「あの、警備おつかれさまですっ。よかったらどうぞっ」
「あ、はい。ありがとうございます。美味しそうです」
毎度おなじみのトルティーヤ生地には焼いた鶏肉が巻かれており、香草のいい匂いが鼻をくすぐった。
素直な感想を述べただけだが、渡してくれた少女は顔を赤くして勢いよく頭を下げると、「きゃーっ」と言いながら友人の手を強引に引いて離れていった。
ふと柵沿いに顔を向けると、同じく遠くで警護していたウィンから射殺してやると言わんばかりの視線が注がれている。
「ふっ」と笑って見せびらかすようにトルティーヤを口に入れ優雅に手を振ってやると、嫉妬による黒い怨讐を濃密に感じた。もはや魔状ではと疑うほどの気配に晒されつつ、もぐもぐしながら警備に戻る。
雲は多いが青空も見える、今のところ平和な一日である。
今日はハイシェット村からも何名か来るそうで、おそらくゾブラさんなどの村の中心の男衆だろうと予想する。マーリンさんは村に何かあったときのことを考えて、こういう日は残ってもらう気がした。
――
「景気よくやってんじゃん」
「降りるぞ」
村の外からでも聞こえる歓声を聞きつつゼンジとジンが荷台から降りた。
今回もロイの護衛として、立村祭への贈答物を届けに来た。荷台には都市で手に入れた珍し気な食料品。ハイシェット村村長であるゾブラの指示によりヘケット村に運び込まれたわけである。
相も変わらずうんざりするほどの高慢さを以て村長宅へ乗り込んだ後、兄弟は祭りの中心へ向かった。ロイが村に滞在する間はヘケット村の警護役として働くことになっているが、それは建前であることは誰もが理解していた。
酒を飲みつつ女を見つつ歩いていた彼らの目に付いたのは、ひときわ盛り上がる祭場中心地の一角。四隅に立てた柱を支柱に、五本の縄で四角く区切られた闘場で男が組み合って技をかけ合っている。手には分厚く柔らかそうな手甲。口には最近流行っているマウスピースのようなゴム製の口金をはめている。
組み技、打撃ありの闘技であった。
「ほー、闘技じゃん」
「……つまらん仕合だ」
言葉とは裏腹に兄弟、特にジンは強く興味を示した。本人たちは認めないだろうが、数多いるフーフォンテの開拓者の中で目立った戦績を残せていない二人は承認欲求を欲していた。よって、観客が多く自分らより格下しかいない催しレベルの闘技は、彼らにとって絶好の機会だった。
「じゃあ俺が本当の闘技ってやつを見せてやるか」
言いつつ、審判役に尊大に声をかける。
「おいおっさん、飛び入りは有りかよ?」
なんだこいつは、という顔をした中年のガタイのいい親父だが、周りの人間に何事か含められると、不快さを押し殺した顔で問題ない旨を返した。
闘場上には目下三連勝中の大男が次の対戦相手を待っている。この男もまだ若く二十手前であり、自分の可能性を捨てきれない一人だった。
「―あいつがろくでなし兄弟の弟か。たしかに態度でけえ野郎だ」
「おいこら、あんまり滅多な事いうんじゃねえよ。……まあ、お前がボコボコにしてくれることはちょっと期待してるけどな」
「はっ、任せとけよ」
闘場近くにいた友人と小声で話した後、審判役からお呼びがかかった彼は揚々と闘場真ん中へ進む。
同じく歩み寄るのは自分よりも年若いニヤニヤ笑う男。兄弟のことを噂でしか聞いたことの無かった彼だが、中央に向かって歩くまでの間で既に、心底この男が嫌いになっていた。
「よろしくぅー」
「……」
語尾をわざとらしく伸ばす言い方がいちいち癇に障る。
開始直後に一発いれて、秒で終わらせてやる。男は心に誓った。
「それでは両者構えて ―開始!」
開始直後、男が大股でジンの正面からやや逸れた場所へ素早く踏み込む。狙いは左わき腹。踏み込んだ足下の砂から「ぎゃりっ」と音が立つほど強く捻りこみ、力を集約した右拳がうなるように敵へ向かう。
ガードごと吹っ飛ばす気のリバーブロー。いっちょ遊んでやろうと見下していたジンも少し驚いた顔で大きく避けた。
回避することだけに専念したような避け方。態勢の整っていないジンに男が追撃する。追い足で逃げた方向へ踏み出すと、今度は左足で首元の服を掴みにいく。
「ちっ!」
ジンはこれも身体を反らして回避。眺めるゼンジは不細工な避け方にため息をついた。
「いいぞテザ!組んで転がしちまえ!」
「押してる押してる!大したことねえぞ!」
観客もジンの攻められる姿に声を上げる。ここで態度のデカい兄弟が負けでもすれば、この祭り屈指の酒の肴になりそうだと喜ぶ。
しかしその声に反応したのはテザと呼ばれた大男ではなくジンだった。
―大したことねえだと?
貴様ら程度の糞みてえな田舎のごみ屑程度の分際でこの俺を下に見るとは。
ジンの瞳に凶暴な光が宿る。
―楽しく遊んでやろうかと思ったがやっぱやめだ。
「調子乗んなよコラ」
躱しざまに小声でつぶやく。
「死ねや」
かすかに聞こえたつぶやきをテザの耳が拾った瞬間。
突如目の前に拳が迫っていた。
とっさに目をつぶった刹那、下腹部に激しい痛みが突き抜ける。
後ろに後ずさった彼へお返しとばかりに左わき腹へ追撃の拳がめり込む。
「ぐう!」
「まだまだ終わんねえよ!」
体が「く」の字に折れて下がった頭を無理矢理真上にはじき起こすかのようなアッパーカット。束の間の浮遊感の後、重力に従って降りてきた体重を支えるべき足は既に機能しておらず、ガクガクと膝を笑わせてそのまま尻もちをついた。審判役が慌てて近づき、ジンの勝利を告げる。
盛り上がりから一転、遠くの笑い声が聞こえるほど静まった闘場を不思議そうに見回した後、眼前で尻をついて起き上がれない男と目線を合わせるように片膝をついた。傍から見れば敗者に寄り添う紳士的な態度に映るが、ジンの顔が見える側の人間においては、テザに近づけたその表情の醜悪さに怖気が走った。
「よう兄ちゃん」
「ひっ……」
「止めてもらってよかったなぁ。もう少し時間あれば顔に膝入れて鼻潰してやったのによ」
ジンの手が優しく伸び、ゆっくりとテザの鼻をつまんだ。
「っい!」
しかし動作とは裏腹に、鼻骨を的確につかまれた場所から激痛が走る。
「二度と勘違いした態度取んじゃねえよ。貴様ごときがよ」
無言でこくこくと頷くのを確認し、捩じるようにつまんだ鼻先を解放した後、痛みにうずくまった彼をみて満足したように離れていった。
「はい次の挑戦者はー? ちょっと遊んでやるよー?」
心底いけ好かないが、自分では勝てない。そのことが分かっているのか周囲の村人は顔を見合わせるばかりであった。
それを見下したような表情で眺め、しばらくぶりの優越感に浸るジン。
「やっぱ田舎には大したやつはいねえな。相手にもなんねえ―」
「――へえ」
軽やかで少しハスキーな声がその場に響いた。
「じゃあ久しぶりに遊んでもらおうかな。 あー間違ったわ。久々にちょっと遊んであげようか?」
ジンの身体が一瞬硬直する。
「……クレア」
「相変わらず調子に乗ってるみたいだし、もっかい転がして自分の立ち位置思い出させてやるよ」
兄弟に取って二度と会いたくない存在。クレアが、鬼というより猛獣のような気配を振りまいて、闘場へ近づいてきていた。




