卑弥呼ってどういう人なんだろう
よく邪馬台国論争とか、卑弥呼とはなんて話を聞くので、歴史学者じゃない私が、自分の推論で書いていきたいと思います。
弥生時代を語るとして避けて通れない人がいます「卑弥呼」と呼ばれる人です。この人の事は中国の三国時代の魏の歴史書の中の倭人伝の項目に出てきます。小学校でも習う有名人ですね。で、この人がどういう人かは全く解っていません。当時の日本に文字が伝わっていなかったからなのか、それとも歴史が散逸したのかは解りません。『歴史は生き残った者が作る』自分は、今後もこの観点から書いていくことになるので今後もよく使う言葉になります。
「魏志倭人伝」には簡単に訳すと「倭国の状況」「邪馬壹國やその周辺の国」「倭国の風習や暮らしぶり」「卑弥呼という女王が統治している国とその後の歴史」こんなことが書いてあります。
まず最初に言いたいことは、これが魏という国が倭という国の状況を聞いた「伝聞を書にまとめた」という事です。伝言ゲームが最後まで正しく伝わらないのと同じく、不正確な部分があるでしょうし、伝えた使者が自国を強大にみせるために誇大表現をしたかもしれません、何よりも中国の歴史書は数に対する誇張表現は普通に存在し「白髪三千丈」なんて表現を使う国であることも重要でしょう
この書を読むと奴とか卑とか狗や邪なんて地名人名が良く出てきます。多分当て字なんでしょうけど、この漢字には中華思想ってのが絡んでいると思われます。これは「うちらが世界の中心で、周りは格下である」っていう思想で、東西南北に合わせて「東夷、西戎、南蛮、北狄」と呼んでいました。だから当時、鮮卑と呼ばれた朝鮮の東から来た倭國の地名や人名にそういう格下を意味する地が使われている事からも解ります。
次に方向と距離は、恐らく使者よりの聴き取りであったはずで、「里」という言葉も今の約4kmでなく、海里の1852 m でもなく、三国時代の1里である400m強であったとしても、その単位を正確に使者が計算し報告したとも思えません。そもそもその単位を知っていたかすら不明です。
気候風土なんかについては、ここでは詳しくは言いいませんが、興味がある方は「魏志倭人伝」で検索してほしいです。
次に「邪馬壹國」これを何と読むのでしょうか?「やまたいこく」でしょう?と思われるでしょうが、中国語の「壹」の字は台とは読みません、この字は「一」と読みます。つまり「やまいちこく」と読むのが正しいのです。先ほども述べたように、そうなると邪や馬も当て字である可能性が高く、日本の古来の自国の呼び名「大和」も当て字であると考えれば、「やまとの一国」もしくは「やまと一の国」と読むことも可能ではないでしょうか。
そうなると「卑弥呼」も「ひみこ」ではなく、当て字として適当である字は「日巫女」である可能性も高と考えられます。何故なら日本の神話に出てくる天照大御神が太陽の象徴であるのですから。