二十四、捲土重来! キグルミオン! 13
「じいさん。あんた、えらいセンセーなんだって?」
夜のレストランの陰鬱な雰囲気の中で、そのウェイトレスは気だるげな声で老人に声をかけた。
テーブルに着いた相手を腰を折って覗き込むそのウェイトレスの制服姿。太ももが大きく覗く短いスカートに、胸元が大胆にはだけるシャツに身を包んでいる。
目尻も胸もだらしなく垂れ始めている彼女が、もう既にその制服が似合うような年でないことを如実に物語っている。
店にこの制服姿で丸いトレイを持っている状況だけが、彼女をしてかろうじてウェイトレスだとということを告げていた。
それほど彼女は職業意識の欠けただらしない様子で客に話しかけてる。
彼女はコーヒーを持ってきていた。
中身をこぼしそうになりながらコーヒーカップをぞんざいにテーブルに置き、彼女は食事を進める老人の顔を無遠慮に覗き込む。
そのやる気のない態度も、相手に無作法に話しかける内容も、とても仕事中とは思えない。
そこは小さなレストランだった。ハンバーガーショップよりはマシなメニューが出る程度のレストランだ。
人里離れた道路沿いにあるらしい。時折窓の向こうを車両の光が通りすぎる以外は店の外に何の変化も現れない。その多くが軍用車両だった。
変化がないのは店の中も同じだった。
ウェイトレスに話しかけられた老人は特に答えることなく黙々と目の前の食事を口に運ぶ。
「まあ、うちの店を贔屓にしてくれるのなら、なんでもいいんだけど」
返事のない相手に特に気を悪くした様子も見せずウェイトレスは一人話を続けた。
生あくびをかみ殺す店主がカウンターの向こうにいた。店主は小さな店の狭いウカンターの中に、肥え太った体を押し込むように座っている。
だが仕事はすることがないようだ。時折店の窓の向こうに客がこないか目を向けるが、それ以外はあくびをかみ殺すか、もしくは思い切りあくびをするかしかしていない。
ウェイトレスが客に無遠慮に話しかけても知ったことではないようだ。
労働意欲のないウェイトレスに、あくびしかすることがない店主。そして一人でテーブルに着く客だけが今のこの店の全てだった。
「まあ、あれさ。宇宙怪獣と戦うあたしらのぬいぐるみが、あの基地にいるんだろう? あれのえらいセンセーだって。ここに来る兵隊さんが皆言ってるんでね。話し聞きたくなったんだよ」
ウェイトレスは暇を持て余していたようだ。
返事がない相手に一人で話し続ける。
「ああ、ぬいぐるみじゃない。着ぐるみってやつだっけ? あたしは無学だから、どっちも一緒くただけどね」
「……」
「あのネコのでっかいのは、私たちの地球を守ってくれるんだろ? 兵隊さんたちが、俺たちはカトゥーンのヒーローに、仕事奪われるんだってやっかんでたよ」
「……」
「カトゥーンのヒーローだって? 笑わせるわよね? それをあんたみたいな枯れたじいさんが作ったの? 巨大なネコなんて、あんたじいさんのくせにやるじゃない?」
「……」
「宇宙怪獣みたいな、変なの。ホント、誰かどうにかしてよって思うわけじゃない。あれ本当に現実のことなの? 宇宙は今、どうなってんのよ。馬鹿な私にも、宇宙がおかしいって分かるわよ」
「……」
老人は何を言われようとも一人で黙々と食事を続ける。
店主はやはりあくびをかみ殺すだけだ。
「私はさ。学がないからさ、テキトーに生きて、ウェイトレスぐらいしか仕事できない人生だけど。やっぱり死にたくはないしね。えらいセンセーが考えたってんなら、あんなキュートなネコにだって、助けてもらえるなら、助けてもらいたい訳よ」
「……」
老人は答えない。
彼の食事は終わりかけていた。
老人は一人食事を進め、最後に冷め始めたコーヒーに手を伸ばす。
その時窓の向こうからまっすぐと光が差し込んできた。
それは通りすぎるだけの車両のヘッドライトではなく、店の前に鼻先をつけつけるように止まった車の光だった。
「博士! また一人でこんな店に!」
老人がコーヒーに手をつけると、唐突にドアの向こうが開けられた。
「あら、軍人さんのえらいさん。こんばんわ。何にします?」
ドアの向こうに現れた将校らしき軍人にウェイトレスが覇気のない歓迎の挨拶を告げる。
「博士を迎えに来ただけだ。食事などいらん」
胸にいくつもの勲章をつけた将校がウェイトレスを一睨みした。
「いつも言ってるけど、うちはレストランなんだけどね? お偉いさん」
「知るか。博士が好んで立ち寄られるから、我々が迎えに来ているだけだ。レストランだというなら、もっとマシなメシを出すんだな」
将校がそう告げるとその背後から銃を持った数人の軍人がなだれ込んできた。
「やれやれ、静かに食事もできんのか……」
老人はようやく口を開くと椅子から立ち上がる。
その老人の前後を守るように兵士が銃を構えて取り囲んだ。
「当たり前です! 博士。あなたはご自身が何者か、ご存知なのですか?」
「……」
「あなたの名は、誰もが知っています。天才アル――」
「私を名前で呼ばないのは、契約書に書いてあったはずだが」
老人が何か言いかけた将校を一睨みした。
「失礼しました」
将校は相手の一言で続く言葉を慌てて飲み込んだ。
「……」
老人は相手の返事を最後まで聞いた様子も見せずに歩き出す。
老人はドアの向こうから照らされてるライトに眩しげに目を細めることもなく外に出て行こうとする。
「ちょっと。勘定とチップ!」
老人の後に続いてぞろぞろと出て行く軍人たち。その背中にウェイトレスが慌てたように声をかけた。
「おい」
将校が兵の一人に顎で払っておけとばかりに指示を出す。
「勘定なら、テーブルに置いておいた」
老人は入り口で立ち止まるとウェイトレスに振り返る。
老人の言葉通りにテーブルに幾つかの紙幣とコインが置かれていた。
「あれじゃ、勘定分しかないよ。話し相手になってやったろ? あたしにチップを弾んでも、バチは当たらないよ」
「チップか――そうだな……」
老人は夜空を見上げて呟く。
「私が宇宙をあるべき姿に戻してやろう。それがチップだ」
老人はそうとだけ告げると再び歩き出した。
軍人たちはその背中を追いかけてやはりぞろぞろとついていった。
「それはあんたらの仕事だろ! こっちはチップがないと、おまんまの食い上げだっての!」
ウェィトレスは悪態をつきながら最後尾の兵士の襟を掴んで引き止めた。
どうやら兵士にチップを払わせるつもりらしい。
一人兵士を残して軍人たちは停めてあった軍用車両に消えた。
そしてこの騒ぎにも気付かず店の主人は眠気に負けて船を漕いでいた。