僕と彼女と彼女の親友が猫と出くわすその丘で(後編)
そして、運命の放課後がやって来た。時刻は16時ほど。
雨は……降っていた。
相合い傘ではなく、お互いに傘を持つ男女。
僕達は二人で中坂を降りて行く。
この一ヶ月の経験で、中坂付近にはいないということは分かっているが、絶対ということはない。
最初の頃みたいに、二人別々の歩道で降る、なんてことは既に無くなっていたが、クロエがどこかから飛び出して来ないか、注意は怠らない。
中坂を降りきり、橋本さんちの塀に到着。僕達は迷わず右に、住宅街方面に向かう。
ずっと真っすぐ歩いて木々津川橋付近。
流れる川にぽつぽつと雨が小さな波紋を作っていた。
「千太君、今日、なんかいつもと違うね。」
ふいに水瀬が言う。
「うん、今日はどうしてもクロエをカメラに収めたいんだ。
雨だって、絶対あがるよ!」
僕は、水瀬の為に、どうしても出来るだけ早くこの放課後を終わらせたい。
出来るだけ早くとは、つまり今日なのだ。
「……そっか。
どうしてそう思うの?」
水瀬が僕の顔を覗いてくる。
ここで、「水瀬の為だよ」とか、「水瀬の笑顔が見たいから」とか言えば正解か?
事実そう思っているんだけど、そんな言葉を口にすると、別の切り口で、この放課後が終わってしまうかもしれない。
「最近、河内と喋ってやれてないんだW
あいつ友達少ないし、放課後、僕と喋るの好きみたいだから、たまには付き合ってあげないとねってW」
都合よく河内を引っ張りだす。
「そっかぁ‼
河内君の為か‼
千太君ってやっぱり、とっても優しいね‼
……私からいうのもなんだけどありがとね。」
水瀬が今日一の笑顔をくれた。
「河内君、私と同じ中学だったんだよ。
同じ部活だったんだけどね。
……イジメみたいになったんだ。
ある先輩が始めだしたんだけど、どんどんみんなマネするようになっちゃって……。
結局河内君、部活辞めちゃった。
私止めたかったんだ……。
でもね、私弱くて、怖くて止められなかったの。
ずっと、心の奥にそのことがあってさ……。
だから、放課後、教室で河内君が千太君と笑っているのを見るとなんだかとっても救われる気持ちになるんだ。」
水瀬は胸に隠していたしこりを僕に見せてくれた。
河内が見せる、水瀬に対する違和感も把握した。
「そうだったんだね。
大丈夫だよ。あいつ楽しそうにしてるよ。」
大丈夫。河内はきっとそんなにやわじゃない。……と信じたい。
「今日、必ず写真に収めよう‼」
僕は自分にも言い聞かすように言った。
木々津川橋を抜け、僕達は西区の方へ川沿いの土手を進んでいく。
この辺りで時刻は、17時半ほどであった。
雨は降っているものの、小降りで、小学生なら、傘も持たず走り出すかな?という程度だ。
問題はクロエと対峙する間に、晴れてくれているかだった。
横にいる水瀬の顔は明るい。
さっきの打ち明け話で心が軽くなったのか。楽しそうだ。
僕にとっても、ほんとに楽しい放課後だった。
土手を抜けると次は、川と反対方向に大きく曲がる道が出て来る。
そこから雑木林に入る。
この前クロエを見失った場所だ。
「そろそろだね、千太君。
きっとこの辺でクロエ、顔を出すよ。」
水瀬ももちろん分かっている。
「ああ、そうだね。周りをしっかり見よう。
雨だから足元ぬかるむかも……。
気を付けて。」
今日が最後っていう日に限って雨だもんな……。
しかも、セーブ地点がこんな雑木林、確実に靴が泥んこになるだろう。
僕達は傘を閉じた。
自然の葉っぱの傘で割と濡れない感じではあったからだ。
僕はD君の起動スイッチを押した。
「ウィーン、ガチャ。」
とシャッターが開いた。
「ティロティロティン。」
と起動音もした。
「おはよう。D君。頼んだよ!」とは言わない。それは流石に恥ずかしい。
「おはよう!D君!頼んだよ!」
横から僕のカメラを撫でて言う。
水瀬はこういうの、言っちゃうんだよね。……可愛いから許す。
この前はクロエをかなり追いかけた。
雑木林に入りだいぶ奥に入った所で、やっと現れた。
いつものようにユラユラと尻尾を僕達に降る、黒猫。
「「クロエだ‼」」
僕はカメラを構えた。
すると、いつもならしばらく尻尾をユラユラ、遊んでやるよというような態度で、待つクロエが、今日は、構えた途端に後ろへ走り出す。
僕達も追いかける。
――クロエの速度に負けない様に雑木林を駆け抜ける僕達。
水瀬がこけて大変なことにならない様に僕は祈って走った。
何とかセーフ。雑木林を抜けた。
雨はほとんど降っていない。しかしまだ曇っていた。
今の設定の光量は当然、雲がない状態がベストだ。
「見て!あの学校。
私の小学校だよ。懐かしいなぁ。」
水瀬は笑いながら横を全力で駆ける僕に話しかけて来る。
「はぁ、はぁ……。
そうなんだ、それは……、良かったね。」
当然面白いことは返せない。
クロエは、小学校も抜け、またもや、獣道となりそうな、木々の多い所に入っていく。
追いかける僕達。
――クロエは、やっと一度止まった。
切られて大分経つだろう、大きな木の幹、年輪の真ん中に寝そべる。
淡く光るクロエが、こんな森みたいな所で横たわる姿は、何か神聖な、森の使いのようだった。
「クロエ、綺麗だね。こうやって見ると……。
ほんとにこの子は何なんだろう?」
水瀬の疑問に答えたいが、僕も分からない。
「ここ、めちゃくちゃ懐かしい場所だよ。
私の小学校の時の秘密基地に向かう途中なんだ。」
なかなかの野生児だった水瀬さんW
とにもかくにも、これはシャッターチャンス‼
僕はD君を構えた。
「カシャ。」
僕はシャッターを押す。
が、押して、気付く、ここは暗い。
今の設定では恐らく綺麗には写っていないだろう。
フラッシュを焚くべきだったか……。爪が甘い。
「撮れた!?千太君!」
水瀬が言う。
「ちょっと暗いね。たぶん綺麗には撮れてない。」
クロエがまた走りだした。
「残念。
また走ったよ!行こう!」
水瀬も走り出す。
――雑木林は、傾斜を持って僕に襲い掛かって来た。
もともと体力のない僕は、乳酸の溜まった足を必死に持ち上げ、登っていく。
ここで、止まったらきっと今日はもうクロエを見失ってしまうだろう。
水瀬でも、ちょっとしんどそうに、
「ハッ、ハッ、ハッ。」
と細かく息を刻んでいた。
クロエは淡く光りながら、楽しそうに尻尾をユラユラさせて、前方を走っていた。
僕は、走って、走って、走った。
雑木林を抜け、僕達は「丘」を駆けあがっていた。
――空を覆っていた雲はすでに散って無くなっていた。
クロエは丘の上で僕達を待っていた。
僕は、体中の酸素をなんとかかき集め、二酸化炭素に変えて、ギリギリで走っていた。
登り切った時はゴールテープを切るような気持ちだった。
なぜなら水瀬の方が後方にいたからだ。先に上り切った僕は、はっきりと青白く輝くクロエと対峙していた。
「カシャ。」
今度はフラッシュも焚いて。
完璧に撮れた。間違いない。
……普通の猫が。
妖艶に尻尾を振って写真を撮らしてくれたクロエは、「満足した。」とでもいうかのように、そのまま更に駆けて消えていく。
もう追いかけるのは無理だった。
……辺りはすっかり暗くなっていた。
「ハァ、ハァ……。
千太君……。
クロエは?」
息を切らして丘を登り切った水瀬が、僕に聞く。
「……うん。ばっちり撮れたよ。」
僕は振り返り、答えた。
ピントもしっかり合っていたと思う。
「ホント!?やったぁ‼」
水瀬は僕にハグして喜んだ。
最高の役得だった。この一ヶ月のご褒美というかのように。
しかし、水瀬の更に後ろから丘を駆けてきた人物を見て、僕は水瀬をゆっくりと押しのけた。
水瀬も気づいて、顔を真っ赤にして飛び退けた。
僕等が登って来た道をゼーゼー言いながら、火村亜貴が駆けてきたのだった。――
***********
――陽はとっくに沈んだ、丘の上。
二人が小学生の時に青春の光と呼んでいたのはトラックを照らす、運動場のライトだった。
この丘からはキラキラと美しい輝きを見下ろせる。
水瀬が通っていた、中学校の陸上部が、この時間でもまだ高跳びをしていた。
流石に二人の会話を聞けるはずも無いので、僕は遠巻きに二人が運動場を見下ろしながら、座って喋るのを見ていた。
最初は困った顔の水瀬から始まり、そして、泣いて、そして今はめちゃくちゃ笑っている。
火村も笑っている。
間違いなく仲直りした感じだった。
これで、水瀬は明日から部活に行くだろう。
僕の役目は終わった。
僕はD君を起動して、ライブラリを覗く。
今日撮った2枚だ。
一枚目は、木の幹の上のクロエ。フラッシュを焚き忘れたやつ。
猫なのかどうなのかはいまいち分からないけど、幹の上で青白く光る何か。
これはこれで、世界ふしぎ発見!と言えなくもない。
そして2枚目。完璧に撮れたやつ。
僕が撮った時に言った言葉を覚えているだろうか……。
……普通の猫だと。
そう。
結論から言うと、普通の猫に見えるクロエが写っていた。
クロエの発光は蛍光灯程度の淡いものである。
完璧なロケーションで、設定も間違っていなかった。
だが、フラッシュを焚いてしまったら、その淡い光は飛んで写らないのだ。
結局、僕と水瀬との発光する猫を追う一ヶ月は、その存在を明らかにするという意味において、何一つ達成できなかった。
クロエの事も、僕と水瀬しか知らない。
もちろん何故光っているのかとか、あれは霊だったとか、猫と分類していいのかとかクロエに関するあらゆることは全くの不明。
それどころかその証拠写真となるものも取れなかった。
骨折り損のくたびれ儲け。
僕達は何も得なかった。
…というのは、違う。
「カシャ。」
僕はD君のライブラリを開く。
背中から撮った水瀬と火村の横顔。
二人ともめちゃくちゃ楽しそう。
とりあえずは。
とりあえずは、この水瀬の笑顔が撮れた。
それだけでもこの一ヶ月は、僕にとって。
僕の人生にとって、なくてはならない時間だったと思う。
――ここからは三人で丘の上から、来た道を降りながら家に帰る道中に聞いた話。
この日、水瀬凛子と、火村亜貴は仲直りした。
火村は、昼休みに僕が言った事、「青春の光」というワードが気になって気になって、部活を早退したらしい。
そして、水瀬と火村が小学生の時に一緒に高跳びをがんばろうと約束した、丘に向かったそうだ。
そしたら、僕達が何かを追いかけているのを見つけて、追いかけてきたらしい。
彼女も追いつくつもりで、全力で走ったみたいだけど、結局最後まで追いつかなかったと、悔しそうな顔をしていた。
丘の上での二人の話していたこと、喧嘩の原因。
どうやら、水瀬が戸出茂義男先輩に告白されたことが発端だったらしい。
中学のイジメの件で、戸出茂先輩が嫌いになっていた水瀬は当然振ったが、水瀬と火村が小学校の時から憧れた先輩だ。
特に火村は、中学の先輩を知らない。
だから、火村のそのイメージを崩してはいけないと、相談できなかったそうだ。
また、振ったことで、戸出茂先輩から報復があるかもと恐れていた部分もあったみたいで、僕とのクロエ探しに精を出していたとのこと。
水瀬に戸出茂先輩が何かしようものなら僕が黙ってないぞと言ってやったら。
「春野なんか、非力過ぎて役に立たない。私がいるから心配しないで。」
と火村が水瀬に言った。
火村が僕の名前を覚えるくらいには仲良くなった。
水瀬は帰り道、ニコニコ笑っていた。
クロエの正体は掴めなかったけど、水瀬は部活に戻ると言ってくれた。
……当然、僕の水瀬に対する気持ちは心の奥にしまったよ。
これでいいんだ。
**********
――これは後日談。
僕の手元には5枚の写真が残った。
全部とっても大事にしていて、データじゃなくて現像した。
自分の部屋の壁にピンで刺してある。
1枚目は、木の幹にたたずむ森の精霊。
2枚目は、丘の上の普通の猫。
3枚目は、水瀬と火村の二人の笑った横顔。
4枚目は、火村が帰る間際に撮ってくれた、僕と水瀬のツーショット。
そして5枚目は……。――




