出発
早朝、いつもの時間にヨウは目覚める。
前世から目覚めがいいというか、眠気を無理矢理振り払って起きることが得意だっただけで眠いものは眠いのだが。
外に面した引き戸の隙間から光が差し込み、まだ薄暗い部屋の床を割って朝を届ける。
戸を大きく開き澄んだ空気を取り入れると、先ほどまで一緒に眠っていた空気が瞬く間に霧散して内と外の境目がなくなった。
朝が満ちた部屋の中で立てかけられた木剣が目に留まる。
柄を握ると外へ出た。ハイシェット村を離れる今日が始まる。
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普通ならばありえない軽装で出て行くヨウを見送ったマーリンとゾブラ夫妻。
初めて村に現れたときに持っていた革袋と、これまでの生活で増えていった主に衣類を背負って急速に遠くなる姿を三人は眺めていた。
「いっちまったな」
「ああ」
つと空を見上げながらゾブラがつぶやく。
「まだそれほど生きてきたわけじゃないが。今まで出会った中でも特筆して不思議な奴だったよ」
言葉が通じないわけでもなく奇行が目立つわけでもなく。文化が違うことは常々伝わってきたもののおおよそ常識人であったヨウ。しかしそこかしこで「どこか違う」「なにかおかしい」と思わせる少年だった。
黒髪黒目に異国風の整った容姿。高い教養を感じさせるにも関わらず積極的に仕事に参加し、ごく自然に年上を敬う。誰に対しても敬語がなかなか抜けず、そのせいで接し方にとまどう人間も多かった。
若く実情を知らない少女達は、その見た目と物腰からどこか遠くの国の貴族だ騎士様だと盛り上がっていたが、この国の貴族を知る者からすればヨウは通常の貴族象からは大きく外れていた。
もちろん民のことを第一に考え、声に耳を傾けてくれる貴族とて存在するが。しかしそんな話の分かる貴族様だってヨウほど容易く村人と同じ生活を受け入れることはできないだろう。
もしかすると異国ではああいった貴族もいるかもしれないと考えたこともあったが、それでも昔から聞こえてくる搾取側の印象はどの国でも同じ。あいつはどこから来たのか、と寄り集まりの席で話題に上ることも多々あった。
そして魔状。
しかも魔状師を名乗れるほどの才を持つ人間が、のこのこと突然田舎の村を訪れたのだ。
誰だって話のネタにしたくなる。一時はマーリンの子ではないかと噂にもなっていた。
「マーリンは本当にヨウに心当たりはないのか?」
事情はあるものの村にはあまりにそぐわぬ存在である魔状師マーリン。そこにさらに魔状師の素質をもった子どもが来れば、誰だって何かしらの繋がりを勘ぐるのは仕方ない。邪推して見れば、どこか雰囲気と顔も似ている気がしてくるものだ。
「あいつの歳は十三と言っていた。その頃の俺に思い当たる節はない」
黒髪黒目はマーリンのそれとは違う。つまり本当に子ならば女のほうにその特徴があったということになる。
しかしマーリンは黒髪黒目の女と関係を持ったことなどなかったし、あれほど黒い髪と黒い目を持つ人間にさえ会ったことは無かった。
そうか、と何故か残念そうにするゾブラに眉根を寄せて見やると、ゾブラは強い視線を逸らすため一歩前に進み、既に遠く消えたヨウを探すしぐさをした。
となりでユウラがくすくすと笑う。
「確かに不思議な方でしたね。最初に見たとき、まず服装が立派で驚きました。靴などは以前都市で見かけた守備隊の方と同じくらい堅牢に見えましたし。貴族ではないにしてもそういった地位のある人達。例えば大商人や守備隊の隊長様や名のある開拓者のご子息かなと感じますね」
「やはりそれが一番あり得る線かもな」
ユウラの推測にゾブラも頷く。しかしマーリンは首を縦には振らなかった。
「可能性が高いことは認めるが、現時点でそれは無さそうだ」
その言葉を聞いた2人が興味深そうな目をする。
「ここらで大商人や守備隊や有名な開拓者を抱える都市と言えばフーフォンテ以外にない。その子息が出て行ったとなれば少しは噂くらいあるだろうが、知り合いに手紙で確認しても、近頃そのような話は一度も聞いたことがないと言っていた」
「それに、魔状師になれるほどの力を持つ者が、十三の歳まで『選定の式』で見つからないなど考えにくい、とも書かれていた」
久しぶりに届いた手紙に興奮したのか、随分分厚くなって戻ってきた封筒を思い出しつつ口にする。
「考えにくいのか? 確か優先順位の低い孤児の集まりの中や、『選定の式』に出向くのもためらうほど深い山合いの集落から魔状師が輩出されたこともあるはずだが?」
「先ほどユウラも話していたが、身なりは整っていたし高等教育まで施されているだろうことを書き添えたからな。異国でも魔状者の数を増やすために躍起になって探している。身分の高い人間が『選定』から逃れる可能性は限りなく低いということだろう」
「であればどうして……」
「考えられる限りでは二つ。どちらも例えばの話になるが。一つは我々の知らない魔状の力、例えば『血系』の魔状によって遠隔地からここへ偶然飛ばされてきた可能性」
「そんな『血系魔状』が?」
「知らん。例えばと言ったろう」
確かに言われたが、この世の真理さえ知っていそうなマーリンの顔で言われれば本当だと思ってしまう。
「もう一つは、ここ最近で急に魔状の素養が発現した可能性」
「それは私も考えたな。この国で言う『選定の式』のような調査以降で魔状に目覚めたが、訳あって姿を隠しこの村を見つけたということか」
正直なところ後天的に魔状に目覚めることは先天の魔状者が生まれることと比べて圧倒的に少ない。
しかしいくらか存在はするし、年に何人かはいるらしいため確率としては一つ目よりも高い。
「しかしあいつからは都市に行くことや機関に属することに強い拒否感を感じなかった。やはり一人でうろついていた理由はわからん」
「まあそうだなぁ」
男二人が黙ったタイミングで、ユウラがすまなそうに口を挟む。
「あの、申し訳ありません。マーリンさんはかなり細かにヨウくんのことをロームウェル卿に伝えたのですか?」
「ああ。……心配するのはわかるが問題はない。ブリック・ロームウェルはできる限り外部に漏らさないと誓ってくれた。貴族の矜持だ。そう簡単には翻さんだろう」
目に見えて安堵するユウラを横目にマーリンは一抹の罪悪感を抱く。
家名にかけて「できる限り」口外しないことを誓ったブリックは一つの懸念点を添えていた。
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敬虔な者でも知る人間は少なくなった話。
昔の白結教会は黒髪黒目の人間を在野より探しては、教祖と同じ力を備えているか徹底して検査していた。
今の主流である光掌派は教祖の存在自体を希薄にしようと努めているが、白帯派が君の弟子を見た際、どのような行動を取るかは読めない。
白帯派は昔の白結教会の思想を根強く汲んでいる派閥だ。
―神の如き癒しの力には不適当な、『剛力』と称された黒髪の教祖が生きた時代の思想を。
ともあれ都市に来た場合、ヨウと名乗る少年は孤児扱いとなる。
彼の身を守るのであれば、後ろ盾が必要となる。私も力になれるので、遠慮なく頼ってほしい。
しかしそれを抜きにしても。教え子ではない、君の「弟子」に会えることを、今から心待ちにしている。
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風が舞う。今日は珍しく涼しい一日だった。
皆は喜んだが、マーリンにはいささか肌寒そうに腕を組んだ。
それはどこか、弟子のいない日々を思う心情と似ていた。
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ナハセ村でトマトゥル色の歓迎を受けた後、長居せずにヘケット村へ向けて飛び出す。
ヨウの『巡』の持続時間は相変わらず長い。そして前回よりもずっと速く走れることに気付いていた。
誰も通らない味気ない一本道は恰好の練習の場だ。
ヨウは走りる中で加速と減速、急停止と急起動を繰り返しながら、さらに持っている木剣を振るって高速の世界で素振りを繰り出す。長い長い道のりも、退屈とは無縁だった。
過ごしやすい気温の中でも動き続ければ熱が溜まる。
さらしている肌は極小の汗の粒が太陽の光を反射し、彼からあふれ出る熱気を物語る。
『巡』を解いて水を口に含み大きく息をついた時、遠くから何かが近づいてくるのが見えた。
馬車だ。珍しい。
少し移動して道の端を歩く。徐々に鮮明になる馬車には三人。御者台に一人、荷台に二人だった。凸凹のある道を進むたび、積んだ荷物が大きな音を立てて馬車の存在を主張する。
御者台の人と目が合う。人が歩いていると思っていなかったのか、少しだけ驚いた表情をした。荷台の二人は目をつぶっており、こちらには気づきそうもない。
擦れ違う寸前。
荷台の一人が目を開け、瞬間視線が交差した。
―嫌な目つきだ。
どうにもガラの悪い輩だ。おそらく護衛だろうが、開拓者は皆ああなのだろうか。
まあいい。もうひと踏ん張りでヘケット村へ着く。前回同様汗だくのまま到着するが、汗っかきと思われないだろうか。
ヨウの思考はすぐに他の心配事へ移った。
――
―嫌な目つきだ。
荷台のゼンジはさっき目線の合ったガキを思う。
なぜだろうか。あの目は誰かと似ている気がした。
馬鹿にしているわけでも毛嫌いされたわけでもないその視線が、ゼンジのこめかみを薄く震わせる。
そうだ。マーリンの目だ。
俺に何の感情も持たない。取るに足らない者を見る目に似ていた気がした。
しかしそれは考え過ぎだろう。
おそらくハイシェット村に近づいているから、少し神経質になっているだけだ。
そう思うものの気持ちは波打ったまま静まってはくれない。
くそが。魔獣でも出てくれればすぐに殺してぐちゃぐちゃにして鬱憤を解消してやれるものを。
結局、苛立ちを握りしめた拳は隣で寝ている弟の肩を理不尽に襲った。




