僕は彼女と猫のためにカメラを買う(中編)
次の日、日課の様に下を向き、緑色の様な黄色いしみを避けながら中坂を登っていた。
「……昨日も水瀬と一緒に下校したんだ。僕の大好きなあの水瀬と…」
2度あることはなんとやらで、今日も恐らく一緒にクロエを探す放課後が待っていると思う。
水瀬も昨日の時点では、「明日も」と思ってくれていた。
めちゃくちゃ嬉しい……。
思えば思うほどめちゃくちゃくちゃ嬉しい……でも思えば思うほど、疑問もひとつ浮かび上がる。
……水瀬は陸上部に行かなくて、大丈夫なのだろうか。
水瀬は陸上部のエースだと思う。
僕の通う坂の上高校では、靴箱を抜けたすぐの廊下に「運動部記録掲示板」なるものがある。
例えば野球部ひとつとっても、一つ前の公式戦のレギュラーの名前や、そのレギュラー達の戦績、打率やホームランの数など、数字と言う数字が張り出されている。
勿論陸上部も同じで、種目ごとのタイムや、飛距離等の順位が張り出されている。
水瀬は高跳びの選手だ。
高跳びの順位表は、3年の先輩の戸出茂佳恵と言う選手がいつも1位だ。
どうでもいいが、その先輩には、戸出茂義男という双子の兄が同じ陸上部の高跳びの選手をしているらしい。
水瀬は2位が殆どだ。
1年の冬休み入る前に一度だけ、同学年の火村亜貴と言う女子が2番だったのを見たことがあるだけだった。
他の三年の先輩を押し退けて、2年の水瀬が常に2位をキープしているなら、恐らくエースと言えるであろう。
そんな期待されている水瀬が、幾ら不思議な猫を探すためと言え、そんなに休んでいいものなのか……
などと考えていたら、背後に気配を感じた。
ズンズン……ズンズン……
その巨体に蓄えた質量を揺らしながら、ただただオタトークをするために現れ、その登場シーンに脳内にかかりそうもない河内のテーマソングが鳴ることはそもそも無かった。
水瀬だったからだ。
「春野君おはよ!今日こそは頑張ろうね!クロエの写メ撮るんだよね!携帯ちゃんと充電してきた?W」
水瀬は水色の合皮のケースに入った携帯をひらひら手で遊びながら僕に声をかけてきた。
「……水瀬さんおはよう! そうだね、今日もまた見つけたいよね。
勿論充電はしてきたし、動く対象を捉えるための写真の撮り方とか色々調べてきたよW」
現代社会では何をするに置いても、1にググる!2にググる!3,4が無くても5にググる‼というほど、ググるのが当たり前なのだ。
「いいね!頼りにしてるね!」
なんて言って水瀬は僕の肩をポンと叩いた。
「ははは」と笑ってなんでもないふりを装ったけど、こんな小さなボディタッチにもドキドキしてしまう。
しかし、今日はいつもの河内じゃなくて、水瀬に声を掛けられるとは思ってもみなかった。
――河内はと言うと、今日も本当は千太を前に見つけて、喋りに行こうとして、水瀬がいたから昨日の様に石になっていた。
――そしてここから、一週間ほど時間が経過する――
僕達は、この一週間めちゃくちゃ頑張っていた。
毎日クロエを見つけては、シャッターチャンスに心躍らせ、スマホをかざした。
二人は、クロエを写メに納めようと躍起になるのだが、クロエは相当にすばしこい猫で、物凄い速さで逃げるので、僕達に全く写メを撮らせようとしないし、逃げずにこちらを伺っている時も、僕達が、スマホを構えると、反復横飛びの世界チャンピオンかと言うかの横飛びを見せ、ブレて、尻尾だけ写るとか、なかなか収まってくれなかった。
「……やっぱりスマホだから駄目なのかな?」
今日も精一杯がんばりました、でも無理でした。と言う、もうそろそろ解散かなってタイミングで水瀬が切り出してきた。
「一眼レフ?っていうの?
私全然カメラに詳しくないけど、なんかちゃんとしたカメラってブレを自動で補正したり、機敏に動くものを専用で撮るやつもあるじゃない?
そういうカメラならクロエを撮れたりするのかな?」
さすがに1週間ほど、進展のない事に、水瀬も不満らしく、眉をしわにして言う。
要は僕達撮り手の問題では無く、撮る機械が悪いと言っているようだ。
「確かにスマホでは限界があるかもだね。」
僕も全然カメラなんて分からないけど、とりあえず水瀬に賛同してみる。
「春野君って、1年生の時から放課後、いつも空とか景色とか教室から観ていたよね?
実はカメラとか写真とか詳しいんじゃないの?」
水瀬は両手の人差し指と親指をくっつけて、カメラ小僧が良くやるポーズでこっちをのぞいている。
僕は凄く動揺した。
窓から眺める……去年一年は本当にそれが学校に来る目的だった。
ただただ、河内のオタ話を耳で聞きらながら窓から見えるものをずっと見ていた。
でも水瀬はひとつ間違っている。
僕が見ていたのは景色や空ではない。
水瀬の走る姿、ジャンプする姿、そして目標のハードルを超えた時の水瀬の笑顔を僕はずっと見てきたのだ。
去年は、ただそのために生きていた。
今年もそうなる予定だった。
――まさか、水瀬が僕に気付いていたなんて。
嬉しい反面、僕が一年の時からずっと水瀬を見ていた事がバレてしまうとまずいので、
「そっ、そうなんだよね。高い空とか遠くに伸びて行く飛行機雲とか、四季折々の山々なんかすっごく好きでさ!
写真集なんか結構集めたりしてるんだよ。」
と写真集というワードにすり替え、サブカル・ポップカルチャー好きのオアシス、Villein Bandaid (通称ヴィレバン)とか結構行く系男子を必死で演じる。
「だよね!じゃーカメラとかって持ってないの?」
水瀬のヴィレバン男子(仮)に向けた無邪気な追求が続く。
「そっ、それが、前持っていた奴が壊れちゃってて、なかなか高価な物だから新しいのを買えなかったんだよね~……。
でも貯金もだいぶ溜まったしそろそろ最新のモデルの欲しいんだよね~。」
……くっ、苦しい。
我ながら苦しい言い訳だったが、なんとか繋いだ。
最新のモデルとか流行をチェックしている風を装えばヴィレバン男子感が増すと思った。
しかし、それによって思わぬ方向へ展開が転んだ。
「だよね~、カメラって結構するもんねW
私も、デジカメを前の誕生日に買ってもらったんだけど、結構したもんね~。」
水瀬は、うんうんと頷きながら、デジカメ持っているならそれをとりあえず持って来たらいいのに、と思わせる言葉をくれた。
しかも次の言葉が――
「でも新しいの買う貯金、溜まったんでしょ?
じゃー今週の日曜日、一緒に買いに行こうよ!」
――日曜日一緒にカメラを買いに行く?
それはつまり、とどのつまり、ズバリ、「デート」と言う事じゃないか!!??
自称ヴィレバン男子の僕はその名を更に深めざるを得ない自傷行為になる言葉を唱えたのだ。
「いいね‼
次の日曜日、一緒にカメラを買いに行こう!」
この様にして自称カメラ好きのヴィレバン男子(仮)の僕は、日曜日までにある程度の知識をつけるべく、未知のアイテム、「カメラ」について、未だかつてなかったほどググって猛勉強する羽目に至る。
僕は、それはそれは猛勉強した。
僕の人生で一番くらいに。
一眼レフやら魚眼レンズやら今はこの程度の名前しか知らない未知の世界カメラについて。
超高速で動くクロエを捉えるには何が適しているのか。
週課になっていた、深夜アニメ「ラブ猫」の放送時間さえも忘れて、カメラを調べていた。
調べても、調べても終わりがない。
その位、奥が深い世界だったので、ヴィレバン男子を装うには、ちょっとやそっとの知識ではだめそうだった。
僕は、睡眠時間を削れるだけ削った――




