二十五、国士無双! キグルミオン! 17
「Я чайка! Терешко́ва!」
SSS8の司令室にロシア語の叫びが轟いた。
同時翻訳されたはずの各国の言語を圧倒し、その言語はその場にいたクルーの耳朶を叩く。
「イワン大佐?」
サラが実際に耳朶を叩かれたかのように耳元を手で押さえながら応えた。
「聞こえたか! ウー飛行士は生きてるぞ! 位置をよこせ! 俺が出る!」
声の主はイワンだった。イワンはサラに訴えかける為か通信越しにフランス語でまくし立てる。
そしてその息は荒れていた。それは興奮だけがそうさせるのではなく、今まさに大量の息を吐き出しているからだった。
遅れて映し出された映像中では、イワンが口に酸素マスクのようなものをつけて肩を上下させている。
船外活動をする為に体内の窒素を抜くエクササイズ・プリブリーズを緊急に行っているようだ。ロシアのクルーが映像の端々に慌ただしく現れては消えていく。クルーはその手でイワンの体に様々な機器を取りつけていた。
イワンは未だロシアのスタッフにまとわりつかれながら、それでもトレッドミルを全力で駆けている。
「呉! 無事か? 応答してくれ! 呉」
SSSの司令室では楊が通信機に食らいつくように呼びかけるが、先の一言以降は沈黙しか返ってこなかった。
「『GPS』の電源が喪失されてるみたいなの! 中国GPSの『北斗』も同じ! 宇宙服そのものの電源が、落ちてるみたい!」
「ヤー・チャイカと助けを求めてきた! 何をぐずぐずしている! アメリカのGPSなどに頼っているからだ! いや、これもアメリカの陰謀か?」
「それはないわ、イワン大佐! でも、プリブリーズはお願い!」
「ヤー・チャイカって何ですか? 今どういう状況なんですか?」
緊迫したやり取りの間にこちらも息を呑むヒトミの通信が割って入った。
「ヤー・チャイカよ、ミズ・ヒトミ! 世界初の女性宇宙飛行士が、宇宙酔いに襲われながら発信した通信よ!」
「ロシア人女性宇宙飛行士――ワレンチナ・ヴラディミロヴナ・テレシコワだ!」
「ええ、そうね、イワン大佐。今まさに、ミズ・ウーはテレシコワだわ!」
「はい?」
ヒトミがよく聞きてれなかったのか一言聞き返した。
そして今はそれだけしか余裕がなかったようだ。
映像の中でヒトミは襲いかかってきた宇宙怪獣を振り払っているところだった。
ヒトミは宇宙怪獣を手で振り払い、すぐに別の方に顔を向ける。体は宇宙怪獣を迎え撃つ為に相手に向けていても、目はどうしても行方不明の宇宙飛行士に向いてしまっている。
「日本語で『私はカモメ』って意味よ、ヒトミちゃん。テレシコワのコードネームがカモメだったの。私はカモメ――同じ女性飛行士の呉飛行士が、何とか絞り出したSOSよ」
聞き返したヒトミに答えたのは久遠だった。
「つまり助けを求めてるってことですよね! 早く助けに行かないと!」
「闇雲に出ても、燃料がなくなるだけよ。落ち着いて、ミズ・ヒトミ」
「そうよ、ヒトミちゃん。
「来た! 北斗側、電源回復! 呉の位置出ます!」
楊が歓喜の声を上げた。それと同時にモニタに位置情報が表示された。
広い宇宙の一角にポツンと光源が一つ映し出される。
「――ッ!」
その映像を見たサラが驚きに息を呑む。
「来ましたか? 美佳! バックパック、お願い! 助けにいくわ!」
「了解……バックパック、推進剤――」
「ダメよ、美佳ちゃん!」
「ストップ! ヒトミ!」
ヒトミに応えた美佳に、久遠とサラの声が同時に被せられる。
「ん……」
「はい?」
美佳とヒトミが勢いを殺されて同時に疑問の声を上げる。
「高度がすでに低く過ぎるわ……今キグルミオンが助けに行くと、戻ってこれない可能性が……」
サラは褐色の肌の上に浮かぶ赤い唇をぎりりと噛みながら苦悶に声を絞り出した。
作中ワレンチナ・ヴラディミロヴナ・テレシコワに関しましては、以下で紹介されているドキュメンタリーを参考にさせていただきました。
http://www.nhk.or.jp/space/program/cosmic_140710.html