五、一騎当千! キグルミオン! 4
「坂東一尉。怪我の具合はどうですか?」
「元一尉だ。知っているだろう。今の俺に階級などない」
坂東は簡素なベッドに身を起こし、己の顔をのぞき込んできた男に答えた。
ベッドは治療と入院の為のもののようだ。質素な部屋によく似合う簡素な造りのベッドの脇に、事務的な医療の機器が並べられている。
坂東はそのベッドのシーツに腰から下を潜り込ませ、上半身を起こして窓の外を見ていた。答えたのはその窓に映る男の姿に向かってだった。
「失礼。そうでしたね。で、怪我は? どうです?」
坂東をのぞき込んだ男は少し寂しそうな顔を見せる。陽光を受けて光る襟章の上で、誠実そうな視線をした男が笑みを浮かべていた。
「大した怪我じゃない。心配するな」
「あなたの怪我の経歴を知る者としては、その言葉のどれもが心配ですね」
「……」
坂東がようやく男に振り向く。
「全く、どこに居ても最後は病院のベッドの上だ。あなたって人は」
男が今度は優しい笑みを浮かべる。この施設の関係者であることを如実に語るその鍛えられた体。その上に続く太い首に柔和な笑みを男は乗せてみせる。
そうここは自衛隊の駐屯地内にある病院施設だ。
坂東に負けず劣らずの体躯をした男はその笑みを収めると、近くのパイプイスを引いて腰を降ろした。
「それにしても。いつ放り込まれても、腰の落ちかないところだな。そうは思わないか?」
坂東は実際に少し腰を身じろぎするように動かした。ベッドが軋んだのか、その足下からカチャカチャと拍車が鳴ったかのような音がする。
「……」
男は坂東の言葉に答える代わりにそのシーツに隠れた足を見つめた。
「早いとこ、こんな無愛想なところは出させてもらうぞ」
「はは、本当。あなたを入院させておくには、国家の自衛力が必要ですね。まあ、あなたがいつもろくにベッドに身を任せないのは、昔からではありますがね。一尉」
「元一尉だ。お前は相変わらずだな。わざと呼んでるだろ?」
「そうですね。だが、昔からあなたを知っている私にとっては、あなたを階級なしに呼ぶことなんてできませんよ。一尉」
「……」
坂東は今度は訂正しなかった。
「今はお前も、一尉か?」
代わりに襟章に一瞥をくれるや問いかける。
「はい」
「早い進級だ。お前らしい」
坂東が少し笑った。
「一つしか年の違わないあなたは、何年も前に一尉でした」
「そうだったかな」
「第一次宇宙怪襲撃に伴う緊急災害派遣。その〝救援活動〟の〝著しい活躍〟と〝名誉の負傷〟により、あなたは瞬く間に進級していった……」
「……」
坂東の笑みがすっと消える。
「違いましたか?」
「いや、その通りだ。俺の進級はアレだ。ほら、俺をどうにかしてデスクワークに縛りつけようとしたんだよ。上の連中はな。階級が上がると、書類仕事が増えるからな。俺は現場では暴れ過ぎらしかったらしいからな」
坂東が自嘲ともとれる笑みとともに答える。
「そうでしか? あなたが机にかじりついているところなど、見た覚えがありませんよ。幹部レンジャー課程を黙々とこなしてるところしか、記憶にありませんね」
「そうか?」
「そうですよ。まさか名誉の負傷を負ったその体で、レンジャー課程を修了するとは思いませんでしたけどね」
男は坂東の足先を見つめた。
「……」
坂東は応えない。
「一尉。あなたのキグルミオンは今、とてもデリケートな立場に立たされています」
男は少し身を乗り出して唐突に話題を切り替えた。
「本題はそれか……政治の話だな……」
「そうです。政治の話です。もっと言えば――軍事の話です」
「……」
「衛星軌道上の粒子加速器の力を借りるとはいえ、キグルミオンは単独で宇宙怪獣に立ち向かえる唯一の兵器。我が国だけがそれを所有しているのは、これからの軍事バランスを著しく崩しかねない」
「ああ……」
「重々ご承知でしょうね。自分達が扱い切れない武力を持つ国が存在する。まあ、その状況には同情しますけどね。政治家どもは右往左往してますよ。あの兵器の――」
「……」
「扱いを巡ってね。自分達で責任逃れの中途半端な管理にしたくせに、今はその責任のなすり付け合いやってます。国民への説明責任やら、外国の懸念への対処やらのね。自称タカ派はもちろん取り込みを考えてますし、自称ハト派は国際機関に明け渡せと叫んでます。だがあれは間違いなく我が国の軍事力――」
「刑部」
坂東は初めて相手の名を呼んだ。
「何でしょう?」
刑部と呼ばれた男は今まで一番無邪気な笑みで応える。
「あれは兵器でもなければ、武力でも軍事力でもない」
「では、何ですか?」
刑部は坂東の目をじっと見つめる。
「ヒーローだ」
その瞳を見つめ返し、坂東はどこまでも真面目にその答えを返した。
改訂 2025.08.07