「古事記」と「日本書紀」ってなんだろう
よく歴史の授業で習うものですね。違いは何なのでしょう。
「古事記(712年成立)に「稗田阿礼(生没年不詳)」という人物から「太安万侶(生年不詳ー723年没)」が聴き取り、日本の古代神話から、推古天皇の時代までの事をまとめた歴史書です。
この稗田阿礼って人はどんな人なのでしょう。実はこの人に着いて記録はほとんど残っておらず、天武天皇の時代に記憶の良さを認められ「帝紀(天武期に編纂された歴史書で散逸)」や「旧辞(同じく天武期に編纂された歴史書で散逸)」したものを覚えて居たとされる人物ですが、それ以外の記述はほとんど残っていない謎の人物です。
内容は三巻から成り、「天地開闢(上巻)」から「天照大御神の神話(上巻)」や、「神武東征(中巻)」や「倭建命(中巻)」などを経て、「推古天皇(下巻)」までの事が記録されています。
聞き取りにより編纂された神話なので、どこまでが本当であり、とこからが嘘であるかは解りませんが、上巻にある「因幡の白兎」や「大国主命(大黒天の元ネタとなった人)による国譲りの話」は、出雲を大和朝廷の支配下においた事の、正統性を述べているものでしょう。また「神武東征」や「三輪山(大和)の大物主」に話は、天皇家の祖先が、他の地域から大和にやって来て統治した事に対する、正統性を述べているものでしょう。
そもそも「天孫降臨」の話だって、「葦原の中つ国(中国地方)」からわざわざ「高千穂(宮崎)」を経由して「神武東征」によって大和にたどり着く。方向も距離も無茶苦茶な話です。
まるで滅ぼした幾つもの王朝の神話を、整合性が取れる様に、無理やりにつなげたように見えます。
次に日本書記(伝720年成立)した、残っている日本最古の正史と言われるものです。舎人親王(天武天皇の子)らが中心となって編纂されたものらしいです。神代(天地開闢)から持統天皇の時代までを書いたもので、成立年は「続日本紀(797年成立)によって類推されたものです。
「古事記」に比べ、大筋はあまりり替わっていませんが、神話時代の記述があっさりしており、「古事記」の物語調に比べ、漢文体で記録調で書かれていたため、国外に向けて発信したものではないか、と言われています。
この書の面白い所には、正史でありながら、異説が多く書かれている事です。散逸したものからの記述も多く、「帝紀」「旧辞」「古事記」「日本旧記」などの、日本のものだけではなく、「百済記」「百済新撰」「百済本記」などの旧百済の記録書、その他日本各地の伝承や、個人の手記などが含まれています。
まあ「古事記」は国内に「日本書紀」は国外に向け書かれたものと言えます。ただ、なぜか百済の書が多いのは気になります。
ここにも百済との関係の深さが出来ていますね。




