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千代後輩とぼくの話。  作者: 桜庭ごがつ
7/10

第07話 千代後輩と伏せ字の話。

()せ字の話をしよう」

「嫌です」


 いつものように、ぼくの提案はあっさりと拒否された。

 空がオレンジ色に染まる時間帯。たった二人きりの狭い部室には、外から運動部の声と、どこか遠くのほうから救急車の音が届くのみだ。

 もともと口数の少ない後輩、千代ちゃんから話を振ってくれることはほとんどなく、だから今日もぼくのほうからこうして話しかけてみたんだけど……。


「ねえ、千代ちゃん。せめてぼくの顔を見て喋ってくれないかな。ずっとそっぽを向いていられると、正直ぼくも悲しくなっちゃうよ」


 すると後輩はちらりとこちらを見やり、


「あ、有楽先輩。いたんですか」

「今さっき返事したよねえっ?」


 叫ぶぼくに小首を(かし)げ、「この人、何言ってんだろう」のジェスチャー。いや、何言ってんだろうはこっちのセリフだからな。

 そんなぼくの憤りを知ってか知らずか――まあ知ってて知らないフリをしているのだろうけど、ともあれ彼女はふいっと窓の外へと視線を移し、西陽を片手で遮りながらのたまうのだった。


「知人と出会うとき、昔の偉い人はこう言いました。『こんにちは』」

「昔の偉い人、関係ないよね!」


 ただの挨拶じゃねえか。


「誠に遺憾(いかん)ではありますが、ここで先輩と出会ってしまったからには挨拶をせねばなりません。先輩、こんにちは」

「その発言自体が、ぼくには誠に遺憾だよ……」

「昔の偉い人はこうも言っています。『有楽先輩をひとり見かけたら、部屋に三十人はいると思え』と」

「ぼくはGかよ!」


 名前を言うことすら(はばか)られる、黒光りしたすばしっこいアイツと一緒にするんじゃねえよ。てか、ぼくの名前が出てくる程度の昔なら、さほど古い話じゃないよね、それ。

 千代ちゃんは視線を戻して両手を口に当て、相変わらずの無表情ながらも器用に驚いたふうのポーズを取る。


「せ、先輩が三十人に見えます……」

「酔っ払ってんのか、お前!」


 まあ冗談はひとまずさておいて、今日こそは早々に話題に乗ってもらおう。


「伏せ字の話をしよう」

「嫌です」

「だろうね! もう一回言うよ? だろうね!」


 そもそも期待してなかったし、むしろ予想どおりですらある。

 ああ、そうとも。知ってたさ。くっそう。


「やだなあ、先輩。軽いジョークじゃないですか」


 わかってるくせにー、と千代ちゃん。


「私が尊敬してやまない昔の偉人、有楽先輩とこうしてお話できるなんて、とひどく緊張しているだけですよ」

「今いるよ! 君の言う昔の偉人、ここに座っております!」


 お前の緊張感、行方不明かよ。

 千代ちゃんはというと、そんなぼくの大声に別段動じるようなこともなく、涼しい顔――かどうかは今ひとつ判然としないけれど、とにかくぼくのツッコミなんてどこ吹く風だ。せめてもう少し彼女に掴みどころがあってくれれば、ぼくにも対応のしようがあるというものだけど、残念なことに、そんなことはまったくない。

 のれんに腕押し。(ぬか)に釘。後輩に話題提供だ。

 鞄から教科書とノートを取り出した後輩を眺めながら、そういえば今日はぼくも宿題が多かったな、なんて思う。まあもちろん、ぼくは家に帰ってからやるけどね。


「でもどうせやらないんでしょう?」

「地の文を読むなって毎回言ってるんだけど……」


 あながち間違いじゃないから、その指摘には強く出られない。間違いじゃないというか、はっきり言ってしまえば大正解だったりするし。


「そういえば千代ちゃんって、結構ここで宿題やってるよね」

「まあ、そうですかね」

「じゃあさ、その時間を少しだけぼくとの会話に充ててくれたら嬉しいんだけど」


 せっかく二人きりの部活動なんだし、もうちょっと会話があってもいいと思うんだよ。ろくに勉強していないぼくが言うのもアレだけど、宿題は帰ってからでもできるしね。

 そんなぼくの提案に、千代ちゃんは眉を上げる。


「何を言ってるんですか、有楽先輩。私は暇さえあれば先輩とお話してるじゃないですか」

「いや、基本的にぼくの話を拒絶してばかりだよ、君は……」

「まあ私の言う『暇さえあればやってる』は、『暇がないからやってない』と同義ですし」

「そんなことだろうと思ったよ!」


 彼女がアルバイトをしているという話は聞いたことがない。つまり彼女は、帰宅してからでも勉強する時間は十分にあるはずなんだ。

 それなのにぼくと話す暇がないなんて、ちょっとひどくないか?


「こんな状況に陥ったとき、昔の偉い人はこう言いました。『さーせん』」

「謝る気ないよねえっ?」

「どんなシーンにも対応できる、偉人の格言シリーズです」

「それ、偉人を(かた)った君の言葉だよね!」

「ところで伏せ字の話って何ですか?」

「このタイミングで訊くのっ?」


 まさか偉人の格言から伏せ字の話に飛ぶとは予想してなかったわ。

 もしかすると千代ちゃんは頭の回転が速い分、ぼくなんかが想像している何倍ものスピードで、いろんな話を自己完結しているのかもしれないね。きっと彼女は自分で喋りながら、頭の中ではもうずっと先の結論にまで辿り着いているんだろう。


「絶対的視点で言えばそれほどではありませんが、有楽先輩と相対的に考えるなら、そのとおりかもしれませんね」

「おい、自然な流れで地の文を読みつつ、ぼくをバカにするのはやめろ」


 まったくもう、油断も隙もあったもんじゃない。


「まあ残りのページ数もあと半分ですし、そろそろちゃんと相手をしましょう」

「お前は残りのページ数が少なくならないとまともに話せないのか?」


 胸にカラータイマーでも埋まってるのかよ。


「埋まっていませんよ?」

「そこは食いつかなくていいよ!」

「ともあれ、伏せ字というのは得てして便利なものですよね。本来言ってはいけないことも、その一部を伏せてしまえば何も問題ないみたいな風潮にあると思います」


 あごに指を当て、千代ちゃんは言う。


「伏せなくていい言葉も、伏せることで面白く感じてしまう向きもありますし、だから本当に伏せなければいけない言葉もそれと一緒くたになってしまうんですよね」

「そうなんだよ。だから現状、アウトのボーダーラインが引きにくくなってるし、逆にそれを面白がる人も増えてるように感じるんだ」


 あっちは伏せ字にすればオーケーなのに、こっちは伏せ字でもダメってどういうことだ? みたいに思う人は、けして少なくないだろう。

 要はそれがパロディやネタとして成立しているかってことなんだけど、正直ぼく自身もその辺りの線引きには自信がない。そりゃあ個人的にこれはダメだろうって思うときはままあるけれど、その基準を明確に説明しろと言われると返答に詰まってしまう。


「有◯先輩」

「おい、人の名前を伏せるんじゃない」

「有楽先輩◯」

「伏せてないけど! 伏せてないけどなんか嫌だ!」

「◯」

「何を伏せたのっ?」


 ぼくの名前で遊び始めた後輩を眺めつつ、ため息をひとつ。

 そういえば小学生の頃、写真に落書きするのが一時期流行っていた。目の部分に横線を引き、容疑者だ何だと笑い合っていたのを思い出す。さすがにもうそんなことはしていないけど、今にして思えば、あれも伏せ字と同じ感覚だったんだろう。

 ネタは狭ければ狭いほど面白い――千代ちゃんじゃないけど、たしかそんな格言じみたものがあったはずだ。

 つまり、ネタの意味を理解できる人が少ないほど大きな笑いに繋がるというもので、言ってしまえば、身内ネタが一番おもしろいということだ。


「まあそれはたしかに的を射ていると思いますよ。私にとっては下手な芸人さんよりも、有楽先輩の失敗談のほうが笑えますし。鼻で」

「せめて声に出して笑ってよ!」


 自分のミスが後輩に鼻で笑われていると知って、ちょっと落胆してしまう。

 どうせぼくは失敗が多いですよ……。


「そんなに悲しまないでください。私はいつも先輩のことを◯◯していますよ」

「一番大事なとこ伏せるんじゃねえよ!」


 くっそう。今日も結局、千代ちゃんに遊ばれてしまった。


「もういいや。そろそろ帰ろうか」


 壁に掛けられた時計を確認すると、下校時刻まであと数分だった。

 気がつけば、運動部たちの声もすっかり聞こえなくなっている。もうグラウンドを(なら)している時間なのだろう。


「有楽先輩」


 窓の鍵を掛けていると、後ろから後輩が呼ぶ。


「ん、どうしたの?」

「伏せるのって、言葉だけじゃないですよね」

「そうだね。紙を裏向きに置くのもそうだし、病床に伏すことだってある。伏せるという意味合いで言うなら、用途は結構多いと思うよ」


 犬だって伏せをするしね。

 しかし後輩は、そんなぼくの答えでは不服だったのか、なんだかつまらなそうにそっぽを向いてしまった。間違ったことは言ってないつもりなんだけどなあ。


「それだけじゃないですよ」

「うん、だから用途は多いって言っ――」

「……気持ちもです」


 それだけ言うと、彼女は部室を飛び出して、廊下でくるりと振り返る。


「ほら、有楽先輩。早く帰りましょう」


 茜色に染まった景色の中で。

 表情の変わらない彼女が、どこか楽しそうに見えたのだった。

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