六、驚天動地! キグルミオン! 15
「ヒトミちゃん、そろそろ時間よ! よく聞いて!」
白衣の衿を風になびかせて、久遠は交差点のど真ん中に停められた幌のない軍用車両から空を見上げた。
助手席に久遠。運転席に坂東。そして後部座席にユカリスキーを抱いた美佳。軍用車両に宇宙怪獣対策機構の面々が揃う。
坂東はエンジンをかけたままハンドルを握り、美佳はしきりに情報端末に指を走らせている。
今この交差点には久遠達の車とキグルミオンの姿しか見えない。
片道四車線と二車線の道路が交わる交差点。破壊されたビルが前後左右の道路に連なっていた。わずかに原形をとどめるビルと肩を並べて、巨大な猫の着ぐるみが同じく空を見上げている。
「はい!」
キグルミオンの中からヒトミの声が響く。
「今しがた南米の天文台から宇宙怪獣の情報が来たわ! 今から三十分前に、宇宙怪獣の動きをとらえたとのことよ! 宇宙怪獣は南米上空で、気象衛星をかすめるように通過! その直後この気象衛星からの信号が途絶したとのことよ! 間違いなく、宇宙怪獣に捕獲されたと見るべきね!」
「――ッ!」
「これを地上にぶつけるつもりね。今送ってもらった衛星の情報をもとに、ざっと計算したんだけど。確かに角度によっては、燃え尽きずに地表にぶつけられてしまうわ」
「宇宙からこっちを狙ってる――ってことですよね?」
キグルミオンがあらためて空を見上げる。それは茨状発光体が薄く輝くいつもと変わらない空だった。雲も少ない青空であり、いつまでも見上げていたい青をさらしている。
「そうよ。もちろんキグルミオン自身の脅威になるような質量じゃないんだけど。地上に被害を出す訳にもいかないわ」
「もちろんです。迎え撃てばいいんでしょ?」
そんな大空をヒトミは決意を持って見上げる。
「……」
坂東は二人の会話に黙って耳を澄ませていた。
「そうよ。いい? でも簡単じゃないわ。弾道ミサイルが重力に乗って落ち来るのと同じよ。迎撃ミサイルなんてほとんど役に立たないスピードで落ちてくるわ。でも……キグルミオンで狙い撃ちしてもらうしかないの……」
「『クォーク・グルーオン・プラズマ』ですね……」
「そう。キグルミオン唯一の飛び道具。クォーク・グルーオン・プラズマで迎撃するわ。敵はキグルミオンを狙ってくる。その前提をもとに軌道を計算して、ようやく迎え撃てるか撃てないか――そんな危険な状態よ」
「……」
「いい? 賭けみたいなものだけど?」
「でも、うまく迎撃しないと、一方的にやられるだけ――そうですね?」
「そうよ。その度に衛星が落とされるのもしゃくだしね」
「ぐふふ……『しゃく』じゃ済まない……世界中が衛星からの情報を失って大混乱……」
後部座席で一心不乱に端末を操作していた美佳が、この時だけは不謹慎な笑みで顔を上げる。
「そうね、美佳ちゃん。ヒトミちゃん! そういう訳だから、がつんと撃ち落としちゃって! 宇宙怪獣に衛星攻撃なんて無駄だと思い知らせてあげて!」
「はい!」
「よろしい。では作戦の確認よ。あと数分で、宇宙怪獣は攻撃可能な位置に来ると思われるわ。このタイミングに合わせて、スペース・スパイラル・スプリング8がキグルミオンの上空に来てくれる。『エキゾチック・ハドロン』が降りて来たら、それが迎撃のタイミングだと思って。そして最後は――」
「……」
「最後は――ヒトミちゃんの勘で……衛星に向かって撃って……」
久遠は最後の言葉とともに、茨状発光体に険しい視線を向ける。
「了解です……あは、最後は勘ですか?」
「ふふ、そうよ。だからそれも含めて、人類の力ってことでお願いね」
「仲埜」
二人の小さな笑い声が収まるや、沈黙を守ってきた坂東がようやく口を開いた。
「はい……」
「隊員の無念……晴らしてやってくれ……」
「……」
ヒトミは坂東に応える前に、後ろを振り返った。
遠目に煙が見える。拡散し薄く広がったそれは、その火元が既に鎮火されていることを物語っていた。だが元はもうもうたる黒煙であるそれは未だに不吉な形に揺らめきながら空に広がっていく。
「刑部も分かって覚悟の上だと言ったがな、あいつらだって死にたかった訳じゃない」
「はい……」
「宇宙怪獣は全人類の脅威……退けることが、最大の弔いにもなる……」
「はい……」
「……」
ヒトミの返事を最後に交差点に沈黙が訪れた。
坂東はハンドルを手に黙り込み、久遠は口をつぐんで茨状発光体を見上げる。美佳はじっと情報端末のモニタに見入り、その腕の中のユカリスキーは元より話さない。
「――ッ! 宇宙怪獣! 地表攻撃可能予想軌道に――今、到着! 今後、いつ攻撃が来てもおかしくありません!」
美佳の珍しく声を荒げた報告が一瞬舞い降りた沈黙を破った。
「よし、仲埜! 作戦開始! 先ずは宇宙怪獣が確かにキグルミオンを狙っていることを、この攻撃をあえて迎え撃つことで確認する!」
「了解です!」
ヒトミがキグルミオンで右足を一歩後ろに退けた。軽く腰も降ろして上空を見上げる。
「迎撃の後は直ぐに移動だ! いつまでも宇宙で好きにさせん! こちらも宇宙に上がって敵を討つぞ!」
「はい!」
「特務隊から情報入電! 宇宙怪獣より高質量物質が分離! おそらく捕獲された気象衛星です!」
「くるわ、ヒトミちゃん! 到達まで、五分もかからないはずよ! 隊長!」
空から顔を離し久遠はキグルミオンと坂東を交互に見やる。
「仲埜! 後は任せた! こちらは一次退避させてもらう!」
坂東が軍用車両のギアを入れた。三人と一体を乗せた車両がタイヤを鳴らしながら急加速で発進する。
「来なさい!」
遠くに離れて行く軍用車両をしばらく見送ったキグルミオンは、その愛くるしい顔を凛々しくも勇ましくキッと空に向かって上げる。
「……」
緊張を強いるしばしの沈黙にヒトミはじっと空を見上げて耐える。
「――ッ!」
気の重い時間が過ぎた後、キグルミオンの体が閃光に包まれた。
「エキゾチック・ハドロン……来た……」
発光する両腕を軽く挙げ、ヒトミは空の遥か向こうを見つめた。
爆発するかのような閃光を内に溜め込み、ヒトミは空の高みから落ちてくる衛星の残骸を探して目を見開く。
「あれね!」
青空の向こう。わずかに煙のような線を後ろに引いて、小さな光が真っ直ぐキグルミオンに向かって飛んでくる。
それは衛星の残骸。ほぼ燃え尽きながら残骸を周囲にまき散らし、燃え残った部品が高熱の光を発して落ちてくる。
落下点はやはりヒトミの居るところのようだ。真っ直ぐキグルミオンに向かってくる。
「食らいなさい!」
ヒトミは軽く上げていた右手を後ろに大きく退いた。
そして――
「クォーク・グルーオン・プラズマ!」
ヒトミは右手を天に高々と突き出し、閃光を晴天の空に向かって射ち放った。
改訂 2025.08.15