始まる!二人と一匹の一か月 (前編)
僕は今学校へ続く、長い長い、坂を上っている。
この道は、春は桜が並木を成して迎えてくれるが、ゴールデンウィークを過ぎた今は、真緑の若い枝から毛虫が落ちて来ては、「アブね!」ってなったり、その毛虫の踏まれた体液で地面が緑色のような黄色のシミで彩られて、生命の短命をまざまざと見せつけてくれる、僕の母校、「私立 坂の上高校」、のその名の由来になった伝統ある坂道。
「……おい、春野……
……おはーww
今日もご機嫌斜めで登校ですか?
さては、昨日のラブ猫の萌え豚回でブヒブヒ言って寝不足なんだろうか?wwwワロタwww」
横に立つと鼻息でその存在に気づく位、この坂道に体力をもっていかれているこの男、
「あーオタクってこんな感じ!」と、オタクに対する世論調査で100人が100人オタクと選定するだろう、この男の名を河内という。
「あー、河内よ、確かに昨日のラブ猫はキュンキュンする展開であった
……だがしかし!!
僕はそのあとはすぐに眠り、すこぶる快調に目覚めたし、朝食もご飯をニ膳ほおばり、みそ汁もすすってきた。
すなわち!ご機嫌で言えばすこぶるいい!!
ただ、もう一年と一か月も毎日この坂道を上り、あと一年と9か月ほど毎日この坂を上らないと行けないと考えたら、少し人生の長さへの憂いに思いがふけってしまっていたのさ」
僕は河内に合わせた口調で、饒舌に答えた。
このあまり友人面したくないが、まぎれもない友人である彼に。
ちなみに先ほどから話題にあがる「ラブ猫」とは、四月の春アニメで始まった、ある高校生男子が、道端で死にかかっていた猫を拾って助けてやったら、その猫が可愛い女の子になって恩返しにやってくるというような深夜アニメだ。
主人公の男子高校生の部屋に転がり込んだその可愛い猫や、同級生の清楚系ヒロイン、ツンデレ幼馴染や、帰国子女のハーフ金髪碧眼美少女など、とてもよくあるラブコメご都合ハーレムアニメで、河内の大大お気に入りアニメである。
僕は特にこのような萌アニメは好きではないが、河内が執拗にこの話を振ってくるので、どんなものかと思い、見始めたのだ。
よくあるラノベ原作のアニメなのだが、このなんのとりえもない主人公が、猫を拾うという、今の自分にもありそうな出来事によって、人生をドタバタハチャメチャと面白おかしく生きているのが、うらやましい気持ちもあり、割と惰性ではなくしっかり見るようになった。
「アニメでは楽しい夢の高校生生活―――
はぁ、僕達はかたや、夢もない、ラブコメ要素もない帰宅部ライフ。
今日もまた無駄に無難にこなすだけの一日が始まったんだな。
僕達は、何をしたくてこの高校のこの坂道を登ったり下ったりしているんだろうな?」
僕は自嘲気味に呟く。
「それは、授業という名の睡眠時間で体力回復を図り、今日の深夜アニメのためのエネルギーの保養タイムでしょうWW
精神と時の部屋とまではいかないけども快適な睡眠ライフがおくれるおWW
春野氏、今日も徹夜の準備はできているでござるか?WW」
アニメのために日々を生きる。河内は生粋のオタクである。
「そうだな、今日は特に見たいアニメはないかなー、僕は河内みたいにその日やっている深夜アニメで曜日に気づくほどのオタクにまでは達していないからな!」
皮肉のつもりだった。
「おいおい春野氏~、ほめても何にも出ないでござるよWWW」
「…………」
フガフガと鼻息で返事している河内を横目に
「はぁ、はぁ……やっと登り切った~。
これを一年繰り返していて、未だに、息が切れている僕達って、本当、運動部の人達から見たら滑稽なんだろうな」
「そうかもな!
……でも俺達帰宅部と、連中の人生が重なる事なんてないし、俺達はあくまで、地味に楽しくこの三年間をやり過ごせばいいのさ。
じゃまた放課後な!」
河内は坂道の道中のTHE OTAKUGO と外国人でも、もしかすると形容するかも知れない言葉遣いを、まるで坂道に脱皮して置いてきたかのように普通に喋りだし、
そして、「私は独りで登校してきました!」と言わんばかりにそそくさと僕と距離を置いて速足で靴箱に向かった。
「おう、また放課後な……」
僕たちの高校……坂の上高校は部活動が盛んである。
坂の頂上にたどり着き、正面にある大きな柱時計のある柱をみあげると、その横には、
【ボクシング部全国大会出場】や、
【バレー部県大会出場】、
【自転車部 車屋 走馬さん 県大会 優勝】 など大きな垂れ幕がいつも、大会があるたびにかかっていた。
全ての部活が全国にいけるほど、すごい実績があるわけではないが、それでも、校風として、部活動を尊重していて、特に運動部はこの学校の花形といえる。必ず部活に所属しなければいけないという校則はないが、帰宅部の僕達は何となく肩身の狭い気持ちになる。
特に河内は中学時代に、オタクあることやその体型でいじめにあっていたらしく(とくに掘り返してここで話すつもりもないけど。)、校内では、あまり喋らず、オタクであることはおくびにも出さず、この学校内での「空気」になることに徹していた。
僕はオタクではないし、そこまで自分を卑下して生きようとも思っていないが、とにかく何もやりたいことのない、ただただ時間を持て余すつまらない帰宅部であることに対して、劣等感を抱いている。
人と話したりすることにまでは影響はないし、特に周りの同級生も僕がそんな気持ちを抱えていることなんてきっと気づかないくらい些細な、僕の小さな心の小さなしこり。
――そうだ。
あと一つ、僕の心の中には、もう一つある。
この何もない自分に対する小さな劣等感と、並ぶくらいの。
でも、何もない僕にしたら大きな物。
―――恋心である。
いや、恋心というほど大それた、気持ちではないかもしれない。
ただただ、僕の隣の席に座っている女の子が凄く気になるのだ。
……彼女を水瀬凛子と言う。
陸上部で高跳びの選手をしていて、黒髪のサラサラした髪がきれいで、身長は……そうだな、僕よりちょっと低くて、160センチくらいかな。
笑顔が素敵で優しくてクラスの人気者。
だけど、出しゃばっている感じじゃなくて、毎日を本当に、ただ楽しそうに生きている女の子。
……帰宅部の僕と人生が交わるわけがない女の子である。
僕は相手に告げることは絶対に無い、この気持ちを抱いて、今日も徒然と日々を送るはず……だったのです……
やっと全ての授業が終わり、ホームルームをこなし、チャイムと共に、青春の光に目をキラキラさせながら飛んで行った若者たちを横目に、僕たちの井戸端会議が始まる……
ずんずん……ずんずん……
ダースベーダ―の登場曲が流れるはずもないほど、オーラの全くない、小太りのおっさんとも言える河内が、僕の席に向かってくる。
ちなみに僕はこの井戸端会議の時に絶対に自分の席を離れない。
窓際の僕の席は、グラウンドがよく見える。
……高跳びの棒も。
僕は、一の四から二の四と、学年が変わり、二階から三階に変わり15度ほど、見える角度が若干、上りはしたが、奇跡的に同じようにグラウンドが見えるこの席に座ることが出来て、ここは一年生の時からの、僕の特等席なのである。
「乙~WW 春野氏念願の放課後が、やっとやってきたでござるなーWW」
河内は僕の前の席の椅子に座って喋りはじめた。
「……念願か」
僕は笑いながら言った。
「外では、輝く汗を流した、男と女がキャッキャウフフしているなか、我々は、崇高なる「ラブ猫」の圧倒的世界観について推考するわけかWW
はぁ~
我々もなかなか有意義な時間でこの青春という一ページを彩っていますなWW」
本当に楽しそうにTHE OTAKUGO を話し出す河内。
「まー、僕達は、キャッキャウフフはしていないけど、河内は、自分の席からこの席にくるまでにすでに、デコに輝く汗が浮いているけどなW」
「この季節はブレザーを脱ぐのか脱がないのかが、微妙なとこですぞWW
俺みたいな少しだけポッチャリな優男には住みにくい時期だおW」
僕は、特に彼の訂正したくなるような発言には全く突っ込まない。
自分が世間からどうみられているのかをすごく自覚している河内の突っ込み待ちの発言を横目に、僕は左手で窓際に肘を付きグラウンドを見下ろしていた。
いつもならそろそろ陸上部の高跳びの練習が始まる。
僕は、河内と談笑しながらいつも小一時間位この席から水瀬を見ている。
それが僕の日課だったのだが、今日は違う。水瀬が部活に出ていないのであった。
「俺は、メインヒロインである猫娘のタマも捨てがたいが、主人公の斜め後ろに座るボブのモブっ子に光を当てて欲しいんだがWW」
限りなくどうでもよいマニアックな話をして来る河内。
「すごいなぁ、僕はそんなメインキャラやサブキャラよりも認知度の低いモブキャラについてまでは思慮に入ってないなー。
……まーどの子が好きかでいうと、主人公の隣の席の子が好きだな」
……僕がこんな風にたわいのないアニメの話に興じながら、この席から水瀬を見てきたこの一年間で、雨の日以外に、水瀬が部活に顔を出さなかった日はただの一度もなかった。
心配だな……
僕がそう思うのは間違っているが、なんだがそんな風に思ってしまった。
「あ!!忘れるとこだった!!
今日は漫画版ラブ猫の最新刊の発売日だ!!」
ふいに思い出していつも小さい声でぼそぼそと喋る、河内が思わず大きな声でいうものだから、違うことを考えていた僕は、机が「ガタ!!」、っと鳴るほど体を揺らしてしまった。
「そうなんだ。じゃー今日はもうこの辺で帰るとするか……」
「すまない!春野氏!!
せっかくの我々の神々の遊びが如き大切な時間を!Wこの埋め合わせは必ずするおWW」
そう言って自分の席に戻り、カバンを持って歩き出す河内。
「大丈夫。埋め合わせとか(笑)
また明日な!!」
本気で言っているのか、河内のたわごとに答えた。
「おう!またな!!」
河内が嬉しそうに応えた。
僕は河内の他にも何人か友達がいる。
けど、河内にはおそらくこのクラスで友達と言えるのは僕だけなのだろう。
彼はいつも僕の機嫌や雰囲気をうかがうように接して来る。
きっと中学の時の経験があってだろう(この話を広げるつもりは全くないけど)が、気にしなくていいのに。
どうせ水瀬のいないグラウンドを眺めていてもそれこそ全く人生において意味のない時間になってしまう。
漫画本のことに気づいて、早々に、ずんずんと出て行った河内によって、たった一人しかいなくなった教室で、カバンの中に机のノートや教科書を突っ込み、僕もまた帰りの道に向かって歩き出す。
行きよりはだいぶ楽だか、それでも憂鬱になる、あの坂道を下るために。




