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疑史(ぎし)古代日本の歴史  作者: 鹿島三塁手
第四章 平安時代って何だろう
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桓武天皇の後の天皇家と仏教について調べてみよう

 「天皇の譲位と新天皇の即位」これは現代以上に大きな変化をもたらす、今回はそんな事について、書いていこうと思います。


 桓武天皇の死後、皇太子である「平城天皇へいぜいてんのう(774年-824年)が即位します。そして彼の治世での行動を見る限り、官庁の統廃合や年中行事の一部廃止、下級官僚に対する待遇改善など数多くの改革を行い、藤原種継(義母である藤原薬子の父親)の暗殺の記述を削除されていた続日本紀に戻す。など父の時代とは違う改革を断行していきました。

 しかし父の時代と違う路線であったため、病気を理由に809年に弟の「嵯峨天皇さがてんのう(786年-842年)に譲位します。そして翌年810年に、平城上皇の義理の母藤原薬子とその兄藤原仲成が首謀者とされる薬子の変(平城大上天皇の変)が起こります。

 この変は失敗に終わり、首謀者とされる藤原薬子は自殺、兄仲成も射殺、平城上皇の息子である「高岳たかおか親王」は廃太子、それ以外の人物は流罪、左遷になりましたが、平城上皇は出家だけで済み、その後14年も、それなりの待遇にて対応されていた事を観ると、父親である桓武天皇の二の舞を避けたように見えます。


 今回は最澄と空海について掘り下げてみます。最澄(766?年-822年)は遣唐使派遣時の、797年時に桓武天皇の「内供奉十禅師ないぐぶじゅうぜんじ(天皇の安寧の祈祷をする職)」になっており、804年には38(?)歳であり、それなりの実績をあげていた状況での派遣で、翌年805年に8ヶ月で230部460巻を写した後、天皇の病状を聞き5月に神戸に着いています。8ヶ月で460巻となると、一日2巻弱の書写ですから、真偽の点では疑問が残りますが、桓武天皇の崩御には間に合っていて、安寧の祈祷する立場としては正しかったかもしれません。

 その後比叡山にもどり天台宗を広めます。京都の鬼門にあたる北東に土地に位置される、比叡山延暦寺の重要性がわかりますね。


 次に空海です。「空海(776年-835年)は、792年に18歳で大学寮(当時の教育機関)に学ぶなど、若くしてその才能を発揮した人物です。しかし既存の学問だけに飽き足らず、遣唐使に派遣される前から、中国語や梵語(サンスクリット語)を学んだだけでなく、自らに厳しい修行をか出家しますが、804年の遣唐使にて長期留学僧(大体20年位の予定)に彼が選ばれた理由は、未だに良く解っていません。

ともかく遣唐使に選ばれ中国に渡った彼は、長安に渡り、「恵果えか(746年-806年)の弟子となり密教を学びます。そして師の死後、彼の功績を示す碑文の草案を任されたというのですから、実際に可愛がられていたのでしょう。そして806年3月帰国の途に就き、五島列島を経由して10月に太宰府に戻ります。

 その後の空海はストイックな性格と豊富な知識から信者を増やし朝廷からの信頼も厚く816年には高野山を修行の地として下賜されます。そしてその後真言宗を開きます。


 天台宗と真言宗、同じ密教とされているのにあまり仲は良くありません。そのきっかけは空海の帰国後に起こります。

 最澄は帰国後、自分の留学の成果の少なかった事に気づき、一時期空海に師事します。年齢的には10歳ほど最澄の方が年上でしたが、そのあたりは最初は気にならなかったようです。しかし次第に天台宗は法華宗と結びつき、多くの人に教えを広めるために写経や経文などの形に重きを置くようになります。

 それに対して空海は、悟りを開くためには修行をし、己を見つめなおし真理を追究していく、実践哲学のような方向に進んでいきます。

 目標は同じ悟りを開き人を幸せにするためのものですが、その手法が対立していきます。登山のやり方の違いのようなものだと、考えたらよいのでしょうか。

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