第二話 秘めたる想い
「お嬢様、準備は出来ましたか?」
「ん~…」
「入りますよ?」
溜息交じりに、京介が華子の部屋に入って来る。中にいる華子は、大学に行く準備など全くしておらず、机に突っ伏して窓の外を眺めていた。
「準備はしたとおっしゃいましたよね?」
「したなんて言ってない。」
「…昨日お約束したはずです。明日は必ず授業に出ると。」
「嫌。行きたくない。」
「なぜです。」
「御畑くんに関係ない。」
「…。」
幼いころから、周りの人間たちとの距離というか、壁を感じて生きてきた。
そしてその壁は、中学に上がると同時に壁ではなくなった。
壁は無理矢理相手から壊され、勝手に侵入された。
そう。今思えば、その壁によって、華子は守られていたのだ。
どこか他人行儀というか他所他所しくて距離がある友人。
そっちの方が、幸せだったのだ。
私は何も悪くない。この家に生まれてしまっただけ。
なのになぜ、嫌われなくちゃいけない?
親は子供選べないのと同じように、子供だって、親は選べない。
いじめられ続けて分かったこと。
他人は、私の中身などどうでも良い。
ただ少し家柄が違っていたから。男の子が私に好意を寄せていたから。
気に食わなくて、いじめてもあまり抵抗しないもんだから、いじめ続けた。私は家柄を盾に守ってもらうことは嫌いだったし、そのいじめっ子たちを脅そうとも思わなかった。
守られるのが嫌で拒否してるつもりでも、自然と家に守られている。
結局私はどこまで行っても甘ちゃんで、今でもこんな風に駄々をこねて御畑くんを困らせてる。
すると不意に、カツカツ…という、流麗に歩く音が背後から聞こえた。それが、すぐ後ろで止まる。
「お嬢様。私はお嬢様の専属執事です。お嬢様の悩みを解決するのもまた、仕事でございます。」
「何も命令してない。動かなくていい。」
「…お嬢様は四月から一度も、私に命令をしたことなんてありません。いつもいつも『お願い』として、私に仕事を与えて下さるのです。」
「……とにかく、今日は行きたくないの。…一人は嫌」
「私が付いていけばよろしいのですか?」
「…一人は…嫌…」
家という小屋の中から一歩踏み出すと、そこは孤独の世界。
一人だけ、よく話しかけてくれる子がいるけれど、人間不信の華子にとって、信用できる人は誰もいない。
「…一人ではございません。こちらを向いてください。」
顔を後ろに回すと、京介がしゃがみ込み、華子と目線を合わせていた。その綺麗な瞳から、目が離せなくなる。
「私がいるではありませんか。私は、一人というカウントには入りませんか?」
こういうときだけ、優しいことをいう。
「…だって…家に帰らないといないじゃない。」
涙がこぼれて、思わず顔を伏せる。しかしそうはさせまいと、京介が華子の髪を耳にかけた。
「っ…」
優しい手つきに、さらに涙がこぼれる。
「お嬢様は、一人ではありませんよ。」
「…帰ったら…そばにいてくれる?」
「ずっとは難しいですが、出来る限り、あなたのおそばに。」
「…なら行く。」
「…それに、お嬢様の泣き顔はお世辞にも綺麗とは言えません。早くいつもの顔にお戻りください。」
「なっ…もうっ、準備するわよっ。」
「それならよろしい。」
優しいのかからかっているのか、よく分からない彼の優しさに触れて、華子は勢いよく椅子から立ち上がった。用意してまとめた鞄を肩にかけ、玄関に向かう。
「お嬢様、お待ちください。スカートが折れてしまっています。」
「どこ?」
流れるような手つきで華子のスカートを正すと、仰々しく堅苦しい扉を開ける。
「車でお送りします。」
「ん。」
車に乗り込み、京介が運転席に乗る。
ガチャ
車から華子が降りる音がして、京介が落ち着いた風に見せながらも慌てて止めようとする。
「お嬢様?もう帰りませんよ、大学に、」
「違う。」
華子は少し不貞腐れたように助手席に座り、頬杖をついてそっぽを向いた。
「…どうされたんですか?」
「そばにいるって言った。」
「…シートベルト、してください。」
ガチャリ
「自分でできるよそれくらい。」
「失礼いたしました。」
車で一時間。
華子が通う大学に到着する。
少し手前の駐車場に車を止めると、京介はいつも通り、眠りこけている華子をゆする。
「お嬢様。起きて下さい。」
「…っ………」
今日は相当眠いようだ。中々起きない。
京介は溜息をつきながらも困ったように微笑んだ。
「…私を…あまり困らせないでください、お嬢様。」
そう呟いたことは、寝ていた華子は知る由もない。