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疑史(ぎし)古代日本の歴史  作者: 鹿島三塁手
第一章 古代史って何だろう
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縄文時代ってなんだろう

 縄文時代について考える。どうやら1万5000年位までからが縄文時代らしいです。同時に氷河期の終わりが「1万年位前らしい」ということは、縄文時代前期はまだ氷河期の途中であり、大陸と日本は繋がっていた可能性が高いと思われます。

 そうなると、前回に書いた、南方系、半島系、北方系から大陸の端に位置する現在は島国である日本に、様々な人たちが流入したのだと思います。氷河期が終わり、日本が大陸から断絶し、今のような形になった時、人々はどんな暮らしをしていたのでしょうか?


 日本は現在、約38万平方㎞の土地の内、4分の1が平地であると言われていますが、この時代はもっと平地は少なかったと考えられます。平野の出来方は地学の時に習った堆積平野と、後の時代の干拓事業によってできたものも多いのですから、今よりは絶対的に狭いはずです。


 私の実家には、平野と里山の境付近に、貝の字のつく地名や、島の付く地名がある。地元の歴史を調べたらどうやら湿地帯があったらしいので、淡水か海水かは知らないが、そこで貝を取っていたのだということが解ります。

 気候も「温暖化」と言われて久しい現在よりかは寒いでしょうが、シベリアや大陸内部の様に冬にマイナス数十度になる様な事もなく過ごしやすい環境で、モンゴルの様に大移動するする必要もなく、冬とその他の季節を少ない数で小移動をして生活する、多数の部族の存在する状況が想像されます。

 

 そうなると、外敵からの侵攻に悩まされる事もなく、部族間で大きな対立を起こすこともなければ、部族ごとに違ったものを信仰する原始宗教が生まれ、それが元となり日本神道の精霊信仰である『八百万の神やおよろずのかみ』が生まれたのではないかと推測出来ます。

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