4,出発
最初にスリジエに出会ったとき、エマはとても興奮していました。なぜなら物語に出てくる妖精のような姿の少女が目の前に現れたのですから。もちろんエマが住んでいた世界では見たこともありませんでしたし、こちらの世界に来てからも、春の季節で見る動物や門番さんやヴァイオレットのような人間にしか出会うことはありませんでしたので、その興奮はすぐに冷めることはありませんでした。
「あなたが、桜の精霊さん?その、私あなたのような人に会ったのが初めてだから、そもそも精霊なのだから人ではないのよね、えっと、だから、とにかくびっくりしていて、私はエマです!よろしくね。」
なんともたどたどしい自己紹介になってしまいます。ですがスリジエはエマの反応を見ても笑ったりはしませんでした。
「驚くのも無理ないでしょう。向こうの世界ではこの姿をした生物などいないのですから。心配しなくても、エマの反応で気分を害したりはしませんよ。」
なんて深い心の持ち主でしょう。エマはいつか自分もあれくらいの心を持ちたいと思いました。
「それではヴァイオレット、私はエマと二人で話すので。」
スリジエが言うと、ヴァイオレットは一礼して部屋から出ていきました。もちろんエマとお別れの挨拶をした後に。
「それじゃあ、話をさせてもらってもいいかしら?」
スリジエはそう言いましたが、エマは目の前の少女の姿に興味津々で、まだ話を聞ける姿勢を作れてはいません。冬を取り戻すという大役を任されたエマでしたが、まだまだ子供の女の子です。多めに見てあげましょう。
見かねたスリジエは一つの言の葉を唱えました。
“私を人間の姿に変えよ”
羽がみるみる大きくなりスリジエを包み込みます。そして羽が開かれると、そこにはエマよりも少し背の高い女の子が地面に足をつけて立っていました。
「すごい!これって魔法なのかしら?それじゃあスリジエも私と同じ魔女なのね。私が使える魔法はまだ一つしかないけど、いつかもっと沢山の魔法を使えるようになりたいわ。」
今度はスリジエが使った魔法に興味を持ってしまいました。これでは話を進めたいと思って同じ体形になったスリジエの努力が水の泡です。そこでスリジエは何とかエマに落ち着いてもらうために、エマのことを話してもらうことにしました。
「エマ。あなたがここに来た理由を教えてもらえるかしら。」
エマはスリジエの質問を聞くとこう答えました。
「それわね、春の魔女に言われたの。あなたの力で春を取り戻してって、それで春の城にたどり着いたら、桜の精霊に助けを求めなさいって。そうだわ、私スリジエに会いに来たの。この世界のこと、私がすべきことを教えてもらうために。」
どうやらこの作戦は成功のようです。スリジエは気を取り直して話し始めます。
「そう。エマは春を取り戻すためにここにやってきた。そして私も春の魔女から頼まれています。「エマを助けてあげて」とね。」
「そうだったのね。あ!そうだわ、プランタン、春の魔女はママが看病しているから安心してね。ママは看病がとっても上手なんだから。」
エマは風邪をひいたり熱を出したりしたときマリーが一生懸命看病してくれた昔を思い出していました。
「それを聞いて安心しました。それじゃあエマ、これから少し長い間お話しするけど、ちゃんと聞いているのよ。」
スリジエはそういうと、一呼吸おいてから話し始めました。
「私たちが暮らしているこの世界は4つの地域に分かれていて、それぞれ扇形の形をしています。そしてその4つが合わさって一つの円の形を成している世界です。4つの地域は春夏秋冬で分かれていて、今私やエマがいるこの場所は春の地域。ここから冬に向かうためには、夏と秋を経由しなければなりません。春と冬は隣り合わせの地域だけど、境界には冬から春に向かって春一番が吹いていて通ることができません。それは春と夏、夏と秋、秋と冬も同じです。それぞれの地域は一方通行になっているから後戻りはできません。」
さらに続きます。
「エマと春の魔女が出会う前、春の魔女は一人で冬の魔女の所へ向かいました。けれど春の魔女の言葉に全く耳を貸す気が無い冬の魔女は、春の魔女を冷気で凍らせてしまおうとしました。瀕死の春の魔女は、なんとか冷気から抜け出してあなたの家の近までやってきました。たとえ魔女であろうと季節を渡るには境界線を渡らなくてはなりません。でも冬の魔女によって今にも凍らされかけていた春の魔女は境界線まで向かう力はありませんでした。だからエマが住む世界の同じ冬の季節の地域に逃げるしかありませんでした。そして春の魔女は冬の魔女から受けた傷のせいで、こちらの世界には戻ってこられない、つまりこれ以上エマを助けることはできません。」
もう少し続きます。
「エマ、あなたにはまず春を超えて夏に向かってもらうことになります。そこでの一番の難所は年中雨が降り続ける梅雨でしょう。あの場所は雨と湿気でとても歩きづらくなっていますし、何かが夏に向かうのを邪魔しているらしいのです。気を付けて進む必要があります。そして春と夏の境界線に着いたら、薫風という風に乗って夏に入ることができるのです。それから先は桜の精霊である私にはわからないの。ごめんなさい。」
スリジエの話が終わりました。エマはというと。
「なるほど、分かったわ。私はこれから夏と秋を超えて冬へ向かう。プランタンの助けはこれ以上借りられない。春の難所は梅雨。夏から先はスリジエには分からない。」
これにはスリジエも驚きです。失礼な話ですが、話の半分を理解してくればいいと考えていたのですから。子供の集中力には時折驚きを隠せません。ところでこのときエマが考えていたことといえば、
スリジエのお話を早く終わらせて魔法についてたくさん聞いてみよう。
子供は本当に自分の欲望に忠実ですね。スリジエとの大事な話が終わると、エマは思っていたことすべてを聞いていきました。その羽はどうやって動かしているの、とか、変身魔法はどうやってやるの、とか、他に使える魔法はないの、とか。
そうしているうちにすっかり日も暮れて夜になってしまいました。スリジエとのお話が終わると、ヴァイオレットが現れ、エマをベッドがある部屋まで案内してくれました。このベッドがとても面白くて、なんと桜の花びらをシーツで包んでできているというのです。試しにエマがベッドに潜ってみると、桜の甘いけど強すぎない優しい香りが鼻いっぱいに広がりました。
「こんな贅沢なベッド初めて!ありがとうヴァイオレット。」
満面の笑顔で言います。
「こちらこそ喜んでいただけると、なんだか私まで嬉しいです。」
ヴァイオレットもつられて笑顔になってしまいます
「それでは、明日の朝、起こしにまいりますので。それまでぐっすりお休みください。」
ヴァイオレットが言う。
「えぇ、そうさせてもらうわ。明日からはもうこのベッドで眠れなくなるでしょうから。おやすみなさい、ヴァイオレット。」
「おやすみなさい、エマ。」
ヴァイオレットが部屋から出ていきます。エマは布団の中でこの幸せな匂いを忘れないようにずっと起きていようと思っていましたが、時計が9時を指すころには眠気に負けて眠ってしまいました。そしてその日は桜の夢を見ることができました。ベッドの効果でしょうか。
次の日、予告通りヴァイオレットがエマを起こしに来ました。今日は一回の呼びかけで起きることができました。他人の家でお行儀の悪い行動をするのは良くないと思ったのです。
ここが私の家なら、あと一時間は寝ていたいのだけれどね。でも今日は大事な日だもの。エマは寝坊助って印象を持たれたくないわ。もしそんな印象をもたれたら、夜が来ても眠らないようにしなきゃならなくなるもの。眠らなければ起きる必要もないわ。だから寝坊助なんて呼ばれることもなくなるはずよ。
「今日はいよいよ出発の日です。エマ様の為にお洋服を用意しています。」
ヴァイオレットは言います。
「まぁ本当!?とっても嬉しいわ。」
ヴァイオレットが用意してくれた洋服は白のシャツとピンクのエプロンワンピースでした。胸元の桜の花のブローチと襟のリボンがエマの可愛らしさをより強調しています。
「こんなかわいい洋服を着るのは初めて!ママが作ってくれる服も大好きだけれど、この洋服もとっても気に入ったわ。」
エマはヴァイオレットに言います。
「お気に召したようで何よりです。それでは参りましょう。」
エマはヴァイオレットについていきます。そして昨日通った門の前までやってきました。
「エマ様をお連れしました。」
そこにはたくさんの春の人々と、手のひらサイズのスリジエが待っていました。そしてスリジエは言います。
「エマ、私は春の魔女にエマを助けるように頼まれています。でもそれはこの世界の知識を与えることだけではないと思うのです。エマが辛い時に傍にいて助けてあげるのが、春の魔女が望んでいることだと思うのですから。だからねエマ、私も一緒に冬の魔女に会いに行くことにしました。」
それはエマにとって、とても嬉しいお話でした。
「本当に!?ありがとうスリジエ!とっても嬉しいわ。スリジエと一緒なら、春なんてすぐ超えられるわ!それにとっても心強い。ねぇスーって呼んでいいかしら。初めて会った時から思っていたのだけど、スリジエってなんだか呼びずらいわ。だからお願い!」
エマは嬉しそうに答えます。
「えぇ構いませんよ。それではエマ、これからよろしくね。」
「よろしく!スー。」
門番が大声で言います。
「門を開けろー!」
門がゆっくりと開き始めます。ですが今回は嫌じゃありません。スリジエも隣にいます。みんながエマを笑顔で見ています。それだけでエマの心はウキウキしてきました。
春のみんな、ママ、それにプランタン、待っていて。きっと春を取り戻してみせるわ。
完全に門が開くとエマは歩き始めました。まずは夏へ向かって。
子供らしい思考や行動を文章にするのは本当に難しいです。私にも子供の時代があったので、同じような経験をしたかもしれません。ですが今は子供ではありません。あの頃の感覚とはもう遠く離れた場所にいるのです。それを人は「成長」と呼ぶのかもしれません。
そしてこの物語を書いていて、私は成長する代わりに捨てているものが確かにあったと再認識しています。
皆さんはどうでしょう?もし何も捨てないで成長している人がいるなら、本当に素晴らしいことだと思います。
それでは。