六、驚天動地! キグルミオン! 2
「ぐふふ……博士、裏取引とは汚い……」
『汚い』とは口にしながらも、美佳はヌイグルミオンを抱き締めながら久遠を頼もしげに見上げた。
ヘリコプターのホバリングが巻き起こす風が、美佳の髪を乱暴に撫で付ける。
駐車場に強引に着陸された自衛隊の輸送ヘリ。いくら駐屯地内の病院とはいえ、それは医師を初めとする職員や入院患者には珍しかったようだ。窓という窓が開けられ、皆がヘリの動向を病室から見下ろしていた。
「さあ、何のこと? 私は単にお茶しただけよ」
先に片足をヘリに乗せていた久遠が澄ました顔で振り返った。病室から向けられてくる無数の好気の目も気にならないようだ。
好気の視線は無理もないのかもしれない。ヘリに乗り込もうとしている男女は若く、特に女性陣は目を引いた。白衣の久遠はここでは医者に見えただろう。ヌイグルミを胸に抱く美佳は見舞いの人間に見えたかもしれない。
だがウサギの着ぐるみと軍用ヘリの取り合わせは遠目に見ても奇妙だったろう。
ウサギの着ぐるみを身にまとったままのヒトミが、頭上に突き出た長いその耳をホバリングの風に揺らしていた。ウサギの耳は回転翼にあたりそうになりながらブルブルと震えている。
ヘリの中にいた刑部が手を差し伸べ、久遠が中に入るのを助けた。
「へっ? 何かお茶の裏取引したんですか?」
「何を言ってるのヒトミちゃん?」
素っ頓狂な声を上げるヒトミに、ヘリに乗り込んだ久遠が呆れた顔で振り返る。
「ええ。これからも、お茶でもしながらお話していただける。そんな約束を光栄にも取り付けさせていただきました」
「どんな話をするのやら……」
こちらも手助けしようと手を伸ばした刑部に、久遠に続いてヘリに近づいた美佳が首を振る。
刑部の助けを拒んだ美佳は、ユカリスキーを面と向かって立たせるようにヘリに乗せた。このコアラのヌイグルミはそのまま己の足で立ち、刑部がそうしたように腰を屈めると美佳に手を差し伸ばす。
「素敵なパートナーさんで」
「ふふん……どうも……むぎゃ!」
事故か故意か。ユカリスキーに引っ張られるままに、最後はもつれるようにヘリに乗り込む美佳。わざとらしげに奇声を発すると、美佳は手を引くユカリスキーに覆い被さるようにヘリの床に突っ伏す。美佳の下敷きになったユカリスキーが苦しげに頭を後ろにのけぞらせた。
ヘリは人員と物資輸送用のようだ。前後二つのローターを持つタンデムローター式で、前後のブレードが交互に挟み込むように回転している。内部は両サイドに人が腰掛ける簡易な長椅子があり、その中央の空間は割と広くとられていた。
「ユカリスキーが居なければ、大怪我をしていた……」
そのヘリの入り口の床で美佳がわざとらしい笑顔で顔を上げる。
「そのユカリスキーが、わざとこけたんでしょ? 美佳ちゃん?」
「久遠さん。肝心の隊長が遅くないですか?」
最後に残ったヒトミが病院の方を振り返る。そう、そこには坂東の姿だけがなかった。
「着替えもあるでしょ? いいからヒトミちゃんも早く乗って」
久遠がヘリのイスに腰を落とした。
「でも……怪我で着替えが大変なら……」
「手伝うの?」
久遠がイスから腰を浮かせて身を乗り出した。
「ち、違います! 間に合わないのを心配をしてるんです!」
「大丈夫よ……隊長はちょっと、着替えに時間がかかるタチなのよ……」
久遠がイスにあらためて座り直し、少々言い辛そうに応えると隣の美佳の方を振り向いた。
「……」
その美佳は久遠に特に応えない。ユカリスキーを久遠とは反対側に座らせ、簡易なシートベルトを締めてやっていた。
「あ、来た! 隊長! 遅いです!」
「一応、怪我人なんだがな」
坂東が女性の看護士に肩を借りて病院の出口から出てきた。いつもの戦闘服とブーツに着替えていた。ただし戦闘服の衿から覗くのは下着ではなく、サラシのように巻かれた包帯だった。
ブーツは勿論拍車付きだ。坂東が歩く度に拍車がカチャカチャと鳴るが、流石にヘリのローター音にその音はかき消されていた。
「わざわざそんなブーツなんか、履いてるからです……」
ヒトミがウサギの着ぐるみで近づいてくる坂東の足下を見つめる。
ヒトミの表情は外からうかがい知れない。ただ少々言い淀んだその口調に、戸惑いか憂いの響きが知れるだけだ。
「トレードマークだ……気にするな……」
ヘリに辿り着いた坂東が看護士に礼を述べながらその肩から手を離した。中から刑部に手を引いてもらい、坂東はヒトミにも背中を押されながらヘリに乗り込む。
「……」
ヒトミがその後に続こうと頭からヘリに差し入れる。
しかしヘリに乗り込みながらもまだ坂東の足下を目で追っていたヒトミ。そちらに気をとられ珍しく自身の着ぐるみの大きさを間違ったのか、
「痛っ!」
その巨大な頭部を耳ごと天井にぶつけた。
改訂 2025.08.11