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疑史(ぎし)古代日本の歴史  作者: 鹿島三塁手
第二章 大和時代って何だろう
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大和時代とその時代背景について

大和時代この時代は、解っている様でわからないことだらけです。なにかミスリードをされているような、重大なことが隠されているようなそんな気がします。

 飛鳥あすか時代って言うと有名な人が出てきますね、聖徳太子です。まず最初にこの人物について述べる前に、時代背景を説明しておきたいと思います。


 奈良県のほぼ中央部に飛鳥(明日香)という地名があります。そこに朝廷が置かれ、聖徳太子や推古天皇の居た時代(580年頃)から、平城京遷都(710年)までもしくは、藤原京遷都(694年)までとの説もありますが、そこまでの時代の事を指し、古墳時代後期とまとめて「大和やまと時代」と呼ばれる時代です。

 まず物事の決定は天皇を中心とした合議制であったといわれています。その中でも天皇家からの分家である葛城かつらぎ氏や蘇我氏、その職業名から派生した物部もののべ氏や大伴氏なんかが有名なところです。


 天皇家についても話しますが、初代神武天皇から33代推古天皇あたりまでが怪しい所が多いです。推古天皇の75歳や、その後の60代まで生きられた人は、多少長生きだなと思いますが、そこまでの怪しさは観られていません。「魏志倭人伝」に「倭人は長生きで、80~100まで生きるものもある」との表現があるので、そこまで不思議には思いませんが、ただ中には100歳以上、最長の人に至っては168歳なんて方もいます。

 この辺は年の数え方が今と違うかもしれないし、他の可能性もあり得るかも知れません。天皇家の家系図をたどると天照大御神から始まり、神武天皇を初代に数え始めています。神話だからという人もいるでしょうが、神話には必ず元ネタがあります。そのあたりは大和時代の総括のところで書くつもりです。

 

 他には仏教や漢字の伝来など、大陸からの渡来人、まあ今風に言えば移民が多くいた時代です。ある意味様々なものが混ざり合った「混沌の時代」とも言えますね。


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