四、疾風迅雷! キグルミオン! 11
「なっ! 違法って何ですか? 私は――」
ヒトミが声を荒げる。
茨状発光体にほのかな明りを得ている今の地球の不自然な夜。自然のものとは考えられている茨状発光体が照らす夜は、どこかそれ以前の夜を知る者を不安がらせる不自然さがあった。
茨上発光体は地球全土で観測される。それこそ昼夜を問わずだ。地球の全天を覆うそれは、人びとに畏怖と恐怖の念を抱かせながらただそこに横たわっている。もたらしてくるのはひとまずはただの光だ。
陽の昇る内は太陽の光でも覆い隠せない薄明るい光の帯として。陽が沈めば月も天の川も忘れさせる無視できない明確な光の帯として。夜とて地球に光を届け、闇夜という物を駆逐していた。
その薄やみを切り裂いて、サーチライトがキグルミオンの巨体を浮かび上がらせている。下から斜めに差し込まれる人工的な灯りが、キグルミオンに独特の陰影をもたらしていた。
上空からの不自然な茨状発光体の光。下からの人工的なサーチライトの光。キグルミオンはそんな両者に照らされていた。
本来を夜を照らす月の明りはぼんやりと霞んでしまい、星の煌めきはどこか脇に追いやられたように輝きを失ってしまっている。
そんな夜空がヒトミを更に苛立たせているのかもしれない。
「私は――隊長の心配をしているだけです!」
ヒトミは怒りの勢いのままにキグルミオンの巨体で一歩踏み出そうとする。だがやはり半歩も出せない。
わずかに足を踏み出しただけで、軍用車両とその周囲を固める自衛隊員の鼻先に足を突き着けることになっていたからだ。
軍用車両の警備を固める隊員の顔が一瞬で強ばる。宇宙怪獣にも対抗しうる巨大な着ぐるみが完全につま先を突き着ける迫力。それは訓練を受けた自衛隊員をも気色ばませた。
実際足を動かした振動で地面が微かに揺れ、巻き起こした風が隊員の頬を撫でるようにかすめていた。影こそはサーチライトがキグルミオンの背中の向こうに追いやっていたが、巨大な質量を持つ物が目の前に迫っていることを感じさせるのに充分な物理的証拠だった。
「隊長!」
足下に走る緊迫した雰囲気に気づけないヒトミは、それでも少しでも前に出ようとキグルミオンの身をもどかしげに捩る。
軍用車両の一部はヘッドライトすらキグルミオンに向ける。それは明確に拒絶を現しているのだろう。実際サーチライトとヘッドライトに眩まされ、坂東を収容したバンはかすんで見えなくなってしまう。
「隊長ってば!」
「ヒトミちゃん、落ち着いて。ひとまずは退くのよ」
キグルミオンの中で久遠の声が再生される。
「久遠さん! 隊長が心配じゃないんですか?」
「心配よ……でも、宇宙怪獣は確かに倒したわ……負傷者も――この現状で一番速い搬送手段を持っている自衛隊に収容してもらっている……これ以上私達がここにキグルミオンを展開している理由はないわ……」
「そんな! 私達の隊長ですよ! 私達の仲間ですよ! 無事なのかどうかすら確認させて貰えないまま、目の前でどっか行けとか言われて平気なんですか? 実際久遠さんだって、拘束だって言ってたじゃないですか!」
「ヒトミ……滅多なことは口にしない……隊長は無事とも、救助するとも連絡された……疑う理由よりも、キグルミオンがいつまでもここに止まる理由を探す方が大変……」
苛立つヒトミを諭すように、美佳が音声で割って入る。
「だって!」
「ヒトミちゃん、ダメよ。今は退いて。自ら退かないと、官庁を跨いだ正式な抗議や調査依頼がくるわ。状況は余計に不利になるの――他でもない、隊長にとってね……」
「そんな……」
ヒトミが半歩後ろに足を退かせる。それは前に出過ぎた体のバランスを取り直しただけだったのかもしれない。
「ご理解感謝する。では、坂東氏のことは任せてもらおう」
ヒトミがわずかかに身を引いた。その動作を言質にとったかのように、すかさず先程と同じ人物の声が拡声器越しに再生された。
声の主は男性のようだ。男性隊員は抑揚を殺した声で事務的に続ける。
「もう一度確認しておく。坂東氏は無事だ。負傷されている。だから我々で搬送する。収容先等は追って連絡させる。以上だ」
男性の声が一方的に途切れると、代わりにバンのヘッドライトが点灯された。
「美佳、待つしかないの?」
「正式なルートを通じて、今隊長と話ができるように要請してる……ユカリスキーの同乗も申請した……バンが出る前に、できることはしておいた……むむ、ユカリスキーの同乗拒否がたった今返ってきた……隊長との通信も拒否……おのれ……」
美佳の声から珍しく感情が読み取れる。そのまま苛立たしげに情報端末を叩く音すら聞こえてくる。
美佳の声につられたのか、ヒトミもキグルミオンの中で奥歯を噛む。
「ヒトミちゃん。私達はひとまず、近くの空港を目指してもらっているわ。でも訓練機から基地に帰るのは、どうしても夜半過ぎになる見込みよ。空からと帰路でできることは全てやるから、ヒトミちゃんは――」
久遠の声がそんなヒトミを宥めようと続けると、
「仲埜――よくやった!」
もみ合うような雑音の後に、坂東の声が薄やみの夜空に再生された。それは荒い息づかいとともに軍用車両の向こうから届いてくる。
「――ッ! 隊長!」
ヒトミの顔に喜色が一瞬で浮かぶ。
「坂東一尉! 拡声器の使用など、許可していない! くそ、この人! この怪我で、なんて力だ――」
「元『一尉』だ」
「手伝え! いや、出せ! 早く、車を出せ!」
「仲埜――」
もみ合いは続いているようだ。先に拡声器で伝えてきた男性隊員の声を押し退けるように、坂東の声が再生される。
「はい……」
もう一度名を呼ばれ、ヒトミは息を呑みながら応える。
「よくやった。俺が戻ってきたら、訓練だ。宇宙に連れていってやる」
「はい!」
ヒトミが声を張り上げて応えると、それを振り切るように群れをなす軍用車両の向こうでバンが走り出した。
改訂 2025.08.06