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千代後輩とぼくの話。  作者: 桜庭ごがつ
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第05話 千代後輩と星座の話。

「星座の話をしよう」

「嫌です」


 いつものように、ぼくの提案はあっさりと拒否された。

 ぼくたち二人しかいない教室は、夕方の色に染まっている。一脚しかない長机と四脚のパイプ椅子が、壁の方にまで影を伸ばしている。毎日届く運動部の大きな声は、今日も変わらずぼくたちの耳に入り、そしてすぐさま反対の耳からリリースされている。


「ねえ、千代ちゃん。たまにはぼくの話をすんなり聞いてくれてもいいんじゃないかな。毎回そうやって頭ごなしに拒否されると、いくらぼくでも凹んじゃうよ」

「そういえば有楽先輩。ちょっと太ってきたかもって先日言ってましたよね。多少凹ませたほうがご自身のためなのでは?」

「お腹の話じゃないよ! 精神的な話だよ!」

「あら、そうでしたか。でも、精神論者が世にはびこると大変なことになりますよ。運動部員たちは倒れ、会社員の皆さんは過労死してしまいます。国家規模の危機ですよ」

「そこまで大きな話じゃねえ!」


 いつものことながら、この後輩の話はどこまで冗談なのか、まったく分からない。まあどうせ全部そうなんだろうけどさ。

 椅子に浅く座って足を投げ出すと、向かいに座る千代ちゃんの足に軽く当たってしまう。彼女は別段顔をしかめたりはしなかったものの、


「……有楽先輩。先輩が私の意見に反論する意志はよく分かりましたが、それでもパワハラはよくないと思いますよ」

「ごめんね、千代ちゃん。でも、わざとじゃないよ」

「ではセクハラということで」

「ということで、じゃねえよ! 足がちょっと当たっただけじゃん!」


 すると彼女は大げさに肩をすくめ、両の手のひらを上に向けた。海外の映画やドラマでよく見る、あのポーズだ。ついでに盛大なため息までオマケしてくれるものだから、ぼくとしては苛立ちが半端ない。

 いや、落ち着け。落ち着くんだ、ぼく。

 努めて笑顔で――まあ多少は引きつってるかもしれないけど、そこには触れない方向で、ぼくは後輩を見やる。


「ねえ、千代ちゃん。わざとじゃないんだからさ、許してくれないかな」

「加害者って大体みんなそう言いますよね。どこかで習ってたんですか?」

「そんな講習は受けてないよ!」


 あったら怖いだろ、加害者の言い訳セミナーなんて。

 てか、ぼくは加害者でもないし。


「ちょっと待って。とりあえず、まずはぼくの話を聞いてよ」

「わかりました。それではセクシャル・ハラスメンテーターの有楽先輩に雄弁に語っていただきましょう」

「おいやめろ。スペシャル・コメンテーターのノリでセクシャル・ハラスメンテーターって言うのやめろ」


 そんな言葉ねえよ。


「言い訳しないんですか?」

「そもそも濡れ衣だから、言い訳って言葉は使い方として間違ってるんじゃないかな」

「じゃあ私が先輩を弁護しましょう」

「まさかの寝返りかよ!」

「ところで星座の話って何ですか?」

「このタイミングで訊くのっ?」


 相変わらず話があっちこっちに飛びまくるなあ。

 彼女がこういう性格なのはさすがに気づいたけれど、だからといって完璧に対応できるわけじゃない。若干の対応だって怪しいものだ。

 なんていうか、あれだ。ちいさい子のボール遊び。正面を向いていてもどこに飛んでいくか分からない、あの感じに似ている。まあそう言って比べてみても、片方は高校生なんだけどね。

 とりあえずセクハラ疑惑は晴れたみたいなので、ぼくは改めて彼女に提案する。


「あのね、千代ちゃん。星座の話がしたいんだけど」

「嫌です」

「知ってたよ! その返答がくるの知ってたよ!」


 ちょっとでも「この流れならいけるか?」なんて期待した自分が馬鹿だった。いけるわけないよね。だって相手は千代ちゃんだし。


「まあまあ、有楽先輩。そう気を落とさずに」

「誰のせいだよ!」

「ともあれ、ページ数もそろそろ半分いきそうですし、真面目に話されたほうがいいんじゃないですか?」

「そのセリフをお前が言うんじゃねえ!」


 ぼくはいつも真面目に話そうとしているのに、それを茶化してるのはそっちじゃないか。

 だというのに当の本人はいたって涼しい顔をして、「私は最初からちゃんと聞いてましたけど?」的な雰囲気でもって、ぼくに無言の圧力をかけてくる。なんでこっちが責められなきゃいけないんだよ……。


「ちなみに先輩は何座なんですか?」

「ぼく? ぼくは六月生まれの、かに座だけど」


 たしか六月二十三日からかに座だっけ? よく憶えてないや。


 そう答えると、千代ちゃんは両手を胸の前で合わせて嬉しそうに――いや、無表情だから断言はできないけど、ともかく今ひとつ感情のこもらない顔でもって、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「かに座なんですか? わあ、奇遇ですね」

「え、ということは千代ちゃんも……」

「私はふたご座です」

「何でだよ!」


 お前はまず奇遇の意味を調べてこい。

 ……あれ? でもふたご座ってことは――


「そうです。私も六月生まれです」

「地の文を読むなって毎回言ってるんだけど……」


 私は六月の前半なんですけどね、と彼女は言う。

 ちなみにふたご座の人は、他者とのコミュニケーションの取り方が上手で、どんどん外の世界に打って出るタイプらしい。対人では奥手になりがちなぼくが言うのもアレなんだけど、彼女はそれに輪をかけて、ふたご座の看板に似つかわしくないような気がする。

 とはいえ、まあそんなのは血液型や運勢と一緒で、盲信するようなものじゃないんだけどね。自分に都合のいいことだけ覚えておけば多少気が楽になる程度の、取るに足りないものだ。

 ぼくと誕生月が一緒だと知った千代ちゃんは、


「じゃあ、ほんのちょっとだけど、先輩と同い年の期間があるんですね」


 なんて呟いて。

 なんだよ、そんなことで喜ぶなんて、ちょっとは可愛らしいところもあるじゃないか。


「その間はタメ口でいいですか?」


 前言撤回。やっぱり千代ちゃんは千代ちゃんだ。

 ぼくはもういい加減諦めて、彼女の反応そっちのけで話すことにする。


「夏の大三角って知ってるかい? 織姫と彦星の……」

「こと座のベガが織姫、わし座のアルタイルが彦星ですよね」


 ……ぼくなんかよりずっと詳しかった。くっそう。


「もうひとつは、はくちょう座のデネブなんですが、彼ないし彼女は天の川の伝説には絡んできません。もちろんデネブが登場するお話もあるにはあるらしいのですが、さほど有名ではありませんし。三位一体(さんみいったい)の星座でありながら、この仕打ちはちょっと看過することができませんね。仲間はずれは立派なイジメですよ」

「いや、そういうことを言いたいんじゃなくて……」

「こういうのをパワハラって言うんですよね。それではさっそくパワー・ハラスメンテーターの有楽先輩にご意見をうかがいましょう」

「そんな言葉はねえっつってんだろ!」


 まったくもう、どんな体勢からでも攻撃してくるな、こいつは。

 さすがに慣れてきたとはいえ、その理不尽な挙動にはいつも振り回されっぱなしだ。まあ、それが嫌ってわけじゃないんだけどさ。

 だからぼくはひとつ息を吐き、彼女に言ってやった。


「……雨が降ると、天の川の水かさが増すんだよ。本来ならカササギが翼を川の両岸に広げて橋の役目をするんだけど、デネブがその代役を担う話があるんだ」

「あら、有楽先輩のくせにお詳しいですね」


 くせにとか言うなよ……。

 ともあれ、思ったとおり、後輩は目をぱちぱちとしばたたかせ、心底意外そうにこちらを見やる。

 もういいや。これ以上虚勢を張ったところで彼女にはすぐバレちゃうだろうから、そろそろ白状したほうがよさそうだ。


「調べたんだよ、昨日」


 そう――昨日の夜、必死にね。だから知っていて当然なんだ。


「そうなんですか。でもなんでまた、そんなことを調べてたんです?」

「千代ちゃんとこうして話すためさ」


 なんかもう、恥ずかしくて彼女の顔を見ていられない。ボケの面白さを自分で解説するのと同じくらい恥ずかしいかもしれないや。

 ぼくはふいっと窓の外へと視線を移し、背後できっと嘲笑しているであろう後輩に言い訳を始める。もしあるなら行っておくべきだったかもね、言い訳セミナー。


「いつも下世話な話題ばかりだからね。夜空や星座なんかのロマンチックな話題なら、千代ちゃんも喜んでくれるかなって思ったんだ」

「……私のために?」

「まあ今日も見事に失敗しちゃったけどね。あはは」


 自分で笑い飛ばしてみるが、上手く笑えている自信はない。どちらかと言えば泣きそうな心境ですらある。

 だけど――いつまで待ってみても、彼女がぼくを笑うような声は聞こえてこなかった。


「あの……、せんぱ……」

「おっと、もう下校の時間だね。そろそろ帰ろうか、千代ちゃん」


 あれ? いま彼女、何か言いかけてなかったっけ?

 振り返ってみるが、そこにはやっぱり感情の読めない後輩がいるだけだった。西陽のせいで若干赤く見えるものの、いつもどおりの千代ちゃんだ。きっと空耳だったんだろう。

 リュックを肩にかけるぼくの後ろを、後輩が歩く。


「あっ、あのっ、先輩!」

「うわ、びっくりした。どうしたの、急に大きな声出したりして」


 彼女にしては珍しいな。帰り際に貴重な体験をしてしまった。


「……すみません、数年ぶりに声を出したもので」

「ほんの今さっきまで喋ってたよねえっ?」


 千代ちゃんの意図も分からずぼくが戸惑っていると、注意深く聞いていないと気づかないような、風の音に消え入ってしまいそうなちいさな声でもって、


「……今日、途中まで一緒に帰っていいですか?」


 うつむいたまま、廊下にそう零したのだった。

 だからぼくは、いつかは彼女と並んで夜の空を見上げたいな――なんて思いながら。


「じゃあ、となりにおいでよ」


 小生意気な後輩に手を差し出し、笑ってうなずいた。

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