1 寒い朝
私のカタチ2 http://ncode.syosetu.com/n4299ct/からの続き
窓を開けたまま寝ていたせいで、目覚めると震えがくるほどに寒かった。
義手のソケットは冷えきって固くなっていて、装着すればきっと痛い。だから朝の支度を左手一本で済ませ、パーカーの長袖をひらひらさせながら階下に降りていったら、母が振りかえって声にならない声をあげた。
とりあえず私は「おはよう」と言う。
母は身体ごと視線をそらして挨拶を返す。テレビを見ていたはずなのに急に台所に立って洗い物を始めた。私を視界に入れたくないらしい。
ひとりで朝食をもりつけていたら、何の拍子でかくしゃみが止まらなくなった。
母は急に勢いづいて、
「あんたどうしたの、窓開けっ放しにして寝てたんじゃないでしょうね。どうすんの、風邪ひいたんじゃないの」
と責めたててくる。
右手がないのと比べたら風邪なんて。
そう言い返してみたかったが、やはり黙っていた。細かいことにいちいちうっとうしいなと思いながら言いたいだけ言わせてやる。母の愛のありがたみなんて少しも感じられない私は、人間としてどこか欠けているのかもしれない。
家の中では平気で片腕でいる私だったが、外を、特に実家の近所を歩き回るのは難しい。
「ほーら、私は障害者ですよ、社会的弱者ですよ、だから無職で独身でニートで処女でも仕方ないんですよ」
そう思われたがっているように見えてしまう。いや、それはもちろん私の被害妄想なのだが、昔馴染みに出会うことはなくても、両親と親しくしている人はたくさんいるはずのこのあたりで、あえて目立つ格好はしたくなかった。誰かに話しかけられたくなかった。
義手の手先は交換できるようになっていて、ものをひっかけるのに便利なもの、掴んだり離したりができる可動式のもの、作業には適さず動かすこともできないが、見た目は生身の手そっくりなシリコン製のもの、などを状況に応じて付け替えることができる。
周囲の目を思えば、最後に挙げた装飾用ハンドをつけていたいところだが、そんなもので車の運転はできない。結局、ネジやバネが露出しメタリックに輝く能動フックを装着する以外に選択肢がない。子供たちが学校に行ってしまい、一般的な主婦は朝のワイドショーに見入っているはずの時間まで私は待った。それでも、戸を開けるときは慎重にあたりをうかがい、誰もいないのを入念に確認し、コントの泥棒みたいな抜き足差し足で軽トラ(オリーブグリーンに塗りなおした)に乗り込んだのだった。
コタンに残っていたら、こんなみみっちい私にはなっていなかったと思う。職人ではなくなっても、店の売り子や運転手の仕事ならできたし、長く付き合ってきたコタンの人も、そういう私を今までどおりの私として受け止めてくれたはずだ。
だが札幌での私は「月島さんのとこの残念な娘さん」として、八年前と変わらぬ視線を浴びて暮らすことになるのだ。だから私はやっぱり昔のように、「何者か」にならなければともがき苦しむはめになる。少なくとも、何者かに見えるようにならなければ、と。さもなければ「腕のないかわいそうな人」というレッテルが全身に貼りついてきて、息さえまともにできなくなってしまう。全身を覆ったレッテルは、覆い隠した中身を食い尽くして、そのうち本物の私に成り代わってしまうだろう。他人のまなざしだけで出来上がった、空っぽの私に。