表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
疑史(ぎし)古代日本の歴史  作者: 鹿島三塁手
第三章 奈良時代って何だろう
18/34

なんで奈良時代って言うんだろう

平城京に遷っても同じ大和の国の中での移動でしかありません。なぜこの時代が奈良時代と区分されたのでしょう。

 いきなり、何を言っているのかと思うかもしれませんが、奈良時代とは元明天皇が平城京に遷都し(710年)、桓武天皇が平安京に遷都(794年)する時代までの事を指します。別にこの区分に文句をつけるのではなく、なぜ「奈良時代」というのかという事についてです。


 大和時代、と平安時代の間なのですから、「平城時代」なのではないでしょうか。実は奈良の、同音異表記に「那羅」「寧楽」と共に、「平城」という当て字があります。という事は「平城京」と書いて「ならのみやこ」と読んだのが正解かもしれません。

 奈良の旧国名は大和です。しかし大和の元の字は「倭」と書いてヤマトと読みました。それを奈良時代になり一文字より、二文字の方が縁起が良いとされ、「大倭やまと」とされました。その後一時「大養徳」と変更したり、「大倭」に戻したりした後、757年頃から「大和」に固定化されたようです。


 でも「藤原京」の時代を藤原時代とは言いませんし、平城京も大和にあるのですから、ここまでを大和時代として良いはずです。律令政治が始まったのにあわせてなのなら、701年の大宝律令や天武天皇期の「飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょう」をもって奈良時代としても良いはずですが、そうではありません。


 平城京以前の都であった「新益宮(藤原京)」跡から出土した邪気や悪鬼を払う呪符木簡じゅふもっかんから、何かを封印して逃げ、同時に藤原京から「厩坂寺うまやさかでら」を今の興福寺(710年建立)の位置に移築し、時代区分も変更したように見えます。

 なぜなら、奈良時代末期に都があった長岡京(京都府長岡京市周辺)から、同じように逃げるように「平安京」に遷都し、時代区分も平安時代としているのですから。


 


都を移すときは何らかの縁起の悪さ、居心地の悪さがあるようですね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ