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疑史(ぎし)古代日本の歴史  作者: 鹿島三塁手
第二章 大和時代って何だろう
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中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)ってどんな人なんだろう。

 歴史的有名人ですが、記録をたどると何かおかしな雰囲気のある人たちです。何故でしょうか。

 今回は乙巳の変いっしのへん以降の事について書きたいと思います。

 中大兄皇子はその後、皇太子になりますが、日本書紀によると626年生まれという事は、変の起きた時には19歳だったようです。そして変の翌日には母である皇極天皇が退位し、彼女の異母兄弟である軽皇子孝徳こうとく天皇(49歳、654年没)が即位しました。ちなみにこの時、中臣鎌子は31歳です。  

 そしてその年のうちに孝徳天皇は都を「難波長柄豊碕宮なにわのがらのとよさきのみや(現大阪市中央区)に遷都します。個々で、646年「|改新の詔を出し、これが日本の律令制度の元となったとありますが、現在では藤原京から出土した木簡によりこの説は否定されています。

 その後653年に孝徳天皇(654年没)と対立し彼を残し、奈良にある「板蓋宮いたぶきのみや(乙巳の変の起こった場所)に戻っています。そして孝徳天皇の死後、母である皇極天皇を再度立て斉明天皇とし、皇太子の地位に留まりました。

 結局彼が天皇の地位に就いたのは668年母である斉明天皇(661年没)死後7年、乙巳の変からは23年後になってでした。そして彼は天智天皇になってわずか3年で没します(671年)。


 なぜ彼は孝徳天皇の没後でも、母である孝徳天皇の没後でもなく668年まで待ったのでしょうか?ちなみに母の没後、天皇の位は7年間空位になっています。

 彼の即位が遅れた理由はいくつかあります。一つ目は彼は人気がありませんでした。彼が皇太子になった後も、政敵となりそうな人を次々と排除していったことや、朝鮮半島の情勢に首を突っ込み、滅亡し日本に来ていた百済の皇太子である「扶余豊璋ふよほうしょう(生没年不明)」に過度の肩入れをし、663年に『白村江の戦いはくすきのえのたたかい』で大敗北をしています。その後、なぜか即位前であるのに『近江大津宮おうみおおつのみや』に引っ越します(天皇でないので遷都はおかしいので)。

 そして彼の贈名である「天智」は中国古代の、悪名高き殷の紂王の所持していた天智玉からとられたものです。もう普通の感覚なら嫌がらせみたいな名前です。

 彼の一生は日本書紀にある通りに読み解けば、まるで誰かの為に外敵を排除する生涯だったようにも見えます。


 つぎに中臣鎌子(藤原鎌足)についてです。彼の一族は神道の家系で、実は同一の名前を持つ人物が、彼の五代先祖にいます。その人は560年年代に、物部氏と共同で仏教の布教に反対した人、との記述が残っています。仏教を保護した蘇我氏との因縁は、このあたりからあるのでしょう。ちなみに鎌子の「子」も鎌足の「足」もその当時は敬称だっただったようで、そのあたりの用法もあまり考えなくても良いらしいです。


 彼の経歴を調べても、なぜかあまりはっきりしていません。若い頃から中国系渡来人の師匠に学び秀才と呼ばれていたため、皇極天皇に神職に就くことを勧められたが、これを固辞し摂津(大阪府)にある別居に移住した(644年)と記録にはあります。

 そして、摂津の地で蘇我入鹿から距離をいていた軽皇子(孝徳天皇)、中大兄皇子蘇我倉山田石川麻呂そがのくらのやまだのしかわまろ(入鹿の従兄弟)と共謀し、乙巳の変(645年7月10日)を起こしたとなっています。変の後は「内臣ないしん」と呼ばれる朝廷の正式な職でない軍事参謀ポジションに収まり、中大兄皇子と共に変に参加した味方だったものを蹴落とし、669年に藤原の姓を受け、同年死去したと記録(日本書紀)にはあります。


 ここでは、中大兄皇子が即位するまで23年かかったこと、孝徳天皇が奈良大和の地に戻らなかったこと、そして中臣鎌子、軽皇子などの乙巳の変を起こしたグループが、偶然に「摂津」にいた事あたりが重要な気がします。

何かぼんやりと見えてきた気がします。

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