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エピローグ 4つの風

 暗闇の中私は目覚める。芸術の森、レンタル工房や研修施設が木立の中に並ぶ一角を、灯りも持たずに歩きだす。アトリエの一つを借りてそこで二ヶ月あまり暮らすうちに、夜明け前の散歩が私の日課になった。アップダウンをくりかえす曲がりくねった道だけれど、灯りなどなくても、足がしだいにカタチを憶えていく。

 本当はまだ立ち入ってはいけない野外美術館、その曲がりくねった坂道を、記憶だけを頼りに歩いていくのだ。

 一歩一歩の歩みが、ときにはあやうく、たいがいは何事もなく私を運んでいくのだけれど、ふと思う。踏まなかった場所には何があったんだろう、と。

 今まで起こる機会のなかったすべての奇跡ががそこに、私の通らなかったすべての場所に埋もれている、例えばそんな考え方はどうだろう。

 とんでもない楽観論のようでもあり、ひどい悲観主義のようにも思える。どっちだろう。

 私は知りえない。

 知りえないと知っているから、奇跡を信じていられる。


 その日はきっと、あたりまえのような顔をしてやってくるのだ。昨日とおなじ今日のようなふりをして、少しも突然などではないように。

 そんな奇跡の一日が、この暗がりのどこかに埋もれている。今日は踏んだだろうか、踏まなかっただろうか。

 東の端からしだいに空を染めていく朝焼けは、美しいけれど何も教えてはくれない。その日が迫っているとしても、足元にバナナの皮が転がっているとしても。

 それでも私の胸に、毎日少しずつ、かすかな希望をとどけてくれる。これから始まる一日で、私はそれをどれだけ膨らませることができるだろう。

 まだ明けきらない夜の最果ての、静かで豊かなひと時が私は好きだ。それをなんていうか、みなさんは知っているだろうか。私は、その言葉がとても好きだ。


 最近エカシは店をたたんだ。職人としての仕事に専念し、売るのは若い連中にまかせるという。一度は入院した体だが、近年は至って健康らしい。

 ずっと病院ぐらしだったヨハンセンも、コペンハーゲンのカンパニーの招きを受けて後進の指導に当たるようになった。また日本に行きたい、エカシが元気なら一緒にポケモン・ブラックアンドホワイトで遊びたいだなんて、手紙を書いてきた。

 未明と明子さんのあいだには女の子が産まれた。ひかりちゃんと言う。とてもかわいい。

 晴原先輩は個展のためにフランスに滞在していたとき、人種暴動にまきこまれて死んだ。

 ホテルまるごとの火災で、黒焦げの死体だけが残った。まだ三四歳だった。

 警察は、くるみの捜索を正式に止めた。


 くるみは今どこにいるのだろう。何をしているのだろう。あるいは、何時、どこで死んだのだろう。

 もう気にしているのは私だけかもしれないと思うと、たまらなく胸が痛む。

 それでも、もう探しにはいかない。私は決めてしまった。

 探しに出たところで、私たちの世界を覆う暗い陰りがすべて消えうせ、何もかもが正しい姿に立ち返る日など決して来ない。すべては今このときも変化しているのだから。目の前にあっても。両腕の中に抱きしめていてさえも。

 だから、信じるしかないのだ。

 カタチのないものを。その場限りの嘘とモノガタリでしか語りえない、たった一つの本当のことを。

 そうして私たちは暗闇の中で、存在のダンスを踊るのだ。運命を、生命を、あるいは、私自身の死を腕に抱いて。

 もうおわかりだろう。夜明け前の散歩は、私なりのダンスなのだ。くるみのようにもヨハンセンのようにもなれない私が、自分の身体を媒介に、世界と、自己を超えたものと触れ合おうとする、真剣なゲームなのだ。


 毎日の散歩のゴールは、砂澤ビッキの『四つの風』だ。

 ビッキ自身の望みによって、風化するにまかせられた白木の柱は、この数年のうちに相次いで倒れ、今暁の下に見える柱は二本。残りの二本は足元の暗闇に横たわっている。風化と腐朽に打ちのめされたその姿を、今は暗闇が隠してくれている。

『四つの風』は死につつあるのだろうか。死に至る過程にあるというなら、生きているものすべてがおなじ道を歩いている。

 倒れた柱は死んだのだろうか。薄皮のような表面だけを残して、あたり一面におがくずみたいな内臓をぶちまけている柱は、すでに死んだ、終わった存在だろうか。

 きっと、終わりなどどこにもない。おがくずの一粒一粒が虫に噛み砕かれバクテリアに分解され土に戻っても、まだなおそこから始まるものがある。

 四つの柱がすべて倒れたとき、初めて私たちは隠されていた主題を知るのかもしれない。


 木立の向こう、東の空で雲が流れ、曙光が空の闇をかき消す。暁が朝に変わる劇的な一瞬、ひとつの柱の頂から一羽のヤマガラが飛び立つのを私は見た。

 鳥は、いつからそこにいたのだろう。私がここにいたことを知っていただろうか。

 こんなふうにして私たちは、気づかぬうちにまた何度も出会っているのかもしれない。

 木立の中に消えていく翼に、私は小さく呼びかける。

「おーい、くるみ」と。

 もちろんそれは、とるにたらないファンタジーだけれど、私たちが生きていくためになくてはならないものだ。それはもちろん事実ではないけれど、確かに真実のかけらを含んでいる。この世界を生きるに値する場所にしているのは、そんなファンタジーのかけらたちなのだ。

 嘘と知っていてもいい、その場限りでもいい、もし信じることができるなら、世界は今眼に見えているよりも、もっと美しいものになる。

 そうじゃないだろうか。

 

                               了

終わりです。最後までお付き合い下さった方々、ありがとうございました。

また機会がありましたら、何かアップします。感想など残していただけると励みになります。それでは、またいつか。

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