一、鎧袖一触! キグルミオン! 5
「自衛隊のスクランブルを確認……こちらに向かってきます……」
「さすがね。時間なんてないものね。でも、通常兵器なんて、どこの国のものも……」
美佳が指を走らせる情報端末を、後ろからのぞき込みながら白衣の女性が真剣なまなざしでつぶやいた。
「臨時ニュース……市民の避難を呼びかけています……」
「そう。それしか選択肢ないもの……通常兵器による足止め。そして……でも――」
白衣の女性は一度強く目をつむった。
そのままゆっくりと目を上げる。意思と決意のこもった瞳があらわになる。
「桐山久遠の権限において宣言します! 現状を特務級非常事態と認定! よって我が特殊行政法人『宇宙怪獣対策機構』は、その設立の任を果たす為、迎撃行動に入ります!」
キリリと凛々しいつり目の目尻を更に鋭くつり上げ、久遠と名乗った白衣の女性は情報端末に向かって叫び上げた。
「博士……権限と言っても、代理……いいの?」
美佳が情報端末を操作しながら久遠を見上げる。
「構わないわ、美佳ちゃん。あの人を待つ余裕はない。あの人も同じ結論を出すはずよ」
「ぬぬ……分かった……」
美佳の眠たげな視線が、それでもその奥に力のこもった光を宿す。
「ヌイグルミオン! 出動! 宇宙怪獣を迎え撃つわ!」
「了解……」
久遠が号令を発し、美佳がそれに応えて情報端末に指を滑らせた。
情報端末の中では、なぜかコアラのぬいぐるみが、画面の外に向かってビシッと敬礼をしてみせた。
「何だ? どうなっとんじゃ!」
ナイフを片手に持ったまま、暴漢が取り乱したように辺りを見回した。
「警報? 訓練じゃなくって! まさか?」
ウサギの着ぐるみが驚いた声で、それでいてくぐもった声色で叫んだ。
「ちっ! どけっ! わりゃ!」
一目散に逃げ出した周囲の野次馬を追いかけるようにして、暴漢もナイフを懐に戻すと駆け出した。
ウサギの着ぐるみにぶつかるようにして路地裏から逃げ出して行く。
「痛っ!」
チャッピーと名乗り暴漢の攻撃を軽くかわしていたウサギも、この時ばかりは押し退けられて尻餅を着いてしまう。その勢いで路地裏から飛び出し、逃げ惑う人々の足下に投げ出されてしまった。
「君! 大丈夫か? 早く逃げないと!」
丁度通りかかった男性が、そんなウサギに立ち止まって声をかける。
「ええ。大丈夫です。訓練――じゃないですよね? これって……」
「ああ、宇宙怪獣用の本物の警報だ。ここも、他と同じになるのか……宇宙怪獣に蹂躙し尽くされて、最後は核兵器を撃ち込まざるをえなくなる……町と環境の全てを犠牲にして、倒すのがやっと……」
「そんな……」
「とにかく、今は避難だ。君も早く着替えて、逃げなさい」
男性はそれだけ言うと走り去って行く。
「……」
一人取り残されたウサギの着ぐるみは、天高く空を見上げた。
昼尚明るい茨状発光体。それが晴天の空でも確認できる。
神の茨の冠。女神の閉じた瞳のまつ毛。天罰のムチ――神や天になぞらえて、それは人々に畏怖の念を与えていた。
それは十年前に現れた。
史上初めて宇宙怪獣が襲いきたその日に同時に現れた。
関係を疑う者はいない。だが説明できる者もいない。宇宙怪獣の理不尽さも、謎の発光体の不思議さも、誰にも理解できなかった。
ただ宇宙怪獣の象徴としてことあるごとに見上げられていた。
「『宇宙怪獣に蹂躙』。『最後は核兵器』。『全てを犠牲にして』。そんなことない……」
ウサギの着ぐるみはそのふっくらとした拳を固く握った。
「十年前。確かにこの町は救われたもの。あの人のお陰で――」
その声はやはり少女の声で、くぐもっているがとても力強かった。
そしてそんな少女の目の前で――
「――ッ! ビルが!」
中高層ビルの壁面が、地響きのような音を立てて左右にきれいに割れた。
改訂 2025.07.29