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疑史(ぎし)古代日本の歴史  作者: 鹿島三塁手
第二章 大和時代って何だろう
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聖徳太子ってだれだろう

聖徳太子(厩戸皇子)の記録を見れば見るほど、解らなくなってきます。謎です。

 いきなり良く解らない事を書いてみます。40代以上の大人なら「一万円札の人」「17条憲法をつくった人」と認識されていますね。今の若い人に聞くと「厩戸皇子うまやどのみこのことですね」と答えるでしょう。

 あれ?なんか変です。何でそんな風に印象が変わったんでしょう。聖徳太子の肖像画なんですが、実は奈良時代に書かれたものらしいんです。服装が大和時代でなく奈良時代のもので、当然のごとく当時に写真技術はありません。ですからあの絵柄も想像図にすぎません。

 

 次に厩戸皇子についてですが、皇子という身分からわかるように天皇家の生まれです。名前の由来は母親が厩所の前で産気づいたからだと言われていますが、どこかで似たような誕生秘話を持つ人物がいますね。新約聖書におけるイエスキリストの誕生した場所が、馬小屋だったと言われています。偶然でしょうか?

 また、摂政となった推古天皇は叔母にあたる存在です。彼は天皇にならずに、なぜ叔母である『初代』女性天皇である推古天皇の摂政になったのでしょうか?摂政とは天皇陛下が幼いか、女性である時に置かれる臨時代行職です。普通に考えれば、彼自身が天皇になってもおかしくないポジションにいました。

 

 通説では彼が聡明すぎる為、傀儡に出来ないであろうと感じた蘇我氏によって即位できなかったなんて説もありますが、それは実に不思議です。なぜなら彼の父方の祖母も、母方の祖母も蘇我氏の出身で、蘇我稲目いなめは曽祖父、蘇我馬子うまこ母方の大叔父にあたります。蘇我氏にとってはこれほど都合の良い者はいないでしょう。実際に古事記(712年)日本書紀(720年)の記述では、蘇我氏と共に海外の文化を取り入れ、政治を動かしていたのですから、不仲であるはずはありません。


それに、用明ようめい天皇(太子の父)がなくなった(587年)後、蘇我氏と物部もののべ氏は親仏教と反仏教に分かれ戦い蘇我氏側が勝ちます。太子は蘇我氏側につき参戦したとあり、その後は太子の叔父である崇峻すしゅん天皇が即位しますが、蘇我氏との対立により暗殺された(592年)とあります。そしてその姉である推古天皇が即位(593年)した、と日本書紀にはあります。

 この期日も実に怪しいのです。用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の3人は崇峻天皇こそ母親が違いますが3人の母は蘇我氏の姉妹で、すべて蘇我氏の血を引く兄妹です。3人とも蘇我稲目を祖父にもち、蘇我馬子は叔父にあたるです。


 話を戻して聖徳太子の話に戻すと、摂政に任ぜられた後、彼は余に言う「一七条の憲法の制定(604年)」「悲田ひでん院や薬師やくし院の設立、四天王寺の建立(592年)などが有名ですが、彼の仏教の師であるのが、高句麗からの渡来人の僧「慧慈えじ」という人でした。


 そんな人だったので、戦争なんてやらなかったように見えますが大和朝廷は597年に新羅に侵攻、602年に再度侵攻予定(何だかんだあってとん挫します)と争いごとは無くなっていません。

 だから「十七条の憲法」の最初の文が「みんな仲良く」だったのでしょうか?この事に対する記述も日本書紀にあるからという事らしく、後世でも「作り話説」が何人もの学者によって提唱されています。


 その後太子は隋に有名な「遣隋使(一回目が607年)に派遣し、継続しています。その後は民の安寧につながる政策をおこない、620年に国の正当なな記録として「国記」「天皇記」などを蘇我馬子と共に編纂にあたり、622年(日本書紀では621年)に亡くなっています。


 どう考えても、蘇我氏と仲が悪かったようには見えません、どちらかと言えば車輪の輪のように協力して事をなしていたという気がします。


 

 


どう読んでも、蘇我氏と仲が悪かったようには見えません。何か見落としがあるのでしょうか。

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