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疑史(ぎし)古代日本の歴史  作者: 鹿島三塁手
第一章 古代史って何だろう
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古墳時代ってなんだろう

 古墳時代は実に分からない事が多すぎます。文書が残っていないから空想する事は簡単ですが、実証する事が不可能なのです。

 古墳時代については古墳が多くつくられた時代って事くらいで、実はあんまり詳しい事は解っていません。なぜかと言えば「文書」が残っていないからです。弥生時代もそうだったのだが、当時の日本には文字があったのかすら解っていません。

 そもそも何で古墳がつくられたのでしょうか?100以上あった国が30ほどの貢物を持ってくる国に淘汰されていったと倭人伝にはありました。西暦200年あたりから、飛鳥時代頃まで古墳が作られていて、後期のものは墳墓であるのはわかっているのだが、何でそんなのをつくり始めたのかは理解に苦しみます。案外国同士の争いによって、常駐しなくてはいけなくなった軍隊の兵士を、遊ばせておくことが無駄と見て作り始めたとか考えると、なかなか興味深い感じはします。


 最も、戦争によって滅ぼされた国の領民を使って、倒した側が国力を見せつけるために作ったというのも、あり得そうな話ですけれども。

 

 古墳次第の出土するものに、銅矛どうほこ銅鐸どうたく銅鏡どうきょうがあります。鉾と鏡は現在でも天皇家の三種の神器じんぎとして残っていますので、何となく使い道は解ります。しかし、銅鐸はこの時代の古墳や遺跡からしか出土せず、何に使われていたかも定かではありません。どうもこれは歴史の闇に消えていったものらしいです。形からいって、木の棒を通して鐘のように使っていたのでしょうか?そうなると、その地域の時間の基準になる、現在でも残っている、お寺の鐘のようなのものなのだったのでしょうか?

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