8,スリジエの優しさ
「ごめんなさい桜の精霊。私は今誰とも会いたくないの。だって今の私の姿を見たら落胆してしまうわ。精霊の一人である私がこんなみっともない姿をしているのですもの。」
その言葉にエマはこう思いました。
そんなの問題ないわ。私はどんな梅雨の精霊を見ても落胆なんかしないはずだし、スーはとっても深い心を持っているのだもの。グレゴワールさんは、きっと大丈夫よ。
最後のグレゴワールについての考えはなんとも信憑性が無いことでしたが、エマとスリジエに関しては本当にその通りです。
「梅雨の精霊よ。私たちはあなたを見てもそんなことを思ったりしないことを約束します。もし何か悩みをお持ちならぜひ教えてくれませんか?あなたの力になりたいのです。」
スリジエがそういうと、スリジエの目線の先に霧と水滴が集まり始めました。スリジエと同じくらいの大きさの球体ができると、その球体は霧散しました。そしてその場所に残ったのは一人の妖精でした。
やっと会えた!といつもの通り元気な声で挨拶をしようと思います。ですがそれは場違いだとエマでも分かりました。梅雨の精霊は泣いていたのです。その涙は頬を伝い、腕を伝い、そして一粒の雨になり地上へ落ちていきます。これが激しい雨の正体でした。それは誰も通ることのできない雨を降らせるほど、とめどなく溢れる悲しみの涙でした。
スリジエは優しく語り掛けます。
「梅雨の精霊、いえ、セゾンデプリュイ。何か悲しいことがあったのですね、だからあなたは沢山の涙を流している。」
セゾンデプリュイは答えます。
「その通りです。私は今、抜け出すことのできない深い悲しみの中にいます。私一人ではもうその悲しみから抜け出すことはできません。だからずっと悲しみの涙を流し続けているのです。」
誰かがこんなに悲しんでいるのをエマは見たことはありませんでした。エマですらこれほどの気持ちになったことはありません。それはグレゴワールも同じようでした。何か言ってあげたいと心の中では思っているのですが、どうしても声に出して言うことができない。そんな顔をしていたのです。
ですがスリジエだけは違いました。彼女は本当に優しくて深い心の持ち主です。その優しさはエマの優しさとは少し違います。エマの優しさを、手を引いて誰かを元気にさせる優しさとするならば、スリジエの優しさは、倒れている者を助けてあげられる優しさでした。
セゼンデプリュイに近づいて彼女を抱きしめて言います。
「あなたの悲しみは、きっと誰もが、私ですら経験したことのないような感情なのでしょう。ですがあなたはこう言いました。「私一人ではもうその悲しみから抜け出すことはできません」と。それなら私と2人でならどうでしょう。エマと3人ならどうでしょう。グレゴワールと3人と1匹ならどうでしょう。梅雨に住むみんなとならどうでしょう。あなたは一人ではありません。きっとその悲しみからも抜け出すことができます。自分を信じて、みんなを信じて。」
「スリジエ…」
エマはスリジエの優しさに触れて勇気をもらったようでした。精一杯の優しい声で言います。
「セゾンデプリュイ。私、あなたに笑顔になってほしいわ。だってあなた凄く綺麗な顔しているのだもの。ママに言われたことがあるの、可愛い顔が台無しよって。あなたの悲しみを取り除いて、笑顔になってほしい。そのためなら私、なんでもするわ。」
エマに続いてグレゴワールも言います。
「梅雨の精霊様。おいら全然知らなかった。梅雨の精霊様がこんなに辛い思いをしているなんて。でももう絶対悲しい気持ちになんかさせない。もし原因が梅雨のみんなにあるのなら。おいらがみんなを導いてみせるよ。約束する。」
エマ達の励ましの声を聞いたセゾンデプリュイは先ほどより大きな涙を流し始めてしまいます。ですが先ほどの悲しみの涙ではありません。柔らかくて暖かい、優しさの涙でした。そしてセゾンデプリュイは手で涙を拭うと言いました。
「ありがとう、ございます。エマ、グレゴワール、それにスリジエ。」
そうしてセゾンデプリュイが落ち着くまで3人と1匹は彼女に寄り添いました。
「私がこの地で泣いていてしまったのは。梅雨のことをよく思わない者達の声を聞きすぎてしまったからなのです。春から夏に向かうには必ず梅雨を越えなければなりません。しかし越えようとするものは皆一様にこういうのです。「梅雨は嫌い」と。私たち精霊には彼らの声が届いてしまうのです。私は段々その言葉に耐えられなくなってしまいました。そして止まない涙を流し続けていたのです。」
セゾンデプリュイは自分が泣いていた理由を話し始めました。ここからはエマの魔法の時間です。彼女の魔法は皆を笑顔にする魔法です。
「ねぇセゾンデプリュイ。私は梅雨好きよ。だってあんなに綺麗なお花が咲く時期なんですもの。私ね、さっきまで紫陽花がどんな時期でも咲いていれば良いなって思っていたの。でも今は少し違う気持ち。梅雨にしか咲かない花だからこそ、紫陽花はあんなに綺麗な花を咲かせるんだと思うの。特別だから美しいものってきっと沢山あると思うわ。春に咲く桜も同じように。」
エマはスリジエに目を向けると、スリジエも笑顔を返してくれました。
「だから梅雨が特別で素晴らしい時期だってことも、きっとみんなに伝わるわ。」
それを聞いたグレゴワールは言いました。
「おいらも紫陽花大好きだ!それならもっと紫陽花の花を咲かせればいいんだ。あたり一面の紫陽花畑ができたら、きっとみんなも紫陽花を好きになって、梅雨も好きになってくれる。」
「とっても良いアイディアだと思うわ!」
エマは飛び切りの笑顔をセゾンデプリュイに届けます。
「そうですね。それはとても良い案だと思います。」
スリジエも賛成してくれています。
「でももし好きになってくれなかったらどうしましょう。それでも嫌いって言う者がいたら。」
セゾンデプリュイはまだ少し戸惑っています。また嫌いの感情が自分に流れ込んだらどうしよう、また泣いてしまうかもしれない、彼女は怖いのです。
「大丈夫よ!そんなときはまた私たちを呼んで。そうしたらまたみんなで考えればいいんだもの。必ず助けに来るわ。」
エマが元気に言います
「そうだよ。」「はい。」
グレゴワールとスリジエも言います。
「ありがとう。みなさん、ありがとう。」
セゾンデプリュイはまた泣き出してしまいました。でももう彼女は悲しみの涙を流すことは無いでしょう。なぜなら彼女には支えてくれる者ができたのですから。そしてセゾンデプリュイはオレンジ色の夕焼けが地平線に隠れようとしているのを背景に、目に涙を溜めながらもエマ達に紫陽花のような美しい笑顔を見せてくれました。
「そうだ!ねぇセゾンデプリュイ。あなたのこと「プリュー」って呼んでいいかしら。精霊の名前ってなんだかみんな呼びにくい名前なのよね。スーの時もそうだったし。」
エマが言います。
「大丈夫ですよ、エマ。」
セゾンデプリュイが言います。
「ありがとう、プリュー!」
「それではエマ、私たちはそろそろ行きましょうか。プリュー、困ったときは呼んでください。今はエマとの旅が終わればすぐに会いに行きます。」
スリジエが言います。それにセゾンデプリュイのことをプリューとも。セゾンデプリュイはすこし驚いていましたが笑顔で答えました。
「ありがとう、スー。」
「おいらも呼んでください!すぐに駆けつけますから。それと紫陽花のお花畑はお任せください、必ず最高のものを作って見せますから!」
グレゴワールが言います。
「えぇ、よろしくお願いしますね、グレゴワール。」
「はい!」
みんなを見渡してセゾンデプリュイは呼びかけました。
「帰りは私が皆さまを地上へ送りますね。スーはここに来るまでにすごく疲れていると思いますので。グレゴワールは梅雨の時期に、エマとスーは直接薫風まで、後はエマの傘があれば風に乗って夏にたどり着けるはずです。」
グレゴワールはエマとスリジエの方を向いて別れの挨拶をします。
「エマ、桜の精霊様。本当にありがとう。おいら頑張って梅雨を春一番の人気の時期にしてみせるよ、桜の時期にだって負けないようにね!その時はまた来てくれよな。」
エマが言います。
「楽しみにしているわ!グレゴワールさんも頑張って!」
セゾンデプリュイが言の葉を唱えます。
“雨の道を皆に与えよ”
するとエマ達の目の前に雨と霧の滑り台が2つ現れました。一つはグレゴワール、もう一つはエマ達の滑り台です。
「ケーキのスポンジみたいに柔らかいわ。プリュー、ありがとう!」
「プリュー、また会いましょう。」
「梅雨の精霊様、さようなら!」
2人と1匹は滑り台を滑り始めると、雨と霧によって生まれた虹のアーチがエマ達の頭上に架かります。今度はグレゴワールもはっきりその目に焼き付けました。そして徐々に薫風が近づいてくると、エマはガレリアからもらった傘を開き、風に乗って次の季節に向かっていきます。エマは滑り台を滑っている最中、こんなことを考えていました。
スー、あなた本当にすごいわ。プリューの止まない涙を止めてあげられるなんて。私もいつか、あんなお姉さんになれたらいいのに。悲しんでいる誰かを助けてあげられるようなお姉さんに。
次の季節は夏。エマの旅は始まったばかりです。
一読ありがとうございました。
そして前日投稿できず申し訳ありませんでした。
梅雨の精霊のセゾンデプリュイという名前は
Saison des pluiesという梅雨を意味するフランス語をそのまま名前にしたものです。
この第8部分で春は終わり、次話から季節は夏へ入ります。
エマは今回、スリジエに深く憧れを抱き始めました。
それは泣いていたり、悲しんでいたりする誰かを救い出せる「優しさ」を持ってたからです。
春の章では、エマがその憧れを抱くことを一つの主題にしています。
その憧れをエマは今後どうしていくのか。
ぜひ最後までお付き合いいただけると幸いです。
それでは。