一、鎧袖一触! キグルミオン! 8
「ダメです……キグルミオン……宇宙怪獣に歯が立ちません……」
美佳がそう報告した時、久遠はその側にはいなかった。
「視認してるわ。動かせるのと、戦えるのとは全く別なのね……私達は――私は甘かったの……」
久遠は先程己が顔を出して注意していた窓から、上半身を投げ出すように外の様子をうかがっていた。モニター越しがもどかしかったのだろう。
己の体を支える為に窓枠に置かれた手で、ギリリとそのサッシを悔しげに握る。
「……」
久遠が天を見上げた。謎の茨状発光体を険しい視線で見上げる。
「『観測問題』は『シュレーディンガーの猫』では、乗り越えられないということなのね……」
久遠が身を乗り出した道路の向こうでは、巨大着ぐるみが宇宙怪獣に弾き跳ばされ宙に浮いていた。
「やはり『ウィグナーの友人』になるしか……そしてそれになれるのは人間だけ――という訳ね……『人間原理』……あまり強くは考えたくないけど――」
宙に浮かされたキグルミオンが道路に転げ落ちた。そのままもんどりうちながら、久遠達のビルに転がってくる。
「――ッ!」
一際巨大な地響きが起こり、辺り一面が土煙で見えなくなった。
久遠はその衝撃に反射的に目をつむって耐える。
キグルミオンは久遠達のビルの前まで転がってきていた。
「博士……キグルミオン……エンタングルメントを維持できていません……」
「そうみたいね」
久遠はそのつり目の目を開けて、何も見えなくなった土煙の向こうに視線をやる。
その眼下に己が人類最後の希望と呼んだ、巨大な着ぐるみのシルエットが見えた。
だがそれは今はぴくりとも動かない。
「サイズ補正装置も外れたみたいです……」
「――ッ! 美佳ちゃん! キャラスーツを強制射出! 一度ヌイグルミオンを出させて、サイズ補正装置をつけ直させて! 再起動よ!」
「はい!」
「それと、いざという時の脱出の準備も」
「博士……」
「勿論あきらめたりはしないわ。だけど、一応ね。再起動後はどこまでいけるか、様子を見るのも忘れないで」
「はい……」
「どうにもならないようなら、私達が脱出する時間だけ稼いでもらいます。悔しけれど、私はまだ未熟だった。私達はまだ戦えなかった。やり直すわ」
「……」
「大丈夫。でも最後まであきらめたりしないし、あの子達を見捨てたりもしないわ。私達が脱出後――」
久遠がそこまで口にすると、その目の前にキグルミオンが立ち上がる。
もうもうと立ち上がる土煙。その中で立ち上がったキグルミオン。
久遠の立つ窓の外――丁度その正面で、ビル程の巨体が立ち上がっていた。
だが――
「再起動終了……」
「えっ? 動きがよくなってない? 再起動が何か影響を?」
そう、だがどこかその立ち姿は、先程とは打って変わって力強かった。
先程までの覚束ない足取りが嘘のようだ。
凛々しいまでの姿勢で、キグルミオンがこちらの様子をうかがっている宇宙怪獣に顔を向けた。
いや、宇宙怪獣をにらみつけた。
「えっ?」
その様子に久遠が目を見開く。やはり信じられないようだ。
「――ッ! キグルミオン! エンタングルメント率、ぐんぐん上がって行きます――」
背後ではこちらもやはり驚きの声で美佳の報告が読み上げられる。
「まるで中の人が代わったみたいに……」
「どうなってるの? 何が起こったの?」
動揺した久遠は目の前のキグルミオンと、背後の美佳に交互に何度も目をやってしまう。
「内部モニターに……人が! やっぱり、ヌイグルミオンに代わって、誰か入ってます!」
「何ですって!」
その美佳の報告に、久遠が慌てて駆け寄ってくる。
「あなたは誰? 誰が乗っているの!」
久遠が美佳の肩越しに情報端末に食いつくかのように詰問した。
薄暗い着ぐるみの中ような空間。
そこには確かに少女らしき人の姿があった。
「私ですか?」
情報端末からくぐもった声が再生された。
「そうよ! 誰? てか、危ないわ! 今すぐ降りて――」
久遠に皆まで言わせず、その中の人は――
「中の人は私――仲埜瞳です!」
自分を信じて疑わない――そんな意思に瞳を輝かせて己の名を告げた。
改訂 2025.07.29