六、驚天動地! キグルミオン! 8
「それは虚構のヒーローの話だ」
大量のヌイグルミ達が慌ただしくも楽しげに駆け回る地下格納庫。その壁際に掛けられたモニタに坂東の渋い顔が大写しになっていた。
「そうですね。でも残念ながら、十年前からは現実の話です」
刑部は対照的に澄ました顔で応える。この大男の周りにも、子どもの背丈程のヌイグルミが駆け回っていた。
コアラにウサギに馬に虎など――動物を模したヌイグルミオン達が機材や資材を手に走り回っている。
「……」
「……」
坂東と刑部はモニタ越しに無言で視線を交わした。坂東は無表情に。刑部は笑みを浮かべて。二人はともに微動だにしない。
その刑部の前を通りかかったウサギのヌイグルミオン――リンゴスキーが立ち止まる。長い耳をぴょこぴょこと跳ねさせると、刑部の長身を見上げた。それはまるで大人のすることに興味を持った、小さな子どものような首の傾げ方だった。
走って来た馬のヌイグルミオン――ニジンスキーに背中にぶつかられて、ようやく我に返ったようにリンゴスキーはヌイグルミオン達が駆け回る喧噪の中へと舞い戻っていく。
「ふん、分かった……」
しばらくの沈黙の果てにモニタの向こうで坂東が不快げに鼻を鳴らした。そして画面の手前に坂東が手を伸ばすと、地下格納庫に掛けられていたモニタからその姿が消える。
「隊長のおっしゃる通り、陸自の戦力は宇宙怪獣には通じませんわ」
赤面からようやく立ち直った久遠がチラリとのぞき見るように刑部を見上げる。
「皆、分かってますよ」
刑部は久遠に振り向かずに応える。真っ直ぐ据えられた刑部の視線は、拘束具を外されたキグルミオンに向けられていた。
久遠と刑部の周りを相変わらずヌイグルミオン達が楽しげに駆け回っている。
「やっぱり、実戦経験の為だけに?」
「兵士の士気の為でもあります。国を守る為に居る者達が、何もせずに人任せでは心が保てません」
「そういうものですか」
「そういうものです」
「科学者として言わせてもらえば、相手は全く未知の生命体。それもこちらの科学力では解析すらままならない相手。ただ持てる兵力を叩き込めばいいという訳ではありませんわ」
「できれば、何故宇宙怪獣に通じないのか? 科学者の皆様には、それを解明して頂ければありがたいんですけどね」
刑部がようやく久遠に振り向く。容赦のない言葉の内容に悪意まではないと示そうとしたのか、人のよい笑みを浮かべて久遠に目を向ける。
「……」
その刑部の視線を逃れ、久遠は無言で前に向き直る。
「ノーコメント――ですか?」
「ええ……」
「こちらとそちらの情報はなるべく共有し合う。そういう条件でしたよね?」
「宇宙怪獣の正体は情報ではなく推測です。それも私個人の」
「茨状発光体に関する、貴女の見解と同じく?」
「……」
久遠はやはり答えない。
「グルーオンがフェルミオン化しているのです。宇宙怪獣がどんなモノでも今更驚きませんけどね」
やれやれと一つ肩をすくめ、刑部は気を取り直したように口元に手を持っていく。そしてそのまま目の前を通り過ぎていくキグルミオンに声を掛けた。
「仲埜さん! 期待してますよ!」
地下格納庫の床から響くキグルミオンの地響きに負けじと刑部は肺腑からの声を上げる。
「はい! 隊長、不機嫌でしたね!」
ハンガーから降ろされたヒトミは歩いて発進口に向かっていた。その巨大な着ぐるみの中からヒトミのくぐもった声が返ってくる。キグルミオンは己の背丈より大きな発進用の鉄製の扉にそのまま向かった。
「ええ! まあ、単純に。私達にも、見せ場が欲しいってだけです! 仲埜さんは気にせず戦って下さい!」
「いいんですか?」
「もちろん! それこそヒーローもののお約束ですよ!」
「はは。自衛隊、役に立たないの前提ですか?」
刑部の横で同じくキグルミオンを見送りながら久遠がクスクスと笑う。
その手元をぴょこぴょこと飛び上がり、ユカリスキーがのぞき込もうとしていた。ヒトミと刑部の会話に気を取られていた久遠は情報端末を完全に抱え込んでしまっていた。ユカリスキーは何度も飛び跳ねがならもその中を確認できなかったようだ。
「あ、ゴメンゴメン。次の指示ね。見えなかったわね。はいはい」
久遠がその様子にようやく気づきユカリスキーに情報端末を向けてやる。
「いえ、ですから。データリンクしてないんですか?」
その様子に刑部が困惑の笑みを向ける。
「してますわ。何か?」
「いえ……何でも……」
久遠の答えと、嬉しそうに走り去っていくユカリスキーの背中に刑部は苦笑する。
ユカリスキーは全力で発進口に向かって走り出すと、ヒトミより先にその入り口に駆け寄った。その様子に周りの何体かのヌイグルミオン達がしまったと言わんばかりにその場で飛び上がる。その内の何体かは手にしていた資材を投げ出す勢いでユカリスキーの後を追い始めた。
ユカリスキーが駆け寄る勢いのままに壁際にあったレバーにぶら下がるように飛びついた。
そのユカリスキーに追いついたチーターと馬のヌイグルミオンが飛びつくようにぶら下がる。三体のヌイグルミにぶら下がられ、鉄製の無骨なレバーが音を立てて下に引き下げられた。
金属のレールが軋む音を響かせて、キグルミオンの目の前の重厚な鉄製の扉が開いていく。
「むむ……本日のレバーぶら下がり競争……優勝ユカリスキー……二位カケルスキー……三位ニジンスキー……やはり、俊足系が強い……」
入り口近くのモニタが点灯し、そこに眠たげな半目に真剣な目の光を光らせた美佳の顔が大写しになる。
「競争なんだ。レバーの操作」
「ふふん……巨大なレバーにぶら下がる……こんな楽しい仕事、皆が競争になるに決まってる……」
「あっそ」
完全に開いた扉の向こうに、ヒトミが慎重に身を差し入れる。本来なら昇降機がキグルミオンを地上まで運んでくれるその設備は、今はただただ上へと開いた空間となっていた。
ヒトミが横に首を向けると非常用と思しきキグルミオンサイズのハシゴが壁際に取り付けられていた。
「仲埜。自力で済まないが、上まで出てくれ」
美佳の顔を押し退ける形でモニタの一角が坂東の顔を表示する。
「はい」
その坂東に応えてヒトミが発進口のハシゴに手をかけると、
「では、キグルミオン――発進……何て言うか、自力で……」
「自力で頑張ってね、ヒトミちゃん」
「自力でお願いします、仲埜さん」
美佳、久遠、刑部の三人が真剣な顔でそう次々とヒトミにエールを送ってくる。
「もう! 言われなくっても! 自力で上がりますよ! 自力で!」
ヒトミはそう応えると、ヤケになったように乱暴にハシゴをつかんで登り出した。
改訂 2025.08.12