六、驚天動地! キグルミオン! 7
「宇宙怪獣……高速で地球に接近中……」
貸事務所の一室としか見えない狭い部屋。指令用擬装雑居ビルのこの司令室で、美佳が情報端末を目にも留まらない指さばきで繰る。
その眠たげなマナコとはまるで正反対のきびきびした動き。指が残像を描きながら端末の上を舞った。
美佳は指令室の自分の席に座っている。
珍しくユカリスキーを連れていない。美佳は一人で席に着き、めまぐるしい指の動きで操作を続ける。
情報端末の一角にはモニタを埋め尽くす数の光点を煌めかせる宇宙が写っていた。その右下には『LIVE』の表示とともに『ハッブル7改』の文字が見える。地球の大気圏に邪魔されない世界でとらえた宇宙の姿だ。
その映像の中で一際目を引くのが茨状発光体。宇宙で見ても一際眩しい光を筋状に放っている。だがさすがに宇宙怪獣の姿は写っていない。地球に甚大な被害をもたらす宇宙怪獣でも、やはり宇宙のスケールで見れば芥子粒なようなものなのだろう。
「落下点までは、まだ断定できないか?」
窓を背にした己の席に座り、坂東が高い上背を前に乗り出した。
「まだ、さすがに……」
「まあ、博士が言うのだから。ここだろうがな」
坂東は乗り出していた身を後ろに戻した。単に腰掛けるよりは深くイスに背中を預ける。坂東はそのままチラリと背中に視線を送り、『ここ』と呼んだ街を一瞥する。
「それよりも、自衛隊より困った入電……」
「何だ?」
「珍しく早期に情報が入ったからか……自衛隊の皆さん、迎撃に陸上部隊を配置する気満々……」
美佳が情報端末を坂東に向ける。モニタ一杯に車道が写し出され、どこかの監視カメラがとらえたらしき映像が写し出される。そこには戦車を初めとする戦闘車両が列をなして通り過ぎていく姿が写し出されている。
「止めさせろ。キグルミオンの足場がなくなる」
「ぐふふ……止めさせたら、自衛隊の立場がなくなる……」
「知るか」
「ふふん……それに、そんな権限ないのは、隊長も知ってるはず……ウチの両親先生の政治力でも、博士の実家の経済力でも無理……」
「ふん。刑部――」
坂東が己の手元にあった情報端末の一角に触れる。
「何でしょう?」
それと同時に事務所内のテレビモニタが点灯し、刑部の姿が大写しになった。
刑部は斜め下を向いていた顔を上げたようだ。すっと首を下から上に斜めに上げて、モニタのこちらを真っ直ぐ注視する。その顔には自然な笑みが浮かんでいた。
その刑部が見ていたらしきところには、己の情報端末で顔を隠した久遠が見える。端末で隠し切れなかった久遠の顔は何故か首筋まで真っ赤だった。
「ん? その前に。博士、どうした?」
「何でもありませんわ……」
恥ずかしげに答えるが途中で止まってしまう久遠。その久遠に代わって刑部が答える。
「ええ。『観測問題』における『シュレーディンガーの猫』と『ウィグナーの友人』の科学的見解を述べ合っていただけです」
「そうか。科学的なことは任せた。それより刑部。陸自が動き出している」
「知ってます――と言うより、私が先程の電話で進言しました。襲撃予想時間が分かった以上、襲撃予想地点は推測でも地上部隊を出撃させるべきだと」
モニタの向こうの刑部は笑みを浮かべたまま澄ました顔で応える。自然に上げられた口角も。丸くかたどられた頬も。細められた目も。全てが見る者に好印象を与える笑みを見せている。
「そうか……だが我々の邪魔だ。下げさせろ」
「坂東一尉のお言葉でも、それは拒否させてもらいます」
「宇宙怪獣に通常兵器は無駄だ。知ってるだろう?」
「空対獣ミサイルはともかく。地対獣ミサイルは、我が国においては未だ宇宙怪獣に打ち込んだことはありません。無駄かどうかはまだ未知数です」
刑部は変わらない笑みのまま答える。
「弾頭はほぼ同じ物だ。結果は分かり切っている。無駄だ」
「買ったまま使わないモノを無駄と呼ぶのですよ。使えばたとえ無効であったとしても、無駄だとは言われません」
「練度か? 使うこと自体が目的だな? これを機に、実戦経験を積ませるつもりだな?」
坂東の視線が一瞬で険しくなる。
「そうです。内心分かってらっしゃったでしょ? 我が国はこれ程宇宙怪獣の襲撃が豊富――失礼、多数に及ぶのに通常兵力による迎撃経験が少な過ぎる。何しろ我が国は――」
坂東の視線を刑部は正面から受け止める。口元と両頬を笑みの形に止めたまま、刑部の目の奥だけから笑みが消える。
「宇宙から怪獣が襲撃すると、どこらかともなくやってきた巨大着ぐるみヒーローが倒してくれる――それが伝統ですからね」
刑部はそう告げると、モニタの向こうで自然な笑みを直ぐに取り戻した。
改訂 2025.08.12