第04話 千代後輩とゲームの話。
「ゲームの話をしよう」
「嫌です」
いつものように、ぼくの提案はあっさりと拒否された。
空はとうに夕方の色に染まり、開け放った窓から届いてくる運動部のかけ声は、一日の練習を仕上げにかかるかのように大きい。今日の分の体力をすべて出しきらんとする勢いだ。
西陽の差すこのちいさな部室も、たった二人なら不自由はない。両腕を左右に振って、ラジオ体操だってできそうだ。
「千代ちゃん、ここに入部してどのくらい経ったっけ?」
「さあ、どのくらいでしょう。有楽先輩に分からないことが私に分かるわけないじゃないですか。やだなあ、もう」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
部活動の後輩たる彼女の言動には、いつもながらまったくついていけないでいる。もしこの子の取扱説明書があれば、ぼくは漱石先生を三人まで出してもいい。今後の部活動が円満なものになるのならば、そのくらいの出費はいとわない。
「三千円で人ひとりを操ろうだなんて、考えが甘すぎますよ」
「あのさ、千代ちゃん。いつも言うようだけど、地の文を勝手に読まないでくれないかなあ」
そんなぼくのぼやきに、やっぱり後輩はいつもどおりで、
「でもまあ、漱石先生の上げた功績は、千円札という枠では収まらない気もするんですよね」
ぼくの苦言など右から左で、あさっての方向に飛躍する。
「たしかに、その数々の作品で並みいる批評家たちをことごとく唸らせてきたイッちゃんには及ばないのかもしれませんが、それでも惜しいところまではいっているはずですよ。私としては四千八百円くらいの価値はあると思います。二千円札があるくらいですし、お願いしたら今からでも作ってくれませんかね、四千八百円札」
「誰にお願いするんだよ……」
イッちゃんって、もしかして樋口一葉のことか?
そもそも四千八百円の買い物をしたら素直に五千円札を出すわ。
「あのね、千代ちゃん。今は漱石先生の功績の話ではなくて……」
「ああ、すみません。たしか漱石と功績で韻を踏もうという浅はかな話でしたよね」
「微塵もしてねえよ、そんな話!」
「ええっ? ラッパーにあるまじき発言ですよ、それは」
「ラッパーじゃねえし!」
「ところでゲームの話って何ですか?」
「このタイミングで訊くのっ?」
いかん、ほんの数分前に話を切り出したばかりだというのに、なんかもう疲れてきた。
「いや、あのさ。人生をゲームに喩えてる人ってたまにいるじゃない? ヌルゲーだとかハードモードだとか。両親をガチャに喩えてるような人も見かけるし」
「たしかにいますね、そういう気の毒な人」
「まあそこはいいんだよ。思うのは本人の勝手だからね。ぼくが言いたいのは、自分が面白いと思うゲームを自作できたら、自分にとって最強のゲームができるんじゃないかってことなんだ」
「ありますよ、そういうソフト」
「えっ、もうあるのっ?」
そうなのか。結構いいアイデアだと思ったんだけどなあ。
まあ、ぼくのような一般人が思いつくようなことなんて、プロからすればたやすく閃いちゃうんだろうね。
「とはいえ、それも『ゲームを作れるソフト』というだけの話であって、素材はすべてそのソフトに入っているものの中で賄わなければいけません。多様性があるように見えて、ふたを開けてみればどのゲームも似たような作りになってしまう欠点もあります」
「そうなんだ。詳しいね、千代ちゃん」
普段ゲームの話なんてまったくしないけど、実はかなりのやり手なのかもしれない。実況動画を配信したりね。
でも無口な彼女がそんな動画を作ったとしても、延々とゲームだけが流れることになるのかな。
「近年は据え置き型のハードよりも、スマートフォンでいつでも手軽に遊べるゲームアプリが流行ってるみたいですね。オンラインでフレンドと協力したり、逆に競い合ったり」
「そうだね。テレビのCMでもよく見かけるようになったよ」
「でもまあ、根本は自分の持っているキャラクターや装備の自慢をしたいだけの、見栄の張り合いにすぎません。見栄を張って一時の優越感にひたるために、プレイヤーは日々、四千八百円札を湯水のように溶かし続けるのです」
「君が漱石先生をリスペクトしているのは分かったから、ありもしない紙幣の話はそろそろやめにしようか」
『湯水のように溶かす』という表現に関しては、今回はあえて触れないであげよう。
それにしても、と思う。
「自分の好きなようにゲームを作れるなんて、そりゃあ絵面的には似たり寄ったりになるのかもしれないけど、それでもすごいことなんじゃないかな。ぼくはびっくりしたんだけど」
現存するゲームへの不満をすべて――とはいかずとも、ほとんど取っ払ってしまえるのなら、それは作り手にとって最高の一本になるのではないだろうか。
そんなぼくを見やり、後輩は「そうですね」と応える。
「残りページ数もあと半分ですし、そろそろこの話題の収束に向けて、的を絞って話してみますか」
「いや、そういうメタなこと言わなくていいから……」
「もしロールプレイングゲームを作るとしたら、有楽先輩はどんな内容のゲームにしたいですか?」
「ロープレかあ」
言われてみれば、そこまでは考えていなかった。自分好みのゲームが作れたらいいなくらいにしか思っていなかったから、こうしていざ振られると、漠然とした答えしか浮かんでこない。
「主人公がモンスターを倒していって、最終的には魔王を倒して世界に平和が訪れる……的な?」
ぱっと思いついたままを答えてみたのだが、後輩はいかにも不機嫌そうに、ジト目でこちらを睨んでいる。
普段から表情の動かない彼女をこんな顔にした、ということだけでも今は誇らしく思っておこう。そうでもしないとこの妙な緊張感に耐えられそうもないや。
「有楽先輩、それ本気で言ってるんですか?」
「いやまあ、なんというか……。想像力が乏しくて面目ない」
「そんなものは、花札メーカーが出した初期のハード時代からありますよ。ビデオゲームという枠から出れば、もっとはるか昔からある内容です。ふざけてるんですか?」
「そ、そこまで言わなくても……」
ちょっと――いや、かなり自信をなくすぞ。
「いいですか、先輩。正解はこうです」
「正解とかあるのっ?」
「まず、主人公はニートです」
「ものすごい逆境からスタートするんだね!」
「甘いですよ、有楽先輩。最近はライトノベルの影響で、どうしようもなくダメな主人公がなんの苦労もせずハーレムを築き、適当な戦闘描写でもって強敵をバッタバッタとなぎ倒していくのがウケるんです」
「ちょっと、千代ちゃん! 多方面に毒吐くのやめて!」
たしかにそういう傾向にあるのかもしれないけどさ……。
「ご近所の皆さんから笑われたり後ろ指をさされたりするのが嫌で、日頃から自室に閉じこもり、だから肌も青白くて、そんな姿で出歩くのが恥ずかしいからさらに引きこもるという負の連鎖。外出できないので当然職もありません。暗い部屋でゲームにいそしむ毎日です。ぺっ」
「いまツバ吐いた? 部室にツバ吐いた?」
「そんなダメな主人公ですが、外に出たいという野心がないわけではありません。なんとか気力を振り絞って外出に成功します」
「そんなに大変なことなのか……?」
「すると、目の前の道路でちいさな女の子が、居眠り運転のトラックに撥ねられそうになっているではありませんか」
「主人公、助けてあげて!」
「しかし主人公は数年ぶりの外出で足が思うように動かず、何より自分が痛い目にあうのが嫌なので助けません」
「クズだね、主人公!」
「主人公が突っ立って眺めていると、突然トラックのタイヤがバーストして彼のほうに突っ込んできます。あわれ、主人公。トラックに撥ねられてあっさり死んでしまいます」
「ざまあないね! 同情の余地が一ミリもないね!」
「そして彼は天に召されたかと思われましたが、なんと異世界に転生して人生をやり直す機会を得るのです。物語はここから始まります」
「ふうむ……」
なるほど。軽いのか重いのかよく分からないプロローグだったけど、どんな経緯で主人公がスタート地点に立っているのかを明確にするのはいい手法だと思う。現実世界の住人である主人公がいきなり異世界にいて、「はいスタート」では意味が分からないし。
ぼく個人としては気に入らない主人公ではあるけれど、彼は彼なりにこれからたくさんの冒険をして、人間的にも大きく成長していくのだろう――そう考えると悪くない。
「ちなみに敵の名前は、ショウライ、ロウゴ、カイゴ、オヤノカネなどです」
「つらいよ! 異世界に来てまでそれはつらすぎるよ!」
「頑張ってラスボスの『ゲンジツ』と向き合いましょう」
「主人公、一切報われないよね!」
「大丈夫です。仲間になるキャラクターにはそれぞれ好きな名前を付けられます。友人たちの名前を付ければ心強いと思いますよ」
「そ、それならまあ……」
「最終的に全員裏切りますが」
「現実うううう!」
どこにいたって世知辛い現実。主人公のその後に興味はあるけれど、正直あまり知りたくはない。多分泣いちゃうだろうから。
そして――
現実というのは、楽しかろうと悲しかろうと、時間だけは誰にも等しく流れていく。だから尊く、厳しいものなのだ。
「こんな将来を迎えないためにも、先輩はもう少しお勉強をがんばってくださいね。なんだかんだ言って、ちゃんと職に就くことが明るい未来への第一歩ですよ」
ぼくの未来。ぼくの将来。
そこにこの後輩は存在しているのだろうか。ぼくのそばにいるのだろうか。いてくれるのだろうか。
何年もずっと先のことで悩むなんて、意味のないことなのかもしれない――それでも、ぼくは思う。
この先もずっと彼女と一緒にいられたら、それはきっと幸福な未来になるのだろうと。