一角兎
拓けた空き地で馬車が止まる。
「ここで一度休憩する。『巡』を解除しろ。……解除はいっぱしに下手だな。わからん奴め」
「いっぱし」の使い方がおかしいが、馬鹿にされたことだけはわかる。
確かに、一度行使した『巡』は急激に上がった体温みたいなもので、下げるには体内の魔素を放出する必要がある。俺はそれが未だ上手くできない。
解除するとどっと疲れが押し寄せる。身体能力が上がっていようと運動量はかなりのものだ。どうしたって疲れは感じる。
だけど俺はこの感覚も好きだった。目いっぱい体を動かした後、疲れに身を任せて座り込む。体のエネルギーが0になるほど使い果たした感覚は、最後の一滴まで絞り切った充足感ですっきりする。
「しっかり休憩しておけ。御者1人と最低限の荷物しか積んでないからな、馬車はかなりの速度で進んでいる。これから野営場所まで『巡』の訓練は続けるぞ」
明日の昼にはナハセ村に着けるはずだ、と言ってマーリンさんはパンと燻製肉を放り投げてきた。
「こんなに『巡』を使ったのは初めてだし、久しぶりに走ったのですでに疲労困憊です……」
「まあそうなるだろうな」
マーリンさんが燻製肉を食いちぎるのをぼんやりと見やる。
「だが」
そして水を口に含んで飲み下した。
「お前の『巡』への順応度は、『及』の感度同様今の時点で中堅クラスだ。いや、もしかすると銀等の開拓者にさえ届きうる。まだまだ動きに無駄は多いが、わかる人間にはわかる」
「そうなんですか? うれしいですが、まだ『巡』を使って動き回っただけですけど」
と言った瞬間、
マーリンさんは手首にするどいスナップを効かせ、顔面目掛けて黒い物体が投げ込んできた。
咄嗟に俺は首の動きだけでそれを避ける。
うーん、石だったな。
ふん、と鼻から息を抜いたマーリンさんがつぶやく。
「普通程度の魔状者であればな、最初は『巡』を使った速度に意識や目や反応が追い付かない。『巡』は魔状者における近接戦の基本だが、使いこなせていない人間は意外に多い。魔状ではなく、身体的な能力値も必要なのだ」
「残酷なことにな」と付け加えて言葉を続ける。
「お前の目がいいことは、初見で気弾を避けた時からわかっていた。……大切にしておけ。無くして気づくものほど、生きるために必要なものだからな」
マーリンさんの視線の先には、いくぶん筋肉の薄い足があった。
それにしても、俺は割と早い頃から視力も悪かったし、目については全く自覚がなかった。しかし一度だけ、大学の時の飲み会後になだれ込んだゲームセンターにて、当時まだあったダンスゲームをみんな囲んで踊り狂った記憶がふと蘇る。
初心者で且つ、いかつい程焼酎を飲んでいたにも関わらず中級ランクまでクリアして、思考能力の低下した酔っぱらない共を熱狂の渦に巻き込んだ。
その後ステップの踏みすぎで酔いが回った俺がダンスボードから足を踏み外して思い切り地面を這いつくばり、上を向いた瞬間友人の彼女のスカートの中を覗いてしまうという事案が発生したため、どちらかといえば後々そちらをネタにされることが多かった。しかし後日趣味でダンスをやっていた友人から、「初心者が上級ランクまで行くことって今まで見たことなかったよ。運動神経いいんだねー」と褒められた記憶が浮かんできた。
「自覚はなかったか」
「そうですね、あまり。褒められた記憶もちょっとはありましたが」
「そうか。それでも、特に『巡』の行使でその才能は最も必要なものだ。後は剣技。ゼンネルに骨の髄まで染み込むほど教えてもらえ」
一時間以上しっかり休憩し、疲労度が軽くなったところで移動を再開した。
野営までの距離は長く、『巡』の行使もできなくなった後は地獄だった。とだけお伝えしておく。
――
予想通り、次の日の昼にはナハセ村付近まで到着した。
もちろん俺だけ満身創痍の状態で。
と、御者台のマーリンさんが気づいた。同時に俺も村の柵近くでうろつく茶色い物体をいくつか視認する。
「見えるかヨウ。あれが一角兎だ」
あれが、魔獣。なるほどおそろし―
「―いや、ただのかわいいケモノですね」
普通にかわいっ。
「アドミラジはその程度の魔獣だな。確かに角には殺傷能力があるし動きも素早い。当たり所が悪ければ大ケガする。が、所詮その程度だ。魔獣ではなくそこらの猪であっても同じことだな」
アドミラジは角のある大きい兎で真ん丸の赤目がキュートな魔獣であった。
兎と名付けられているとはいえ魔獣、何か威圧感があるのかと思ったが。
「さて、村の挨拶は済ませていないが、見つけた魔獣を放置する理由はない」
そしてチラリとこちらを見た。
「まずはお前が『及』を行使してみろ。実戦でなければ分からないことがある」
「!はい」
初の実戦か。散ったら面倒だな……できればまとめて処理したい。そもそも俺にできる『及』など限られているが、うさぎが集まって団子状になっている今ならば一度に倒せる魔状がある。
圧縮した空気塊は右から左に押し出すより、上方から下方へ重力に従って落とすほうがが効率が良い。特に俺は空気中から物質を作ることに長けていた。中高で真面目に勉強していたおかげかな。
空気塊といったが、空気よりもより質量があるほうが重い一撃となる。よって俺は物質化したものを圧縮し、重力に従って叩き潰す魔状を選択した。
アドミラジまでの距離、およそ四十メートル。
その真上の大気を範囲選択する。範囲内の魔子に働きかけ、空気の中の分子の動きを抑制し、水素と酸素を抽出・結合し、クラスタを構築し水蒸気から水を生成する。
音もないが、頭上を注視している俺とマーリンさんはわかる。
魔子が意図的に操作され、統制のもとに大気を変異させる様が。
この間十秒。
さらに生成した水を圧縮し、アドミラジの頭上で固定化した状態で留める。
この間五秒。
後は、別の魔子を用いて圧縮水柱を下へ打ち出す!
そして俺が宙の水柱のさらに頭上から魔子を押し出そうとした瞬間。
―アドミラジが一斉に上を向いた。
「! 水柱」
気づかれたが撃つしかない。
魔状を行使した瞬間、直径三メートルほどの水の柱がダウンバーストのようにアドミラジ群に迫った。
が、七体ほどいた内の外側の四体が水柱から逃れた。だが水が降り注いだ際の風圧と飛び散る水に煽られてゴロゴロと転がる。
「気弾 連」
討ち漏らしたアドミラジを、すかさずマーリンさんの気弾が襲う。
運が悪ければ骨が折れるであろう硬度とスピードで四体全てに着弾。アドミラジはさらに転げることになり、ようやく止まった時はすでに動くことはできない様だった。
「死んでいるか確認するぞ」
言われてマーリンさんについて行くが、脳は先ほどの討ち漏らしについて考え始めていた。
なぜ半分以上に避けられた?時間をかけすぎたか、それとも水塊を生み出す場所が地面に近すぎただろうか。
と、そのとき、村の柵を誰かが飛び越えてこちらに向かってくる。
柵の向こうにも少なくない数の村人が見える。
「マーリンさん!来ていただけましたか!」
全速力で迫ってきた村人は、装いこそ農民の者と大差なかったが帯剣していた。
目の前まで来ると急ブレーキをかけて止まり、膝に手をついて少し息を整えた。
「忙しい中来ていただき、本当にありがとうございます。来て早々アドミラジをまとめて退治いただいて……本当に心強いです!」
柵の近くの見物人も増えている。
「ハリス、村長の家に案内してくれ。アドミラジは依頼だったからやっただけだ。それに最初の水柱は俺じゃない」
「はい!……はい?」
「一応俺の弟子となる。ヨウだ。挨拶しておけ」
目配せされて頭を下げる。それにしても可愛い愛弟子を「一応」とはなんだ。
「ヨウです。一応弟子になります。よろしくお願いします。」
「一応」を付け返して返事をするとマーリンさんに睨まれた。ツン?
「なんと、お弟子さん!素晴らしい!それにあれほどの魔状まで発現できるとは!」
ハリスさんの目が完全にこちらを捉える。
「ヨウさんですね。アドミラジごときで、『及』も行使できる方にお手を煩わせるのは心苦しいですが、田舎の村には群れの襲撃は死活問題です。どうか、お力をお貸しください」
最後の言葉は切実で、本気だった。
先ほど半数以上を取り逃がした、半人前ほどの魔状者には重い。
「……魔状者としてはまだまだな弟子ですが、全力で依頼に当たります」
俺にはまだこの程度しか言えない。まだ四か月。勇んで来たものの、自分の実力のなさが恨めしい。
だが、その言葉にハリスは何故か眩しそうな顔をしたあと、一回り以上下の少年に深々と頭を下げた。




