僕は彼女と猫のためにカメラを買う(前編)
僕は彼女と猫のためにカメラを買う
――見上げれば登れなさそう。
――振り向けば転がり落ちそう。
坂の上高校へと続く中坂は、やはりあいも変わらず、誰も彼もを苦しめようとする。
しかし今日は何故だろうか、いつもと違う。
僕は苦しくない。
足取りが軽い。
心がフワフワするのだ。
坂を登っているという感覚は無く、まるで水瀬が笑っている方へ向かっていく様な……
坂に散らばる緑色の様な黄色いシミも、それは何か芳しい果汁のようで、水瀬のいる楽園を彩っている美しい物に見えてくる……
これを人は、「頭お花畑状態」と言う。
しかし、それくらい昨日の出来事は僕の頭に衝撃を与えた。
――見上げれば天国に向かう道。
――振り向けば……そこに河内がいた。
「春野氏~。昨日は誠申し訳なかったでござるW
しかし、春野氏が寛大にも某を見送ってくれた事で、無事にラブ猫コミックスをゲットしたおWW
勿論、使用用、観賞用、保存用の三冊、我が手中に納めたでござるW」
河内はいつものようにTHE OTAKUGOを巧みに使って昨日の戦利品について熱く語ってくる。
「はぁ~、当然くるくると動いて、甘い声で語りかけてくれるアニメも心を打つのだが、やはり手元に置いて実際に触れる紙媒体でラブ猫のみんなに会えるのは特別ですなWW
やはり手で触れないとね~W」
幸せを噛み締めているかのようなうっとりとした表情である。
実際に手で触れる………
帰宅部の僕と人生が関わるわけがないって思ってた女の子。
水瀬……
昨日、水瀬と僕は手を繋いだんだ…ほんの何十メートルとかだけど。
今考えても昨日の事は信じられない。
発光する猫を見て、水瀬と初めて喋って、そして手を繋いだ……
……まだ手に水瀬の手の柔らかい感触が残っている。
上の空で呆けた様な僕を見た河内はオタク語解除!と言わんばかりに
「春野、大丈夫か?熱でもあるのか?なんか顔も紅いぞ?」
鼻息交じりに心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。
「あぁ大丈夫だ。昨日録画してたアニメを遅くまで見てたからかな。
心配すんな。ありがとう。」
河内は何か嬉しかったようで、
「そうか大丈夫ならいいんだ。
もし今日何かあったら遠慮無く俺に言えよ。」
と胸を叩いて頼り甲斐アピールをする。胸が「ボヨン」となった。
そんなこんなでハァハァと頼りない帰宅部の肺活量で酸素を二酸化炭素に変えながら、坂を登りきった2人はいつもの様に校門で別々になって教室へ歩いて行った。
先程の頼れアピールはなんだったのかW
しかし、河内がそれ程にまで息苦しくこの学校での生活を送っていると言うことだ(特にここでは触れないけど)。
しかし、登校中の河内とのくだりなどどうでもいい。
今重要なことは、二階、三階と階段を上がりきって教室に着き、自分の机に座るこの瞬間なのである。
――水瀬は既に隣に座っていた。
昨日の事はまるでなかったかの様に今まで通り「スッ」と自分の席に座ればいいのか……
それとも、「やぁ!おはよう!昨日はびっくりしたね。
あの猫。夜な夜な家で色々調べたんだけど、やっぱり発光する猫と遭遇するなんて、そんな事例はなかったみたいだよ。」
とフランクにこちらから話しかけたらいいのか。
昨日は謎の猫を見つけて頭がハイになっていたのか、すんなりと言葉が出て来たが、今こうやって意識しながらだと喋れる気がしない。
何より周りにたくさん運動部の生徒が見ていて、なんだが水瀬と話すのはとても悪いことのように感じてしまう。
ちなみにあの発光する猫については、実際に調べはした。
しかしそんな光る猫など何も出てこなかった。
やはりあれは霊だったと言う線が1番濃厚なのだろうか。
などと考えながら、結局、勇気のない僕は前者を選んでいつもの様に席に着こうとした。
――その瞬間。
「おはよ。春野君。」
水瀬が僕を見て僕に挨拶をくれた。
昨日ぶりに対面した水瀬の笑顔はやはり可愛すぎた。
僕は内心のドキン!!と高鳴った鼓動を抑え、そして今頭の中で繰り広げたフランクを、
「……やぁ。昨日はびっくりしたね。あの猫。
夜な夜な家で色々調べたんだけど、やっぱり発光する猫と遭遇するなんて、そんな事例はなかったみたいだよ。」
……無事に口から放てた。
ぎこちもなく言えた事に心の中の僕は小躍りしている。
「そうだよね!私も帰ったらすぐネットで検索したよ! 発光 猫って。何も見つけられなかった。」
「そっ……そうなんだ。みっ……水瀬も調べたんだね。」
……二発目のフランク砲は不発だった。
「放課後、頑張ってあの猫、探そうね!」
水瀬がそう言ったと同時にチャイムが鳴り、ガラガラとドアを開けて先生が入ってきた。
――放課後、頑張ってあの猫、探そうね!……?!
昨日確かに帰り際そんな話をしたけど……
まさか……ねぇ?――
それからの1日……僕はひたすらソワソワしたのだ。
……ソワソワの内容をここに記しても特に面白くもなさそうなので、割愛するとして、いよいよ放課後がやって来た。
ホームルームが終わりチャイムが鳴ると同時に運動部は華々しくグラウンドに駆けていく。
本来なら隣の水瀬も……
しかし今日は、
「春野君!やっと放課後だね!!今日はあの猫捕まえようね!!」
なんてこっちを向いて大きな目をキラキラさせて言うもんだから、僕は恥ずかしくて目を右に左に背けまくった。
そうしていたら、左の方から、太ったメガネやバンダナのガリガリリュックサック小僧達の公用語を巧みに操り崇高なるラブ猫の井戸端会議をしにこちらに向かおうとしている河内が見えた。
水瀬は続けた。
「まずあの猫って言うのも違うよね!あんなに凄い猫だもん!名前をつけようよ!黒猫だしなんか、しなやかな感じで綺麗だったよね?多分メスだから~……」
腕を組み、首を少し傾げて考えている姿は、それこそラノベのヒロインでもなければ絶対許されないあざとさだ。
けど水瀬がするともう本当に可愛い。
河内はこの辺りで僕が水瀬と会話しているのに気づいたらしく、石の様に硬直していた。
なぜかその姿が滑稽に見えて、河内といつもたわいもない会話をしていたみたいにすんなりと話せそうな気になって来た。
「そうだね、これから捕まえようとするターゲットだし、名前があった方が呼び易いよね!
メスの黒猫かぁ……黒子とか?W」
無事にフランク砲を操れた僕は、対象の色要素と女の子の最も一般的な呼称をただくっつけた素晴らしい名前を提案した。
「あんまり可愛いくないね!W
でもそうだね、黒…クロ……クロエ…!
…いいね!クロエはどう?可愛いくない?」
思いついた時の「向日葵か!」って言うくらい「パアァ……」っと、花ひらく笑顔に、僕は首を横に振れるわけもなかった。
「とてもいいと思うよ。クロエ。」
僕の返事が嬉しかったみたいで、また笑顔で、
「やった!じゃあ春野君、頑張ってクロエを捕まえよー!!」
なんて言って両手を僕の方に掲げるのだ。
これはあれか?
……ハイタッチをしろってことなのか?
流石、運動部……
そう言うノリは全く慣れてないけど、水瀬の手に僕の手も合わせた。
……ドキドキしながら。
そして帰り支度を始める二人。
河内はまだ石になっていた。
僕はフランク砲を取り戻す要因になった、なんなら昨日イレギュラーな時間に帰ってくれたおかげで水瀬とこういう状況になったともいえる。
その要因ともなった河内に、最大級の感謝で手を合わせて、目配せをした。
「ありがとう。また明日な」と。
この坂の上高校のグラウンドは校舎の裏側で少し下った所にある。
すなわち校舎の正面にある校門とは、逆側にあたる。
なので、帰宅部の僕と陸上部の水瀬が並んで校門に向かっていくのは、あまり運動部には見つかりにくい。
――そして二人は中坂を下り始めた。
ここは、とても残念な事に、効率よくクロエを見つけるために、車道を挟んだ二つの歩道を二人で別々に下ることにした。
僕は二人で足並みを揃えて下校する事に内心、嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだが、まさか坂道を別々に下る事になるとは……
でも一緒にずっと喋りながら歩いてたら、帰宅部の僕の会話なんて彼女にすぐに飽きられてしまうかも知れない。
なんていうネガティブを考えながらポジティブも頭に浮かぶ。
この車道を挟む別々の道は下りきった橋本さんちのところで道が細くなり一本になる。
つまり水瀬の隣を歩ける。
何よりも最大のポジティブは……
好きな女の子と同じ目的で何かをする、それって青春だよね‼
反対側の歩道の水瀬に目をやると黙々とクロエを探している。
整った顔立ちの女性の真剣な眼差しは、可愛いも当然だが、かっこよくさえ感じてしまう。
僕は一年からずっと遠巻きにだが、あの表情の水瀬をずっと見てきた。
真面目なところがめちゃくちゃ素敵だと思う。
とか考えていると、ついに中坂は終わりを告げ、橋本さんちの塀の所で水瀬と合流した。
「坂にはいなかったねー。
これはなかなか大変な捜索になりそうだー……」
眉をハの字にして少し困った顔をする女の子がそこにいた。
水瀬よ、そもそもただの野良猫一匹を特定して見つけるのも難しいはずだろう……
ましてや発光する黒猫なぞ、そうそう簡単に見つかるものではない。
と心の中で呟きながら応える。
「まぁまだ始まったばかりだよ。坂の上から下りながら見て来たわけだから、だいぶ視野も広く見られたんじゃないかな?
じゃあ、次はこの橋本さんちの分かれ道、どっちに進むかだけどー……」
と僕が言い終わる迄に、僕と水瀬は同時に
「「あっ!!!」」
艶々した体躯でユラユラと美しい尻尾を揺らす、黒猫がそこにいた。
発光するその猫の名はクロエと言う。
まるで、僕達を待ち構えていた様に、道の真ん中に佇んでいる。
丁度僕らの帰宅方向だった。
水瀬は考えるより身体が動くタイプの様で、
二人で「あっ」のユニゾンをして1秒もしない内にクロエを全速で追いかけていた。
僕はその5秒後位に水瀬を追いかけた。
水瀬とクロエの追いかけっこは、クロエに軍配が上がったみたいだった。
水瀬の手が尻尾に触れるか触れないかでクロエが振り切り、水瀬は息切れ、天を仰いで、スピードが急低下した。
僕はそのずっと後ろで既に力尽き、「ハァハァ」いいながら歩いていたけど。
兎に角、僕はクロエが見えないくらい後方にいて、水瀬はクロエから一瞬目を離してしまった。
その隙にどこかに消えていて、僕達は見失ってしまったのだ。
「くそー!!また逃げられた!!」
悔しがる水瀬を横目に、
「やっぱりいきなり追いかけるのが間違いなんじゃないかな?
追いかけたら逃げるに決まってるんだしね。
まずは写メに残すとこから始めるのはどうだろう。」
まぁ全力の走り合いになれば水瀬が勝つのは難しいだろう。
猫は100mをトップスピードで走った時⒎5秒、人はウサインボルトで、⒐2秒ってなんかのスレに書いていた気がする。
「そうだよね。人間より猫の方が普通速いよね。
ついつい勢いで走っちゃった!
ごめんね……
でもやっぱりこのへんが縄張りなんだね!!
今日もクロエを見られた!」
くるくる変わる水瀬の表情に見惚れていたのを必死に隠しながら僕は笑った。
そこから二人は暫く辺りを捜索したのだけど、クロエはもう見当たらなかった。
「もうこの辺にはいないのかな?今日はもう諦めようか?」
水瀬が言う。
「そうだね。2日目にしてまた見つけられたことが嬉しいね。明日は写メに残そう!」
もう今日は見つからないだろうなとなんとなく僕も思っていた。
――「明日は」なんて言ってしまった……
僕からそんな約束を取り付けるなんて――
――嫌じゃないだろうか――
「そうだね!
明日は、私、いきなり走り出さないように気をつけます!」
水瀬は、ビシッと敬礼みたいなポーズをした。
……良かった。
明日も……と水瀬も思ってくれていたみたいだ。
次はまず写メに残そうと言う話に落ち着いて、僕達は帰り道を歩き出した。




