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亜人区デスペラードス  作者: 裏楽シムニ
第一章 亜人区の番人
2/3

■2■ イタチ

 マーシーが二人の亜人の身柄をDABから呼び寄せた同僚局員たちに引き渡し、廃ビルの外でこの日二八本目のジタンに火を点けたところで、目の前にグリーンのスパイダー・デュエットが停車した。

 運転席から自分に向けて視線を送るランディを一瞥し、オイルライターをともす。

「何故ここが?」

 彼女の問いに対し、ランディは片眉を釣り上げるような仕草で返す。

「局長から、君がここに応援を呼んだと聞いた。間に合ったようでなによりだ」

 あのデブめ、と毒づきながらマーシーは紫煙を吐き出す。

「乗りたまえ。そんなところにいると風邪を引く」

 マーシーは小雨の降りしきる空を見上げ前髪をかきあげた後、仕方ないといった表情で助手席に乗り込み、窓枠に右肘を置いて不機嫌そうに頬杖をつく。

 それを横目で見てから、ランディはスパイダー・デュエットを緩やかに発進させた。

 カーラジオはここに着く前に止めてある。マーシーがジャズをあまり好まないのを、ランディは知っていた。

「それで、アジトの場所は?」

 その問いかけに、マーシーは答えない。

「マーシー」

 ランディはそこで言葉を一旦切ると、自分も懐からラッキーストライクの箱を取り出し、その中の一本を口にくわえて火を点けた。吐き出した煙が僅かに開けたリアウィンドウの隙間から車外へと流れてゆく。

「君が我々亜人をこころよく思っていないのは知っている。だが、俺達はコンビだ。きちんと連携を取り職務を遂行する義務がある。君も大人ならば、仕事と私情は割り切れ」

 決して責めるような口調ではない。寧ろ大人が子供に言い含めるようなその物言いに、マーシーは溜息混じりに「オーケー」と答えた。

「スパニッシュハーレム一〇八丁目のBarバー『ミネルヴァ』よ」

「わかった」

 短く返し、ランディはスパニッシュハーレムに向けてハンドルを切る。

 スパニッシュハーレムは、以前『アンスガー一家』というマフィアによって仕切られていたが、二ヶ月程前にマーシーとランディによって、ボスのアンスガーと幹部四人を含む八人が死亡または病院送りとなり、事実上の解散となっている。

 恐らくステファンはその被害を免れた構成員で、後釜あとがまに座る形でこの地域に君臨したのではないか、とランディは踏んでいた。

 だとするならば、二人の訪問に対してどのような歓迎・・が待っているかは考えるまでもないことだった。

 いよいよもってランディの気持ちが今日の天気のように沈み込んだ頃、車は目的地の一〇八丁目へと差し掛かった。

 前輪で路傍ろぼうの水溜りをねながら、ランディはスパイダー・デュエットを停車させた。

「ここだな?」

 そこは、かつてアンスガー一家がアジトにしていた売春宿の斜向はすむかいだった。

 車を降りる二人を、『ミネルヴァ』の軒先のきさきで傘を差し一服しつつ談笑していた二人の亜人が横目で見た。

 二人の人相を確認した途端、彼らは吸っていた煙草を足元に捨て二言三言会話を交わし、痩せたハリネズミ亜人は足早に店内へと消え、屈強な体躯のバッファロー亜人の方は傘を捨て、肩をいからせながら大股でランディ達へと近づいてくる。

「どうやら自己紹介の必要は無さそうだな……」

「あんたは“裏切り者”として有名だからね」

「俺は、君があちこちで暴れて顔を売っているからだと思うがね」

 二人が車越しに言葉を交わしたところで、バッファロー亜人はランディの目と鼻の先まで詰め寄り、鼻息荒く口を開いた。

「てめえら、ここがどこだかわかってんのか?」

 男の身の丈は一八六センチのランディよりも頭一つ分は大きく、腕の太さは女性の太もも程もある。

 愛車に背中を預けるように立ったまま、ランディは落ち着いた口調で答える。

「我々はDABの者だ。違法薬物“ビースト”の件で、君たちのボスに話を聞きたいのだが」

「ああン? てめえ、ボスに会いてえだあ? いい度胸してるじゃねえか、ええ、この“裏切り者”風情が」

 バッファロー亜人の鼻息が一層激しくなり、こめかみや首筋に血管が浮き出ている。

「落ち着いてくれ、我々はただ話を聞きに来たのだ。荒事を起こすつもりはない」

「うるせえ! アンスガーさんを殺しやがったくせに、涼しい顔しやがって! もう我慢できねえ、ぶっ殺してやる!」

 巨体が吼え、力みによって膨れ上がった右腕が大きく振りかぶられる。

 その時既に、マーシーの身はスパイダー・デュエットのボンネットを踏みつけて跳躍していた。

 落下の勢いと全体重を乗せた右膝を鼻元に叩き込まれ、二メートルを超える巨体が、大き仰け反り蹈鞴たたらを踏む。

「マーシー・マクフォール!」

 バッファロー亜人は左手で鼻を抑えながら呻くように叫ぶ。その指の隙間から鮮血が溢れ、足元の水溜りに混ざる。

「本当に自己紹介の必要は無さそうね。さっさとイタチの元に案内するか、あたしの視界から消えろ。お優しいランディと違って、あたしはいちいち話し合いの提案なんてしないわよ」

「マーシー、挑発するな。それと、へこんだボンネットの修理代は君の給料から天引てんびきしてもらうからな」

「亜人は『助けてくれてありがとう』くらい言えないの?」

「あの程度、君の助けが無くても避けられる」

「ぶ……ぶっ殺す!!」

 二人のやり取りは、ただでさえ頭に血が上っていた巨漢を更に激昂させたようだ。バッファロー亜人は更に数歩下がると、二本の太い角をマーシーに向けて姿勢を低くし、雄叫びを上げながら思い切り地面を蹴った。

 一五〇キロを超える質量が、闘牛の如くマーシーの赤いスーツ目掛けて突進する。たとえ角が刺さらなくても、接触するだけで重傷は免れないだろう。

 迫る肉砲弾を見据え不敵な笑みを浮かべたマーシーの右手が、腰のホルスターに滑る。だが、彼女が愛銃マンバを引き抜くよりも早く、ドンッという重い銃声が背後で響いた。

「ぎゃあああああ!!」

 バッファロー亜人が野太い悲鳴を上げ、前のめりに地面に倒れる。彼の左太ももからはおびただしい量の鮮血が路上に流れ出る。

 マーシーは睨むようにランディへ振り返った。

「助けて欲しそうに見えた?」

 その声には露骨な怒りの色が滲んでいる。

「いいや。だが愛車にこれ以上傷をつけたくなかったものでね」

 ランディはその怒気に臆した様子も無く、硝煙の漏れるガバメントを懐に仕舞しまい込んだ。

「ああそうですか、なら礼は要らないでしょうよ」

「ああ、無用だ」

 ふん、と鼻を鳴らし、抜きかけたマンバをホルスターに戻すと、マーシーはバッファロー亜人の肩を一度レースアップ・ブーツのつま先で蹴飛ばしてから、『ミネルヴァ』の扉を乱暴に開いた。

 ランディはその背中を追いながら携帯端末で手短に救急車を手配し、周囲を一瞥した。

 少し離れた場所で一部始終を傍観していた数人の亜人が、彼の視線に気付きそそくさと立ち去る。〈亜人区〉で、この程度のいざこざや銃撃戦は決して珍しくない。しかし、それに自分から首を突っ込もうとする者は稀だ。

 誰もが、生半可な好奇心が怪我や死に繋がることを知っているのだ。


 店内の照明は薄暗く、煙草やマリファナの煙が漂っていた。

 天井の隅に取り付けられたスピーカーからは、Barには似つかわしくないロック・ミュージックが大音量で流れ、外の雨音を完全にかき消している。

 傷んだ木製の床に規則正しく並べられた五つの丸テーブルの内の二つにはいかにも(・・・・)といった風貌の亜人達が腰掛け、ポーカーに興じている。開店前ということもあり、一般客の姿は無いようである。

 奥のバーカウンターには、黒のワイシャツに白のベストとスラックスというちをした、イタチ頭の亜人の背中が見える。そのかたわらには、先程店の前でバッファロー亜人と談笑していたハリネズミ亜人の姿があり、店内に入って来たマーシーとランディに気付くと、イタチ亜人に短く耳打ちをした。

 店内の全ての視線が二人に向けられる。それには明確な敵意と殺気が込められており、空気が一瞬で張り詰める。

 八人の亜人がトランプをテーブルの上にほうって立ち上がり、それぞれがナイフや拳銃といった得物を抜く。

 それをイタチ亜人が「待て」と短くせいした。店内に流れる音楽の中でもよく通る、鋭い声だ。まさに鶴の一声といった様子で、八人の荒くれ者たちはおずおずと席に戻る。

 イタチ亜人はカウンターチェアに座ったままゆっくりと振り返り、長い足を組み直した。

「ようこそ、DABからのお客人よ。どうも私の部下が失礼を働いてしまったようだね」

 全く悪びれた様子も無くそう言いながら、キューバ葉巻の端をギロチン式のシガーカッターで切ると、それを口に咥える。隣にいたハリネズミ亜人が慌てたようにポケットから取り出したマッチを擦り、火を点けた。

「それで、本日はどのようなご用向きですかな? もし……違うとは思いますが、お酒を楽しみに来たと言うのであれば、ご覧の通りまだ開店前ですので、お引き取りを」

 相手を見下すような、いやらしい目つきだ。

「大物ぶるじゃないか、アンスガーの後釜をかすめ取ったイタチ風情が。ええ、ステファン?」

 マーシーのその言葉に、イタチ亜人の長いヒゲがピクリと動く。

 同時に、店内に張り詰めたひりつく(・・・・)ような空気が、より一層重さを増したのをランディは感じた。これ以上相棒が言葉を続ける前にと、マーシーの前に歩み出る。

「こちらこそ失礼を。彼女に代わって謝罪しよう」

「部下のしつけがなっていないのはお互い様、というところでしょうかね? “裏切り者”のランディ・エバンズ」

 今度はランディの黒い三角耳がピクリと動いた。だが彼は、至って平然とした表情を崩さぬよう努めた。

「ミスター・ステファン。近頃(ちまた)で流行している新種の違法薬物、“ビースト”について、お前さんが関わっている……という情報を耳に挟んでな。今日はその確認に来たのだ。まずは店内を改めさせてもらいたい」

「それで何も出なかったら、次はテメェのヤサだ。隠したポルノごと押収してやるから覚悟しときな」

 マーシーがランディの言葉に続いた。口調に相手を挑発しようとする意図があるのは、火を見るよりも明らかだ。

 見る見る間にステファンの毛並みが逆立つ様子が、薄暗い店内の離れた位置からでもはっきりと見て取れた。

 その言葉に、とうとう荒くれ者たちの自制が限界を迎えた。

「ボス、もう我慢できねえ!」

「もう殺しちまいましょうぜ!」

 ガタンと椅子を倒しながら八人が立ち上がり、一度収めた得物を再び引き抜く。

 今度ばかりは、ステファンの制止は入らなかった。苛立たしげに葉巻をバーカウンターに押し付けて揉み消し、怒号を上げる。

「殺せ!! 両方だ!!」

 その声を合図に、荒くれ者たちは待ってましたとばかりに二人へ向けて殺到した。

 ランディとマーシーも銃を抜き、迎撃態勢を取る。

「ハハハ! これはあたしの所為せいじゃないだろう!?」

 嬉しそうに隣で笑うマーシーに、ランディは何も答えなかった。

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