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彼女は肺を背負っている  作者: 久米 藍
一章
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捜索へ

「忘れ物は無いかな」


 スイフはそう呟きながら、真鍮色の瞳で机の下を覗く。ほこりが灰色の頭髪に降り落ちた。

 アジギトに拾われてから七年の時が経過した。空気の澄んだ僻地の町。そこの更に奥地にある長屋の一室で、遠出の準備をしている。

 机の下の混沌と表現すべき散らかり具合から目を背け、手にした肩掛けかばんの中を確認する。すでに一度確認しているが、念のためだ。しばらく帰ってくるつもりは無い。


「硬貨と水と、ガスマスク。あと工具一式、食料は……僕は必要ないけど、聞き込みなんかで使えるかもしれないから持っていこう。あ、危ない、忘れるとこだった」


 揺り椅子の隣で立つ小さな机の上から、紙のケースの中にある黒色の玉を手に取り、腰のポーチに入れる。木炭や石炭を接着剤で丸めたものだ。


「……忘れ物は無いかな」


 またそう呟いてから、自分が本当は忘れ物の心配をしているのではなく、ここを離れがたいと思っているのだと気づいた。

 気づいたからには、もう出発するしかない。

 手のひらを強く握って、気合を入れる。木製のスタンドからキャラメル色のフロックコートを外し、纏う。外へ通じる扉のノブを掴んで、振り向く。

 窓辺から陽光が差し、ほこりを視認できるようにしている。リベットや歯車、その他の機材や器材が散乱して、部屋の隅に滑り台を作っていた。暖炉の内にある炭が、苦い匂いを散らしている。錆びたテーブルの上で、アジギトの描いた設計図たちがテーブルの嵩を上げていた。

 ここで五年アジギトと暮らし、二年を一人で過ごした。


「いってきます」


 視線を戻して、ノブを回した。途端に複数の開錠音が響き、ドアが開く。アジギトが余計な細工をしたせいで、この部屋の扉は開くのが遅い。

 





 長屋の側面に駐車してあるオートバイの元まで歩くと、そこで待ち構えている人物がいた。小走りで駆け寄りながら呼びかける。


「ジベットさん」


「来たかい」


 ジベットはそう言って、遅いとばかりに鼻を鳴らした。スイフが家の中でうろうろとしていたから待たされたのだろう。ジベットはこの長屋の大家だ。長屋と言っても、ここには今はスイフとジベットしか住んでいなかった。この町がまだリベットなどの部品の輸出を盛んに行っていたころは、多くの人がここを仮住まいとしていたそうだ。

 ジベットは御年八十を超えていながら、すらりと二本の足で立ち、背も曲がっていない女性だった。手に杖を持っているが、全く体重を預けていない。


「さっきジベットさんの部屋にあいさつに行ったのに、居なかったからどこに行ったのかと思ったよ」


「そうか、悪かったね。それよりスイフ、本当に探しに行くのかい?」


 ジベットはそう尋ねて、試すような瞳で射抜く。スイフは迷いなく、少なくともそう見えるように頷いた。


「うん、アジギトを見つけてくるよ。それまで、ここには戻らない」


 二年ほど前、アジギトは自作のガジェットを売りさばくために共和国へ向かった。スイフは帰りを待ち続けたが、アジギトが戻ってくるは無かった。

 いつか帰ってくるだろうと、家出した猫を待つような、どこか楽観的に考えて生活してきた。だが、流石に数年も消息不明だと、そうも言ってられなくなってきたのだ。

 自分の身体を見下ろす。細身だがそれなりに筋肉も付けた。


「ちゃんと約束通り、成人するまで待ったでしょ」


 今年で十五になる。一人で探しに行くこともできる歳になった。それでも、ジベットはいい顔をしてくれない。


「何度も忠告したがね。あの女はどうせロクなことになっちゃいないよ。人のことなんて何も考えちゃいない奴だ。どうせ他のことに興味が湧いて、あんたのことをすっかり忘れちまったんだろうさ」


「あんまりな話だけど、あり得そうなんだよね」


 少なくとも、己の技術を使いたいがために貧民区の子供を誘拐するくらいには勝手な人だ。

 ジベットは呆れるように鼻を鳴らし、それから真剣な眼差しになる。


「自分を拾ってくれて恩を感じているから、なんて理由なら行かない方がいい。あれは自分の目的のためにお前を拾っただけだ。お前は自分のことを考えていればいい」


言われっぱなしの元同居人を顔を思い浮かべ、苦笑いを浮かべる。


「でも、まあ、家族だから。一緒に住んでいたんだし」


「一緒に住んでいたからといって、家族ってわけじゃない」


ジベットはそう言って、諭すようにスイフを見た。スイフは家族というものの定義を持っていない。それでも、ジベットのことばには概ね同意だった。確かに、同じ屋根の下にいたとしても、それだけで家族と断ずることは無い。

曖昧に笑う。


「所在くらいは確かめて、戻ってきそうだったら一緒に帰ってくるよ」


「その時には、あたしはもうポックリ逝ってるだろうさ」


「そんな元気で良く言う…ッよね」


 荷物を後部に載せる。積載量ギリギリだ。ゴーグルを付けて、オートバイに跨る。型が古くて音もうるさいが日々の整備のおかげでしっかり動いてくれた。燃料も満タンだ。後部に生えた煙突が震える。


「たとえ見つからなくても、絶対に帰ってくるよ。それじゃ、いってきます」


「せっかくだから、将来の嫁でも探してきなよ。私が色々仕込んでやるからさ」


「……そんな余裕があったらね」


 ジベットが意地悪く笑うので、スイフは気のない返事をした。オートバイを発進させると、途端に意識が切り替わった。


 アジギト、何処にいるんだろうなぁ。


 運転をしながら、これからの苦難を想像して嘆息した。少し前進して、後ろを振り向く。ジベットが手でも降っているかもしれないと思ったのだが、すでに撤退していた。


「やっぱり今生の別れにはなりそうにないね」


 また顔を合わせる時が来ると、ジベットは自信をもっているのだろう。スイフも気兼ねなく顔を前へ向けた。

 


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