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千代後輩とぼくの話。  作者: 桜庭ごがつ
6/10

第06話 千代後輩と鶏肉の話。

「鶏肉の話をしよう」

「嫌です」


 いつものように、ぼくの提案はあっさりと拒否された。

 放課後の文化部棟。その中の狭苦しい一室で向い合って座る男女。つまりはまあ、ぼくと後輩の千代ちゃんなんだけど、こちらを一瞥すらせずに返事するなんて、ちょっと先輩への敬意が足りないんじゃないかな。

 そりゃあこんな話題で釣ろうなんて考えてたぼくに返答してくれるだけありがたいのかもしれないけど……って、いやいや。いつもこうして弱腰だから後輩にも舐められるんだ。ここはひとつ、びしっと決めて――


「別に有楽先輩を舐めてるとか、そういうことはないですよ」

「地の文を読むんじゃねえよ」


 ……先手を打たれてしまった。


「ところで千代ちゃん、それは宿題?」


 彼女が落とす視線の先には教科書とノート。部室に入ってくるなり机に広げるものだから、ぼくとしては手持ち無沙汰でしょうがない。せっかく今日こそは楽しい話題で盛り上がろうと思っていたのに、とんだ肩透かしだよ。

 まあ、盛り上がりたい話題が鶏肉っていうのもどうかと思うけど。


「そうです。よく分かりましたね、先輩。偉い偉い」

「……バカにしてるだろ」

「やだなあ、そんなことないですよ。優秀な先輩を持って、私も後輩として鼻が高いです。はっはっは」


 最後の笑い声はもちろん笑っていない。相変わらずの無表情でもって、ついでにこちらをちらりとも見ずにそう言い放つ。

 その鼻が高く伸びたのは、ぼくが優秀だからというわけではもちろんなく、きっと心にも思っていない大嘘を平然とのたまっているからだろうよ。ちくしょう、ゼペットじいさんにへし折ってもらおうか。


「実は昨日、本を数冊買ったんですよ。家でじっくり読みたいので、今のうちに宿題を片付けてしまおうという寸法です」

「へえ。どんな本?」

「鶏肉の本です」

「ふざけんなよ、こら!」


 ぼくの提示した話題と丸かぶりじゃないか。

 だったら何でさっき拒否したんだよ。もっと食いついてくれてもいいじゃん。……鶏肉だけに。


「先輩、冗談は存在だけにしてくださいよ」

「だから地の文を読むんじゃねえ! てか、ぼくは存在自体が冗談だったのっ?」


 まあたしかに、今のはぼくが悪い……のかなあ?

 口にしていないことで身震いされても、ぼくとしてはどうしようもないんだけど。


「ひょっとして料理の本? 唐揚げとか親子丼とか」


 ネギと一緒に味噌バターで炒めたり、サラダに添えたりしても美味しいよね。チキンカレーも大好きだし。

 いろいろ思い浮かべていると、なんだかお腹が空いてくる。今日はコンビニで軽く何か買って帰ろうかな。さすがに一人でファミレスに入るほどではないし。

 さて、千代ちゃんが買った鶏肉の本にはどんなレシピが――


「いえ、ハードボイルドの探偵小説です」

「どっから出てきたんだよ、鶏肉の文字!」


 探偵にかすりもしてないじゃないか。


「よく考えてくださいよ、有楽先輩。ハードボイルドって暴力的だとか硬派だとか、それだけの意味じゃないでしょう」

「む、そう言われてみれば……」


 たしかに料理でハードボイルドって言うと、卵なんかが固茹でされた状態のことだ。個人的には七分半くらい茹でた半熟のものが好きだけど、その倍近くの時間をかけて黄身がしっかり固くなった固茹で卵も嫌いじゃない。まあ実際どっちも美味しいしね。


「そうか。言われてみれば、たしかにそうだよね」


 ぼくはそう一拍置いてから、


「それがどうしたんだよ!」


 どのみち鶏肉に関係なくて、思わず声を荒らげた。

 今はハードボイルドのダブルミーニングについて語る時間じゃないだろう。千代ちゃんが鶏肉の本とのたまう探偵小説の内容だよ。

 コンビニに身を隠すたびにレジで唐揚げを買うとでもいうのか?


「あ、大体合ってます」

「大体合ってた!」

「彼は高級レストランに身を隠すたびに水だけ注文するのです」

「逆に目立つだろ! コンビニで立ち読みでもしとけよ!」


 むしろもう探偵は廃業しろよ!


「大丈夫です。周りのお客さんもみんな水しか頼まないので」

「そのレストラン、そろそろ潰れそうで不安になるわ……」


 探偵や犯人よりもレストランの経営が気になる小説というのも斬新すぎる。こっちのほうがよっぽど事件だよ。


「まあ本の話はこのくらいにして、それでは私は宿題の消化作業に戻りますね。ページ数もあと半分なので、それまでに終わらせます」

「無理やりメタな発言をねじ込まなくていいんだよ、千代ちゃん……」

「終わりました」

「早っ!」


 驚いて彼女の手元に目を落とすと、ノートとプリントの問題にはすべて解答が書かれていた。うーん、ぼくも一年前に同じような課題をこなしたはずなんだけど、さっぱり分からない。習う範囲が変わったのかな。


「変わってませんよ。有楽先輩がアレなだけです」

「アレって言うなよ! 自分でも分かってるんだからっ」

「でも直接的に言ってしまうと、さすがにかわいそうかなって」

「余計な気を回すんじゃねえ!」

「ところで鶏肉の話って何ですか?」

「このタイミングで訊くのっ?」


 宿題を終わらせたからか、若干の余裕を見せつつ後輩が言う。

 若干というのは、彼女の感情がほとんど読めないからであって、きっと腹の中では小躍りでもしているのだろう。なにせ今日はもう帰ったら楽しみにしている読書をするだけなんだもんね。自分に出された宿題を思い出すと、ため息がこぼれそうだ。


「なんで鶏肉の話なんてしようと思ったんですか? 実に有楽先輩らしいですけど」

「……それはぼくがしょうもない人間だって言いたいのか?」

「そ、そのつもりだったんですけど……」

「そのつもりだったのかよ!」


 くっそう。今日も簡単にやり込められてしまった。

 いいよもう。気を取り直して話題を戻そうじゃないか。


「昨日の夜にさ、テレビで鶏肉の特集をしてたんだよ。疲労回復を促進する、何とかってのがたくさん入ってるって」

「イミダペプチドですね。鶏肉には他にも、ビタミンAやB群が豊富に含まれていますよ。加えて消化吸収もいいので、まさに有楽先輩のための食材と言えますね」

「……よく分かんないけど、バカにされてるのだけは、なんとなく分かったわ」


 難しい言葉で言われても今ひとつピンとこないが、どうせ千代ちゃんの言うことだ。そうに違いない。

 しかしぼくのそんなささやかな抵抗も彼女にはどこ吹く風で、


「ビタミンAは皮膚や粘膜を健康に保つ栄養素です。B群はエネルギーの代謝を促進する栄養素ですね」

「そ、そうなんだ……」

「ちょっと待ってくださいよ、先輩。このくらいの知識もなく私に鶏肉の話をしようとか吹っかけてきたんですか? 一般常識ですよ?」

「ご、ごめん。……ん?」


 頭を掻きながらよく見ると、彼女の視線がちらちらと手元に泳いでいる。その先には両手に持ったスマートフォン。

 そんなぼくの様子に気づいた彼女はすばやくスマホを隠そうとするが、すでに動いていたぼくがその腕を掴んで制す。なおも机の下へと引こうとするが、当然、彼女よりぼくのほうが腕力はある。千代ちゃんの細い腕を傷つけないよう注意しながらちょっと力を入れてやると、彼女のスマホはあっという間に姿を現した。


「有楽先輩。これはセクハラですよ。セクシャル・ハラスメンテーターですよ」

「その話は前回終わっただろ。ほら、しっかり見せるんだ」

「いやああああ。お代官さまああああ」


 セリフのわりにはまったく動じていない様子で、千代ちゃんは抑揚のない悲鳴を上げた。いや、これ悲鳴っていうのか?

 ともあれ、ぼくは画面を覗きこむ。

 ぼくの考えが正しければ、その画面には――


「……やっぱりね」


 映し出された画面には、鶏肉に関するウェブサイトが開かれていた。

 さっきは一般常識だの何だのと偉そうに言ってくれたが、つまり彼女はこの画面で情報を得ながら解説していたわけだ。そりゃあ詳しいはずだよ。


「やめてくださいよ、有楽先輩。スマホには乙女の秘密がぎっしりなんですから」

「鶏肉を乙女の秘密に含めないでよ……」


 お洒落やお化粧、恋愛なんかのきらきらしい単語の横に鶏肉が鎮座しているところを想像して、思わず苦笑してしまう。

 ほんとはね、千代ちゃん。本当は栄養素がどうのって話じゃなくて、いつか君の作ったものを食べてみたいな、なんて思っただけなんだよ。牛や豚のようなちょっと男臭い食材と違って、ヘルシーな鶏肉だったら一緒に食べてくれるかな、なんて思ったんだ。

 ぼくだってまだ高校生なんだし、そういうシチュエーションに憧れてみてもいいじゃないか。


「……うん? 何だこれ」


 ウェブサイトをスワイプしてホーム画面を出すと、可愛らしい壁紙の上にたったひとつ――


『有楽先輩』


 なぜかぼくの名前が付けられたフォルダが。

 そこからは早かった――いや、速かった。

 千代ちゃんの神速のごときすばやさと圧倒的な腕力によって、スマホはあっという間に持ち主の胸元へと引き寄せられてしまう。


「痛いなあ。なんて力だよ……」

「これがハードボイルドの力です」

「お前はやっぱり鼻を折ってもらえ!」


 言うだけ言ってうつむいてしまった千代ちゃんを眺めつつ、さっきのフォルダのことを思い返す。どうせまた、ぼくの失敗談や恥ずかしい寝顔の写真なんかが入っているんだろう。興味はあるけど見たくはないかな。

 すっかり動かなくなってしまった千代ちゃんに、ぼくはいつもと変わらず声をかける。


「さあ帰ろう、千代ちゃん」


 沈みかけた夕陽が、彼女とぼくを赤く照らしていた。

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