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アカメの魔獣

 ―相変わらずだな。


 久方ぶりに護衛として現れたゼンジとジンは、以前と変わらず気に障る性格だった。

 しかしどんなに気に入らない性格だろうと人との縁は不思議なもので、こんな者にもお世話になる可能性は往々にしてある。

 特にこの二人はハイシェット村でも一番の金持ちだ。無下にはできない。


「あーあ、村長ん家って娘とかいねえんだもんな。華ってもんがねえよ」

「はっは。それはすみませんな、むさくるしい男しか生まれず」


 兄弟の隣では行商のようなことをやっているロイが気遣わし気にこちらを見、目を伏せた。

 視線は彼の心情をありありと伝えてくる。

「腹立たしいことは重々承知しておりますが、どうかこの場は抑えていただけませんか」と。


 大丈夫だ。ハイシェット村には大きな借りがある。

 それに生意気なガキどもの機嫌をとることなど、人生で数えきれないほどあった。


 この世はとかく平等ではない。生まれながらにして上流階級がおり、秀でた能力に関わらず貧民街を抜け出せぬ者がおり、そして人と人を明確に区別する法律(ルール)がある。

 どれほど糞のような人間でも、上に立つ者として生まれた人間には頭を下げるほかない。

 凡庸な人間として生きていれば、この理不尽な掟から逃れることはできない。


 夕餉の席では主にジンがフーフォンテにおける武勇を語り、ゼンジも時折会話に入るが弟の話を否定することはしない。

 それだけ成果を出していればさぞかし等級も上がっていようが村長もそこに触れはしない。気持ちよくしゃべらせて、ここぞのタイミングで切り上げ、さっさと寝床へ連れて行く。

 それが今夜の自分に課せられた使命であった。


「そういやよ。この村に着く前にも魔獣にあったぜ。さくっと狩っといてやったけどな」

「ほう。アドミラジですかね?」

「なんでだよ。ちげーよ。俺らがウサギ殺したことなんか話題にあげるわけねぇだろ」


 侮られたと感じたのか、弟のジンが声に若干の怒気を含ませる。


「おお、それもそうですな。いや失礼しました。つい先日アドミラジの群が村を襲いまして、その狩り残りかと思ってしまいました。して、どのような魔獣だったのでしょう?」


 自身の怒りを恐れて謝る年長者のように振舞えば、すぐに気分よく話を戻す。

 ジンは典型的な自尊心過剰の若造だった。


「はあん、アドミラジの群れねえ。俺らがヤったのはそんなチンケなもんじゃなくて、ちいせえけど熊に見えたな。熊の魔獣だ」

「熊の……? あまりここらでは見かけませんな」


 そういってちらりとロイを見遣ると、大人しく食事をしていた彼も小さく頷いた。


「だろ?赤い目の熊だったよ。いい毛皮もとれそうだったし、ガキの魔獣にしちゃ魔臓もかなり黒かったわ」

「赤い目の熊ですか。しかも子どもの。 親は、近くにはおりませんでしたか?」


 その時、ゼンジが口を挟む。


「間違いなくいなかった。気配もしなかった。俺が言うんだ。間違いなどない」

「……そうですか。それは安心ですね。討伐ありがとうございました」


 疑念を覆った笑顔でお礼を伝えながら、村長はこの話をゼンネルに伝えることを心に刻む。

 兄弟の方も、実は魔獣は二頭おり、一頭を捉え損ねたことは伝えない。面倒を避けるため、既にロイにも口止めしていた。

 ゼンジはこの件を離れて別の話に切り替える。


「アドミラジの群れといったが、ヘケット村だけで対処したのか?まあアドミラジ程度なら、ゼンネル……がいれば何とかなるか」


 何かの言葉を飲み込んだゼンジに、弟はすこし不貞腐れた顔をした。

 もちろん村長にもわかっているが、あえてここでは何も触れない。


「いえいえ。今回は群れが大きかったためマーリンさん、にも来ていただきましたよ」


 今度は村長の言葉がつっかえる。


 弟子の話はしない方がいい。と直観的に悟った。

 どうせハイシェット村でわかることではあるが、聞かれるまでは答えない。後での言い訳はなんとでもできる。


「ふん。マーリンか。……所詮こんな田舎でアドミラジ程度を討伐して踏ん反り返っている人間だ。一線を退いて正解だったな」

「なんと。これは手厳しいですね。しかし先日のアドミラジの群れにはアドミラドリアがおりまして、我々としては大変助かりましたよ。ハイシェットのご厚意には感謝ばかりです」


「アドミラドリアね。その程度自衛できないならば、この村も未来がない」


 村長の言葉を鼻で笑うゼンジとジンに一瞬殺意が漏れ出たものの、強靭な表情筋は激情を抑え込んで笑顔を保った。


「まったくですな。ゼンネルとクレア(・・・)もそのことについては憂いておりますので、有志には朝から稽古をつけてくれております。 おお、そういえばどうですかな。お二人も朝稽古に参加していただいて、都市で磨いた腕を見せてやっていただけませんか」


 しかしこの程度の意趣返しは許されるだろう。

 この二人はクレアと浅からぬ縁がある。


「……はっ。なぜわざわざヘケット村のために俺の技を見せねばならん。ばかばかしい」

「そーそー。あんな鬼女に剣技なんて教えるだけ無駄だし、俺らにいいこと何もねえじゃん」


「そうですか。とても残念ですが、仕方ありませんね」


 ほどなくして夕餉の時間は終わり彼らを寝床に案内する。兄弟が泊まる部屋の扉を閉めた後、村長は課せられた債務を全うして大きく息をつく。


 ―誰にも褒められない仕事だ。

 情けないとさえ思われるかもしれない。


 だからこそ、私が自分を褒めてやらなければ報われない。

 村長としての仕事をこなしきったホズルは、自室に戻って大切に飲んでいた静かに酒を取り出し、ゆっくりと猪口に注いだ。



**********************


「いきましたか」

「ようやくな」


 精神的な疲労の色濃い村長に最大限の謝辞を伝えて、ゼンネルは視線を戻す。

 昨夜この村に泊まったゼンジとジンを乗せた馬車がゆっくりと進んでいくのが見える。

 近くの家の影からクレアが顔を覗かせて、同じく遠くなる馬車を見つけるとこちらへ寄ってきた。


「やーっといったな」

「ああ。相変わらずだったらしいよ」

「変わんないでしょ。あいつらなんか」


 それよりもさ。と妹が柵から身を乗り出す。


「そろそろあいつ来てもいいころじゃない?『巡』で来るんだったら今日明日あたり着いてもおかしくないでしょ」

「まあそうだな。マーリンさんも言っていたけど、ヨウくんの『巡』の持続時間は群を抜いているらしいし」

「へえ!それって例えばどれくらい?」


 あの兄弟がいるときの妹とは一転した楽しそうな顔でせがむ。

 ゼンネルはヨウの顔を思い浮かべ、マーリンの話を思い出した。


「金等級」

「ん?」


 聞き逃したのか聞き間違えたのか。不思議そうな顔をしたクレアに少し笑いつつ、しかし元銅級開拓者としては大して笑えない情報を、もう一度つぶやいた。


「金等級だよ。おそらく『巡』の行使時間だけでいえば、すでに金等級開拓者と遜色ないそうだ」

「金? うっそ……」


 いや、むしろ数少ない金等級の中でさえ上位ではないか、というのがマーリンの見立てであった。

 『巡』の行使時間イコール強いということではないが、大きなアドバンテージであることに変わりはない。


 その驚異的な『巡』でこちらに向かって走ってくれば、確かにそろそろ着くこともあり得る。


「兄貴の他に、いい練習相手ができそうだ」

「剣技はまだまだなんだ。あんまりヨウくんを振り回すなよ。嫌われても知らんぞ」

「いや、嫌われるとか。え?いや、変なこと言うなよどういうこと?」

「……まあ、あんまり無理に付き合わせるなよってことだ」


 妹にしては思いのほか狼狽えた姿に驚きつつ、ゼンネルはもう見えなくなった馬車の進んだ方向に目線を向ける。

 実際、いい練習相手というのは間違っていなかった。


 あの超速の反応速度は、今でも思い出すとゾクゾクする。


(これは何だろうな。武者震いか? いや、滅多にお目にかかれないものに出会った興奮のほうだろう)


 辺境と言ってもよいヘケット村で、クレアの練習相手になれる人間がまさか現れるとは。

 しかもゼンネルとは違い、剣技ではなく素の能力だけでクレアについていける才能。


 ―そして、俺が剣の師となるのか。


 光栄なようでいて、どう育てていくべきか、悩ましい。

 小さな懊悩とそれを遥かに上回る喜びを胸に、ゼンネルもまたヨウを待つ。


 その半刻後、走るヨウの姿を視界にとらえたクレアが大声をあげ、ゼンネルはなんとも複雑そうな顔をした。



**********************


「はあ!? 聞いてねえぞ親父!」


 ゼンジの荒ぶった声と口調にジンがびくりと震える。


「聞いてないも何も、マーリン自身が提案したことだ。弟子をとるなど、他の人間がどうこう言える問題か?」


 マーリンが弟子を取った。

 父親の口からその事実を聞いた瞬間、ゼンジは激昂した。


「そもそも、お前はマーリンを散々罵っていただろうに。確かに弟子入りを断られたお前からすれば腹立たしいかもしれんが、お前はお前でマーリンを見限って都市に出たはず。切り捨てた者が弟子を取ったところで気にする必要などなかろう」


 息子の怒りを真っ向から受けようと揺らぐことのない父ハンザの意見に、息子はぐっと詰まる。


「……出てくる」

「え? ちょ、待てよ兄貴!」


 たわむ程強く閉められた自室の扉を見、ハンザは大きなため息を吐いた。


――


「マーリン!いるか?」


 一風変わった青い瓦屋根の家の前でゼンジは声を張り上げる。

 ほどなくして、急くでもない動きでマーリンが扉から出てきた。


「ゼンジとジンか。ロイの護衛として帰ってくると聞いていたが、本当だったな」


 久方ぶりに視界に収めた二人を見ても、マーリンの表情は一切変わらなかった。

 その瞳には感情の色がない。兄弟に興味を持っていないのは明白であったが、興奮して気づかぬゼンジはマーリンに詰め寄る。


「俺の弟子入りを断っておいて、村に紛れ込んだ孤児扱いのガキを弟子にしただと?ふざけているのか?」


「心外だな。お前程度の輩に時間を割かず、孤児扱いのガキを弟子にしたことは私としても正に英断だったが?」


「貴様……!」


 ゼンジの目の前がぐっと狭くなり、耳鳴りするほどの激情が身体全体を巡る。

 狭まった視界は急所である首一点にフォーカスされ、意図せず爪先に力が入り、手が腰に佩いた剣に触れた。――その時。


氷弾(イフォウ)


 チュン。と音を立てて、ゼンジの服の袖を何かが(かす)めた。

 驚きで狭窄していた視野が急に広がった瞬間、マーリンの周りにキラキラとした物体が浮いていることに気付いた。


「相変わらずだ」


 出来の悪い人間を見る目ではなかった。

 深い緑色の瞳が底のない空洞のように見える。心底愚かな者を、ただただ視界に収めているだけの目だ。


「俺の弟子は今ヘケットにいる」


 氷弾が粒子となって一斉に散る。

 そして今日初めて、瞳に力がこもる。緑色がさらに深くなる。


「そのうちお前らも会うことになるだろうが。もし妙な真似をした場合、お前らの四肢に順々に穴を開け、充分痛みに藻掻いたあと眉間を貫通させてやろう」


 ジンの喉仏がひくりと動く。逆に、それ以外の全てが動かせなかった。

 ゼンジは未だマーリンを睨むが、そこに先ほどまでの強さはない。


「ゼンジ。お前に関しては俺にも若干の責任がある。俺がこの村に来なければ、お前はそれほどに勘違いすることもなかった」

「勘違い、だと?」


 ゼンジは『選定の式』では魔状を感じなかったが、マーリンの魔状はわずかに感知できた。

 それが生きる道を狂わせたとも言える。


「だが、開拓者として生きるのであれば自分の身の程をまず知れ。今の自身の力を把握できない者に、任せられる仕事は多くない」


 ―用が済んだらさっさと帰れ。

 この場をすぐにでも離れたいジンに促され、ゼンジもようやく踵を返す。

 

 すでにマーリンは家の中に戻っていた。



 歩くこと数分。

 徐々に先ほどの衝撃が体から抜けてくるにつれ、逆に満ちてくる感情がある。


 羞恥と憤怒。


「……許さねえ」


 今はまだ怒りの矛先はマーリンであるが、その線上には間違いなくヨウがいた。


 後日、マーリンとの諍いを知ったハンザはロイと息子にルートの変更を言い渡した。

 ヘケット村に行けば、まず間違いなくこの二人は騒動を起こす。

 ハンザにとって智と力を持つマーリンの存在は幾分鬱陶しくもあったが、自衛力と他村への影響力はマイナスを大幅に補って上回っている。

 マーリンに敵対されること、そして万が一にも村を離れられることだけは避けねばならない。

 最初は強く反発したゼンジも、フーフォンテの生活を維持するためには実家を頼らざるを得ず、最終的には従った。


 熊の魔獣については有耶無耶となり、結局マーリンの耳に入ることは無かった。



 ―紅目(アカメ)の熊の魔獣は今も斑の森にいる。

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