一、鎧袖一触! キグルミオン! 3
「こんなひどい時代に、暢気なものね。皆様は」
少々つり目の目尻を怪訝に細め、白衣の女性がマユをひそめた。そのまま目をつむり、手に持っていたカップに口をつける。
彼女は窓際に腰掛けていた。窓から他のビルの屋上部分が見て取れる。その景色から、彼女のいる部屋が中高層の建物の一室であることが知れた。
「いい香りに、いい色。フレーバーやカラーも、やっぱり物理的な現象よね」
白衣の女性は一口カップの中身を口に含ませるや、ほうとため息を吐き出しながらつぶやいた。
カップから立ち上がる湯気が、狭い室内に立ち上がっては直ぐに消えていく。
普通の事務所のように見える。事務机があり、ロッカーが壁際に並べられている。狭いと言っても五人は配置できそうなそのスペースに、今は二人だけがその部屋にいた。
己の手元から立ち上がる湯気をしばらく目で追い、白衣の女性は目を窓の向こう――そのガラス越しの路上に目をやった。
眼下では何やら人ごみができており、一目で騒ぎが起こっているのが見てとれた。
何しろ繁華街の路地裏をのぞき込むように、それでいながらなるべく近づくまいとしているように、同心円状に人の山ができていたからだ。
「ふふん……家から持ってきた……博士の為に……」
情報端末から片時も手を離さず、一人の少女が小声で応えた。女子高生らしき制服を着ており、どこか眠たげな半目な視線をモニターに向けていた。
少女はイスに寄りかかって座りながら、片手にもった情報端末にもう片方の指を一時の迷いもなく走らせていた。
「ありがとうね。さて、では眼下の喧噪でも見物させて――ん?」
「何……」
端末を操作する女子高生は、やはり眠たげに、その上興味もなさそうに間の手だけを入れる。その間一瞬たりとも指の動きは止まらなかった。
「凄いわ。ウサギがこれもんな人に、立ちはだかっているわ」
「ウサギ――ッ? どこッ!?」
今までの眠たげな様子がウソのように、女子高生はガタッとイスから立ち上がる。
情報端末を片手に、その少女は周りのイスやロッカーを蹴飛ばしぶつかり窓まで一気に走っていく。眠たげな視線はそのままだったが、ウサギを一目見んと、体だけは飛ぶように窓際に向かった。
その際垣間見えた情報端末の中には、ぬいぐるみを模したと思しき動物のキャラクター達がいた。正確には動物を擬人化したぬいぐるみのキャラクター達だ。
そしてその端末が揺れるに合わせて、まるでその中に本当にいるかのように、ぬいぐるみ達は方々に転がり慌てふためいていた。わざとらしく、どこか楽しげだ。
「あれよ」
白衣の女性がアゴで眼下の光景を指し示す。その視線の先――ビルの谷間では、ウサギの着ぐるみが右に左にと大立ち回りを演じていた。
相手の繰り出す拳を、その巨大な頭部にもかかわらず紙一重でかわしているのだ。
「どれ? ぬぬ? ウサギの着ぐるみ……小汚いけど、かわいい……」
「あはは。あんなかわいいナリで、それもんの人に立ち向かっちゃダメよね」
「むむ……それは、私達も同じ……」
「そうね。ま、一度も実績がないけど」
白衣の女性はもう興味をなくしたのか、それともその話題に触れたくないのか、すっと眼下から目を離し、カップに再度を唇をもっていった。
「博士……あのウサギ、スカウトしよ……あのウサギならやってくれるかも……」
「何言ってんの、美佳ちゃん。〝アレ〟は私達だけでどうにかする。そう決めたでしょ? それに、アレは普通の人間で無理。だから美佳ちゃん達に頑張ってもらってるんでしょ?」
「ぐぐ……」
美佳と呼ばれた眠たげな少女は、窓の下のウサギの動きに目を釘付けにされたままうなった。
「期待してるわよ」
白衣の女性が微笑んで美佳の方に目を向ける。窓に張りついたままの美佳とは目が合わず、彼女はそのまま美佳が持っていた情報端末のモニターに目を転じた。
モニターの中から数体のぬいぐるみのキャラクターが、まるで博士の視線と声に応えたかのように手を振り返した。
その時――
「――ッ!」
耳をつんざく不快な音とともに、室内が真っ赤に照らされた。
美佳がビクッと驚き、反射的に情報端末を抱き締めた。
「警報! まさか? ついに来たの!」
白衣の女性はとっさに窓から、身を乗り出し空を見上げた。いや、彼女は空よりもっと上を見ていたのかもしれない。
何故なら――
「宇宙怪獣……」
空よりももっと遥か彼方からやってくる、人類滅亡への脅威の名をつぶやいたからだ。
改訂 2025.07.29